子供の耳

昨日、元教え子の真珠さんと渋谷の文化村で昼食を一緒にした。彼女は尾道在住だが、黄金週間の間、家族と一緒に横浜の実家に遊びに来ておられた。
 真珠さんは長女(小学2年生)を連れて来た。長女を飽きさせてはいけないと思い、会話には気をつけたつもりだが、長女は次から次に初めて聞く単語の意味をたずねてきた。その中の一つに[コンプレックス]が有った。
 すると、母親は電子辞書を長女に渡し、「自分で調べてごらん」と言った。しばらくすると、長女は単語の意味を読み始めたが、「精神的って、なあに? よくわからない」といらだち始めた。
 私もスマホで調べてみた。「精神分析で、感情の場合、現実の意識に反する感情が抑えつけられたまま保存され、無意識のうちに現実の意識に混じり込んでいるもの。脅迫観念や夢はこの複合が象徴的に現れたもの。特に[インフェリオリティーコンプレックス(劣等感)]の略」
 これでは、難しすぎる。私は母親である真珠さんに言った。「電子辞書を与えるのではなくて、易しくて、短い言葉を適格に選んで、子供にすぐわかるように教えてあげるようにしたほうがいいわ。そうしてくださいね」

令和元年初日

令和元年初日(5月1日)午前6時45分、私は鳥取駅のホームにいた。「スーパーいなば2号」で岡山まで行くために自由席の列に並んでいたら、すぐ前にタイ人らしき若い女性が3人。耳を傾けて彼女達の会話を聞いたが、タイ語ではなかった。ベトナム人であった。「シンチャオ!」と声をかけると、とても喜んでくれた。
 令和の初日、私は来た時と同じく、再び中国山地の峠越えをした。新緑の世界に幸せを覚えた。そして、岡山から松山行の「しおかぜ5号」に乗り、瀬戸大橋を渡って丸亀下車。両親の先祖の墓参りが目的であった。眠っている先祖の皆々に新しい御代になったことを知らせたかった。
 宇多津に在る母方の寺ではご住職が境内の掃除をしておられた。少しだけ立ち話をして、日頃からお世話になっている御礼を述べる。祖父母の墓の草取りに90分。さすがに疲れた。すると、境内のどこかから玉砂利を掻き清める音が聞こえてきた。見ると、中学生らしき少年だ。ご住職の息子さんと思われる。それを見て、この寺は永遠に続くと思われた。

智頭急行

4月28日13時43分、岡山駅から「スーパーいなば7号」に乗って鳥取へ行った。津山を通過するものと思っていたら、そうではなかった。JRの因美線山郷駅から智頭(ちず)急行と若という路線で行くということを初めて知った。
 調べてみると、智頭急行は1986年にできた第三セクターであった。中国山地の山間(やまあい)の新緑とせせらぎが美しかった。そして何よりも興味を覚えたのは、「宮本武蔵」という駅を通過したことだ。宮本武蔵の生誕地とのこと。
 智頭急行の路線の駅名の中には「恋山形」というのが有る。これは若いカップルに似合いそうだ。
 ところで、智頭急行の智頭駅は、「ちず」と表記し、智頭町の町名は「ちづ」と表記することになっていることを知り、どことなく奇異を覚える。
 「ず zu」と「づ du」は、発音上、区別がつかない。「じ ji 寺」と「ぢ di 痔」を区別して発音できないのと同じかな?

恩師と生徒

4月29日午後3時34分、鳥取駅到着。48年前に初めて観光で来た鳥取駅舎は昔の国鉄時代のものであったから、暗くて寂しい感じがしたのを今でも鮮明に覚えている。現在の駅はどこにでも見られる駅になっていた。
 2度目は18年前、元生徒A氏の結婚式に参列のため、飛行機で鳥取へ。そして、今回は3度目。だが、悲しいかな、元生徒B氏の奥様(享年47歳)のご葬儀に参列。
 通夜の時、導師(浄土真宗)は次なる話をされた。「私は10年前まで高校の教師をしておりました。仏は私の教え子であります」
 それを聞いて、そのようなかたちの再会という因縁について私には深く思うところがあった。
 恩師が導師として元生徒を読経で葬送する。棺の中の彼女は安心しきったお顔をしておられた。

智頭急行

4月28日13時43分、岡山駅から「スーパーいなば7号」に乗って鳥取へ行った。津山を通過するものと思っていたら、そうではなかった。JRの山陽本線を経て因美線に入り、山郷駅から智頭(ちず)急行と若桜鉄道という路線で行くということを初めて知った。
 調べてみると、智頭急行は1986年にできた第三セクターであった。中国山地の山間(やまあい)の新緑とせせらぎが美しかった。そして何よりも興味を覚えたのは、「宮本武蔵」という駅を通過したことだ。宮本武蔵の生誕地とのこと。
 智頭急行の路線の駅名の中には「恋山形」というのが有る。これは若いカップルに似合いそうだ。
 ところで、智頭急行の智頭駅は、「ちず」と表記し、智頭町の町名は「ちづ」と表記することになっていることを知り、どことなく奇異を覚える。
 「ず zu」と「づ du」は、発音上、区別がつかない。「じ ji 寺」と「ぢ di 痔」を区別して発音できないのと同じかな?

