サボテンの鉢替え

今一年で一番ひまなような気がする。そこでベランダの植物を見る。いずれも皆、そこそこに育っている。2年前に購入したサボテンがそろそろ鉢替えをしてよと訴えかけてきたので、3倍くらい大きな鉢に植え替えた。これで10年は植え替えずに済むであろう。
 いつも思うこと、それは、爬虫類と同じく脱皮が必要であり、そして、ヤドカリのごとく宿変えが必要であるような気がする。要は、いろいろな段階に於いて、新規一転が大切だということだ。
 ところで、サボテンは、タイ語で「ต้นกระบองเพชร トン(木)+グラボーング(棒)+ペット(ダイヤモンド)」という。「金剛杖」だ。金剛杖が有れば、鬼に金棒。よく見ると、サボテンの形状は幾何学的でとても美しい。針(=棘)がいっぱい出ているから、魔除けにもなる。錆びつき始めた頭をチクられているようで、刺激を覚える。

きこない咸臨丸まつり

一昨晩、70歳前後の人間4名が食事をした。そのうちの一人は、「木古内から今、帰って来たばかりです」と言って、北海道定番の土産である<白い恋人>を、食事会のホストと私にくださった。木古内に行った理由を尋ねると、「きこない咸臨丸まつりに行ったんです」と答えた。
 太平洋を横断した咸臨丸はその後、北海道開拓団の輸送船に変身させられ、木古内泉沢沖で座礁、沈没した(1871年)ことを初めて知った。その方の友人の曽祖父が咸臨丸の関係者であったが、親友が亡くなったため、親友に代わって毎年、木古内までお参りに行っておられるとのこと。その友情のあつさには驚いた。
 その方は、まだお土産を渡していない4人目の方に向かって、「これ、食べますか? 香川県から参加した人からもらったんです」と言いながら、丸亀産の<しょうゆ豆>を手渡した。「咸臨丸に乗ってサンフランシスコまで行った水夫達の多くは塩飽諸島から行ったんですよ。なかでも丸亀の本島の水夫が優秀であった!」
 傍らでその話を聞いていた私は言った。「あのー、私はその丸亀出身なのですが」
 彼と会うのは2度目であったが、その彼は彼で非常にびっくりしておられた。

都市と地方をつなぐ

東京は雨続きである。そして、日本全国は日照不足。出かけるにもいまいちの天候。こうした時は自宅で読書するに限る。
 『都市と地方をかきまぜる』(高橋博之著 光文社新書 2016年)を読んだが、共鳴する点、そして、教えられる点が多々有った。高橋氏の活動は、『食べる通信』という媒体を通じて、「地方の一次産業従事者(農家・漁師)が都市住民の眠った<生>を覚醒させる」というきっかけを提供している。
 都会のスーパーで買うだけの生活に私もかなり前から飽きている。そこで、気分転換をはかるため、長崎県の八百屋さんから、月に1~2度、宅急便でおまかせ野菜と調味料を送ってもらっているが、「高千穂の紅菊芋パウダー 高千穂・天鈿女命(あまのうずめのみこと)五ヶ所高原」という宮崎産ものが荷の中に入っていた。なんだか神々しくて、いまだに袋があけられない。

ケチ vs  節約

昨日のニュースで「大阪の三ケチ」であった最後の一人の吉本晴彦氏の死去が報じられていた。吉本氏は大阪マルビルの創業者である。私はこのマルビルの形がかねてより面白いと思っていたので、大阪で元生徒の結婚式が有った時、このマルビルの中に入っている第一ホテルに泊まったことがある。
 大阪人は「ケチ」、「ドケチ」、「しぶちん」等という単語に非常に親しんでいる。商売をやり、大勢の人を雇用すれば、そうせざるを得ない。決して、悪いイメージの言葉ではない。何故ならば、大阪人はこれらの言葉にユーモラスな感情を補填しているから。
 7月に八戸へ行った時、古い着物や服を裂いて改めて織りなおす「裂き織り」という布が作られる工程を見た。着古した布を新たなる手法で蘇らせるのは「節約精神」からの賜物だと思う。
 ひるがえって、「ケチ」も「節約」も、もとはといえば同じ土壌のような気がしてきた。

海田市の読み方

先日、広島県へ元生徒のお見舞いに行くため呉線に乗ったが、駅のホームの行先案内板に「海田市 KAITAICHI」と書いてあるのを電車の中から見て、「あっ、誤植だ」と思った。何故ならば、私は漢字を見て、「KAIDASHI」と読んでしまったからである。その地域にうとい自分を恥じた。だが、そういうケースは全国を旅行していると、いくらでもあると思う。地名の読み方はなかなかに難しい。
 その海田市がここ2~3日、ニュースでよく登場している。何故ならば、自衛隊駐屯地に迎撃ミサイルTHAADの設置を完了したからである。海田町の丘陵にいっぱい広がっている住宅街を病院の最上階から見た景色が焼き付いているだけに、住民の緊張感やいかばかりか。平和そのものの長閑な島根、愛媛、高知にもTHAADが配備された。
 武器商人(=死の商人)は莫大な特需を享受するかもしれないが、被害を被るのはいつも一般市民なのだ。

