語学力を磨くには?

昨日、親戚の青年と食事をした。彼はカナダへ短期留学して帰国したばかりだから興奮していた。そして、今度はイギリスへ行きたいと言った。しかも一人で…..。
 日本に帰って来ると英語を話すチャンスがほとんど無い。彼は外国人と英語で話すことができるアプリに申し込もうか否か、迷っていた。今はお試し期間だから無料。ただし、入会すれば月額6千円。もしもリアル・ネイティブと話すことを希望すれば、その都度、お金が加算されるとのこと。
 私は助言した。「そのアプリに使うお金を貯めて、イギリスやアメリカへ旅行したほうがいい。日本で話していると、つまらない会話、とりとめもない会話に終わってしまう。現地に飛んで、現地でのトラブルを通して、英語をしゃべる度胸をつけたほうがいい」
 日本にいると、甘えが邪魔をする。英語であれ、中国語であれ、そして、タイ語であれ、若者であれば、現地へ行くのが一番いい。

タイ人講師達の英語力

「タイ語初級 土曜日16:10」のクラスは、英語でタイ語を勉強している。この話はすでに情報として書いた。しかし、さらに付け加えて書かせてほしい。
 昨日は、いつもの指輪先生が風邪のため発声が苦しそうだったので、急遽、パック先生に代講をお願いした。
 「パック先生、このクラスは英語で授業を進めてくださいね」と私が言うと、彼はすかさず快諾し、90分間、見事な英語でタイ語を教えてくださった。タイ人独特の癖のある英語ではなくて、欧米世界に通用する発音であった。
 授業後、英語が得意な理由を尋ねると、小学校から英語を習っているという。インターナショナル・スクールではなくて、タイ人が経営する私立の学校でアメリカ人講師から教わったそうだ。したがって、タイ人の美徳をきちんとしつけられながら、英語の学力もつけていったことになる。
 泰日文化倶楽部のタイ人講師達はいずれも皆、英語が得意だ。英語ができるから厳しい留学生専攻試験にも見事、合格したのは当然。
 受験英語しか習わない日本人は、使える英語を身につけるよう、なんとか意思を変更しないと、いつまでたっても世界に通用しない。

40年続く読書会

先日、久しぶりに会った元寮友は大阪に住んでいるが、何かイベントが有ると頑張って参加する積極派だ。彼女が先輩の寮友が主宰している読書会にもう40年も出席しているということを聞いて、私はすばらしいと思った。
「今はロマン・ロランを読んでいるの」という彼女は女子大生そのもの。主宰者も私は存じ上げているが、哲学を専攻された方だから、思索する内容が深い。そして、意思がものすごく強い女性だ。
 昔、出版された世界文学全集は字がとても小さい。そして、言葉も古めかしい。翻訳臭さも大いに感じられる、だが、数十年ぶりに読めば、作品が書かれた時代に生きた登場人物達の苦悩や喜びが、異なる角度から読み取れる。
 現代に生きる我々が70歳を過ぎた今、それぞれに意見や感想を言い合う読書会の存在価値は大きい。

今日の宿題

先日、タイ語中級クラスの生徒さんから以下の3つの文章(まだ上手に話せない)はすべて正しいか否かという質問が有った。
 ① พูดยังไม่เก่ง ② ยังไม่พูดเก่ง ③ ยังพูดไม่เก่ง
 いずれも正しいようにみえるが、正しいのは①と③。 日本人には②もOKと思われがちだが、タイ人は言わない。何故言わないかというと、タイ語では動詞を否定するのではなくて、副詞を否定するからだ。
 この文法を徹底させるために、以下の日本語を訳してみよう。
1)うまく言えない(言う+正しくない)
2)ちゃんと行きつくことができない(行く+正しくない)
3)お金はたくさん持っていない(持つ+お金+たくさんではない)
4)はっきり聞こえない(聞く+はっきりしない)

私塾

目下、『回天の門』(藤沢周平 文春文庫 1986年)を読んでいるが、主人公である清河八郎という男が、酒田近くの村で幼少期を過ごしている時から江戸に憧れ、江戸にある塾でしっかりと学び、学儒になって自らも私塾を開く場面がたびたび描写されてる。
「塾は建坪二十一坪のものを新築した。五十二両かかった。浅野と二人で古家を改築して住めば、一人十両と計算した最初のもくろみからみると高い費用だったが、八郎は満足していた。小さな塾だった。だがそれは少年のころからの夢が結晶した建物だった」
 「十一月五日に八郎は塾をはじめた。内弟子わずかに二人、学僕一人という塾だった。しかし間もなく評判を聞きつたえて、通い門人が出来、荘内藩江戸屋敷からも入塾する者が来た」
 「秋めいてきたその年の八月、清河八郎は駿河台淡路坂のほとりに塾を開いた。三河町の塾が火事で焼けたあと、両国薬研堀の家は地震に逢って開塾できず、漸く三年目に念願を果たしたわけである。場所は昌平橋の南で、神田川をへだてて聖堂の森が見えた。
 しかし塾を開いてみると、思ったほどには門人が集まらなかった。最初の三河塾が、小さい建物だったにもかかわらず繁昌したのにくらべると、意外な感じがしたが、そのことにも八郎は時代の推移をみた」