新幹線ひかり

4月29日7時6分、東京駅から岡山行きのひかりに乗った。本当はのぞみに乗りたかったが、黄金週間なので指定席が取れなかった。しかし、それがかえってよかった。何故ならば、停車駅ごとに外国人の旅行客が入れ代わり立ち替わり乗り降りしてきて、いつものひかり号とは雰囲気が異なっていたからだ。
 静岡に停車した時、後ろの席の女性が隣りの欧米人に向かって、「私は浜松で降ります。ですから、席を替わってください」と言っている。だが外国人は何のことかわからず、座席のテーブルの上にPCを置いたまま、じっと画面を見ている。
 75歳位のその女性は何度も同じことを言った。彼女としては、浜松に着く前に降りる準備をしたいわけだ。
 そこで、私が通訳をした。すると、欧米人は立ち上がってすぐに席を交替してあげた。外国の旅行客へのおもてなしというよりも、日本人のための通訳が必要だ。

真実一路

『真実一路』(山本有三著・昭和25年の作品)を読んだ。昔、読んだことがあるが、歳月を経て読むと新たなる発見が有り、人間の心情と機微がよくわかって面白かった。
 世界情勢においては、「一帯一路」という言葉が紙面をにぎわせている。シルクロードも海のシルクロードも中国語がすさまじい勢いで飛び交って行くことであろう。
 さて、平成最後の宿題は、ユーモアや冗談を交えて、「○○一路」という造語をつくってみよう。例:「美食一路」
 そして、それらの造語をタイ語訳してみよう。訳文にあたっては、決して、直訳をしないように。
 タイ人に素直に、早く理解してもらうように心がけよう。
(備考)4月30日と5月1日はブログを休筆します。

それぞれの人生

今月は仕事の上ではひまであった。平成最後の月だから、のんびりするのもよし。50年も働いて来たのだから、少しは休もう……。
 そう思っていたら、恩師の訃報。恩師の生涯の知られざる苦悩を知り、人生を考えた。
 黄金週間が始まったが、珍しく予定欄が空白。何にもしないでもいいと思うと、小さな幸せを覚える。
 最近は午前3時半頃から目が覚める。メールを開くと、元生徒さんからメール。近況報告を読んで、彼女の心境が深淵にたゆたっているのを知る。
 午前7時半、鳥取在住の元教え子から奥様の訃報。「6:32に永眠を確認してもらいました…最期までよく頑張ってくれました」
 それぞれの人生にいろいろなことが降りかかる。これまでにいろいろなことを学んで来たつもりだが、平成最後の4月はずしりと来る月となった。

平成最後の授業

泰日文化倶楽部は、今日、平成最後の授業を実施する。
 昭和63年(1988年)10月から週2回の授業を開始したが、その3ヶ月後には平成(1989年)へ。
 その平成30年間を駆け抜けて来た。バブルの崩壊、阪神淡路大震災、オーム事件、バーツの切り下げ、世界貿易センタービルの倒壊、リーマンショック、東日本大震災、タイの洪水、等々、内外の情勢が変わるたびに、大なり小なり、泰日文化倶楽部にも影響が有った。具体的に言うと、生徒達の退会が目にみえてわかった。
 なかでも、終身雇用が終わり、派遣労働の形態が増えるにつれて、それまで定着していた生徒数が動いた。そして、現在もその流れは続く。
 落ち着いて暮らしていけない時代、金がかかり過ぎる時代、時間が無い時代、人間関係がより冷たくなった時代、親戚関係が縁遠くなっていく時代、目標が定まらない時代…..。
 先日会った元学友(72歳)はこう言った。「いつもリストラばかりに遭ってきた。最後くらいは、自分から辞めます、と言って辞めたい」
 他者に振り回されない働き方をするにはどうすればいいか。令和への移行期間に、じっくりと考えようではないか。

恩師の召天

昨日、恩師の葬儀式に参列した。牧師様の司式に基づき、黙祷、序詞、賛美歌、旧約聖書、新約聖書、祈祷、式辞、祈祷、賛美歌、主の祈、頌栄、終禱、黙禱、遺族挨拶が粛々と取り行われた。故人の94年間における長い人生の旅について、牧師様からご紹介が有った。誰も知らなかった恩師の苦悩、悔悟、そして懺悔に、参列者の誰しもが涙した。
 恩師は1925年(大正14年)、台北生まれ。とてもさばさばされた方でユーモアの持ち主。12歳で受洗。そして、2019年、平成最後の月に召天された。
 葬儀後、参列した元寮生は恩師をしのぶために喫茶店へ。恩師は高級老人ホームに82歳から入居。数年前から介護病棟に移られたということは伺っていたが、次なる話を元寮生の一人から聞いた。
 「すばらしい介護なので、皆さん長生きをしておられます。しかし、いかんせん、話し相手がおらず、認知症になった方達が多いみたいよ。先生は信仰がお有りだったから最期まで頭がしっかりしておられました。やはり、何か刺激が無いとだめね」