全米プロゴルフの松山秀樹

全米プロゴルフ選手権2017の松山秀樹をずっと応援していた。メジャーの優勝を今度こそは期待していた。しかし、結果は5位タイ。
 「足りなかったものは何ですか?」というインタビュアーの質問に、彼は短く答えた。「考えます」
 世界で戦う日本スポーツ選手をテレビ中継を通じて見るにつけ、いつも思うことがある。最後の最後の段階で力尽きる。精神的なものが大きい。運が左右するともよく言われるが、日本人が世界で弱いのはやはりメンタルだ。
 音楽やバレーの世界では日本人がたくさん優勝している。だがスポーツの世界の壁はまだまだ高くて厚い。体力は鍛え上げることが出来るが、精神力は果たしてどのようにすれば鍛え上げられるのか? 有名選手でなくても、普通の人間にも精神力が肝要だ。その解決策を考えるお盆休みにしたい。

岡山後楽園の少年ガイド

昨晩、TBSの情報番組で、岡山の後楽園で英語のガイドとして大活躍している8歳の少年が紹介された。生後半年から母親が彼に英語のCD等を聞かせて、常に英語の環境にひたらせたようであるが、それにしてもすごい。後楽園を訪れ、彼の英語を聞いた欧米人は、「日本人特有の英語発音が全くみられない! ネイティブそのものだ」と評価。
 留学もせず、岡山でひたすら英語を勉強している少年。その持続力に私は脱帽した。そして、後楽園内を韋駄天の如く走り回って、外国人に声をかける積極性にも感心した。
さらにすばらしいと思った点は、歴史を説明する時、文章がよどみなくすらすらと出て来たことである。わずか8歳なのに、後楽園の由来をしっかりと覚え、正確に伝える態度。彼の度胸と英語に対する愛。タイ語を学ぶ我々は、彼をお手本として、タイ語に対する愛と持続力を持つようにしよう。

鮫小紋

昨日、八戸の着物店で6月下旬に購入した鮫小紋の着物が送られて来た。この着物には曰く因縁が有る。
 私は八戸へ仕事で行く時、東京から鮫駅までの切符を買い、蕪島神社をお参りした後、海猫を見て楽しんだことはすでにブログで書いた。八戸での初日、市内の着物屋へ行ってみた。青森県固有の珍しい着物が有るかどうか知りたかったからだ。折しも七夕が近かったので浴衣ばかりが揃えられていた。
 翌日も別の着物店へ行ってみた。店主は墨流しの着物を勧めた。「墨は黒。黒は苦労に通じます。ですから、墨流しは苦労を流すということになります」 「私は鮫小紋を探しているんですけど…..」と言うと、店員が店の奥から出して来た。その着物を見て、私ははっとした。新宿のデパートで勧められた着物と全く同じものであったからだ。
 鮫小紋は武士の裃に使われる生地であり、精神的に強靭なものと思われている。八戸で私を待ち構えていた鮫小紋。何かの縁を覚えて、今度は見送らなかった。

証明写真の不受理

一昨日、泰日文化倶楽部の近くに在る写真館へ行き旅券申請用の証明写真を撮った。そして、昨日、それを受取りに行き、その足で都庁の旅券センターへと向かった。何故にこんなに人が多いのかと思うくらい、旅券センターは混み合っていた。
 待つこと20分、やっと私の番になった。担当の女性は私の写真を見て、「これはダメです。粗すぎます」とすかさず言い放った。私は写真館で撮ったことを証明するために、写真が入った小さな封筒を示しながら、「ほら、ちゃんと写真館で撮ったんですよ。画像が粗いというのはとても信じられません」と強気で言った。
 すると、女性は上司のところへお伺いを立てに行った。かなりの時間が経った。そして、上司と一緒に私の前に戻って来て、やはりだめであることを告げた。「ルーペでよく見てください」と言われたので、その通りにした。すると、確かに幾筋もの横線が見えた。
 私は写真館のおやじさんの腕を疑った。プロとは言えない。電話をかけて事実を報告した。よって、再度、作り直しとなった。だが、よく考えてみると、私の顔にいっぱい皺ができ始めているのかもしれない(笑)。

創業1782年の佃煮屋

昨日、かねてより注文していた佃煮が宅急便で届いた。箱には次なるちらしが入っていた。
 「創業天明二年 おいしさ届けて三世紀。新橋玉木屋は、一七八二年、江戸片側町(現在の新橋)にのれんを掲げて以来、三世紀にわたって、伝統の味・日本の味を守り育ててまいりました。初代七兵衛は、越後の国、通称玉木村の出身。江戸に出て、独自の製法で売り出したざぜん豆が好評を博し、その後、佃島の漁師の保存食に着想し、独特の味わい深い佃煮をつくり上げました」
 このように長く引用すると、まるで玉木屋の宣伝をしているみたいだが、私の注目するポイントは、「一七八二年」という西暦である。この同じ年に、クルンテープ遷都が有り、現在のラタナコーシン王朝が誕生しているからだ。
 昨晩、「タイ語初級 水曜日19:30」の生徒達がクルンテープという呼称に関心を示したので、40分近く、タイの歴史を解説することになった。クルンテープと江戸の佃煮屋。全く関係が無いものの、歴史の偶然性を面白く思う。