タイ語入門からタイ語初級へ

昨日、「タイ語入門 火曜日13:00」のクラスの生徒さんから、『タイ語初級』のテキストを購入したいと言われたので、すかさずお売りした。
 このクラスは昨年9月からスタートしたクラスだが、最初は生徒が1名だけ。11月になって、もう1名、生徒が入会されたので、現在は2名。お二人ともものすごく熱心なので、教えていて幸せを感じる。
 昨日、無事に『タイ語入門』のテキストを終えた。20課(120ページ)のテキストを7ヶ月かけて、丁寧に勉強した。さあ、いよいよ本格的なタイ語学習である初級クラスへと入って行く。タイ文字も読めるようになっておられるから、生徒達は『タイ語初級』のテキストにもなじめるはずだ。
 タイ語中級クラスでは、同じテキストを3~4回、繰り返し使用している。いろいろな角度からテキストを復習することにより、タイ語の語彙の中に新たなる面白い発見がある。1年ぶりで学び直すと、成長した自分の学力が後押しをして、タイ語との相性がぐんと増えていること、間違い無し。

96歳の元寮監

先日、母校に行った折り、現在は廃寮となってしまった西寮(当時)の元寮監が大学前にあるレストランにいらしているという情報を得たので、私は元寮監に一目お会いしたくてそのレストランに行ってみた。
 96歳におなりになっておられたが、ジャケットとセーターを品良く着こなし、今でも現役の寮監として頑張れそうな眼光をそなえておられた。
 ご挨拶だけという気持ちでうかがったが、もう少しお話がしたくなり、私もアイスコーヒーを注文した。すると、元寮監は千円札をすかさず幹事に渡した。私のコーヒー代を支払うというのである。もちろん、私は遠慮した。ところが、元寮監はこうおっしゃられた。
 「私は皆さんにごちそうしたいのよ」
 それを聞いて、96歳の心意気にびっくり。私もあやかりたい。

スマホ翻訳の変

目下、ピカピカ先生のご両親が来日中である。桜を堪能され、買物もほぼ終わったことと思い、昨日、お食事会を打診した。すると、次なるタイ文+スマホ翻訳文が送信されてきた。
 นัดอาจารย์วันอังคารเย็นสะดวกไหนคะ
火曜日の夜に先生に予約をしてください。
 ดิฉันจะกลับวันที่11/4ไปกึงสนามบินนาริตะประมาณเที่ยงค่ะ เครื่องบินออกห้าโมงเย็นค่ะ คิดถึงอาจาจารย์นะคะ
私は正午にタイの11月4日に成田空港に戻ります。機械は5時に出ています。
 日本語の翻訳文は変だ。無いほうがいい。

卒業後50年お花見の会

昨日、母校の東京女子大学へ行った。「卒業後50年お花見の会」という催しが開催されたからである。50年ぶりに会った学友。5分もすれば、学友の顔が入学時(1965年)に初めて会った顔にもどっていった。
 私は仕事が忙しいという理由で、英米文学科の同窓会にはこれまで一度も顔を出したことがない。しかし、今回は行った。理由は卒業後、無事に50年、仕事を継続することができたという感謝の念を母校に示したかったからである。おお、50年!
 敬虔なる寮友が、「命の泉」と題して感話を述べた。私はキリスト教徒ではないが、母校へ行くと、賛美歌を歌い、聖書の一節を聞く。
 ヨハネによる福音書 4章13-14節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」

命の泉

昨日、母校の東京女子大学へ行った。「卒業後50年お花見の会」が開催されたからである。50年ぶりに会った学友。5分もすれば、学友の顔から入学時(1965年)に初めて会った顔が浮かび上がってきた。
 私は仕事が忙しいという理由で、英米文学科の同窓会にはこれまで一度も顔を出したことがない。しかし、今回は行った。理由は卒業後、無事に50年、仕事を継続することができたという感謝の念を母校に示したかったからである。おお、50年!
 鹿児島出身の寮友が「命の泉」と題して感話を述べた。私はキリスト教徒ではないが、母校へ行くと、賛美歌を歌い、聖書の一節を聞く。
 ヨハネによる福音書 4章13-14節 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」