東京オリンピックまであと3年

 昨日は、「東京オリンピックまであと3年」というニュースが何度も流された。今朝もまだそのニュースの続きが…..。
 日本人は期限を設定するのが好きな国民だと思う。昨日の朝、NHKに出た有森さん(マラソン)は、「スポーツ選手の場合、オリンピックの1年前には選考が決まっているから、練習と心構えはこれからの2年が勝負」と言い、「あと2年」を強調していた。
 ところで、今日のブログは、久しぶりの宿題である。「~まであと3年」という表現を作り、それをタイ語で書いてみよう。
例:1)卒業まであと3年、2)退職まであと3年、3)還暦まであと3年、4)子育てが終了するまであと3年、5)1千万円貯めるまであと3年、6)ローンの返済が終わるまであと3年、7)資産1億円を形成するまであと3年、8)復興まであと3年、9)タイへ移住するまであと3年。10)から以降の例文は、ご自分で考えてください。

同郷の生徒

 先月末、香川県出身の生徒さんが「他にやりたいことが出来ましたので」という理由で退会された。私と同郷であったという縁で、私としては彼が教室を去ったことが残念でならなかった。
 ところがである。7月に入って入会された方の出身地を尋ねると、「香川県です」という答えが返って来た。思わず「香川県のどこ?」と聞いてしまった。「丸亀」と彼は言った。私はびっくり。退会された方は高松出身であったが、新しい生徒さんはまさしく私と同郷だ。泰日文化倶楽部を創立して28年10ヶ月になるが、ついに丸亀出身者がタイ語を勉強しに来られた!
 出身地を尋ねる理由は、語学の勉強にとって必要なデータであるからだ。雪国出身者はあまり口を開けない。海に面していない県(例:栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、等)の出身者は大人しいという説が有る。外国語の上達には、内向的ではなくて外向的であることが望ましい。そして、外国人と会話するわけだから、外交的であることも必要だ。

99歳の目標

 昨日、生け花クラスが実施された。猛暑の中、いつもの生徒達があちらこちらから集まって来た。中には山梨県猿橋在住の方もおられる。生けた花は向日葵、レザーファン、そして、スプレーバラの三種。
 授業後、華道講師に尋ねてみた。「お母様はいかがです?」
 講師はこう答えた。「日野原先生が105歳でお亡くなりになったことが、99歳の母にはものすごくショックだったみたいです。母は日野原先生を目標としていましたから」
 それを聞いて、年齢に関係なく目標(เป้าหมาย)を有することはすばらしいことであり、それが長生きの秘訣なんだなあと思った。60歳や70歳はまだ若いほうの部類に入る。70歳を過ぎてからでも何かを始め、そして、憧れの人を想定して、わくわくした気分で毎日を送るようにしたいものである。

タイ展~仏の国の輝き~

 昨日の午後、東京国立博物館平成館で開催されている「タイ展」へ行った。猛暑だったので、平成館がいつもよりも遠く感じられた。しかし、館内に鎮座ましますタイの仏像が気持ちよく迎えてくれた。
 時間軸で展示企画されているので、タイの歴史が大まかに、そして簡単に理解できていい。入場者は中年から高齢者が多かった。かつてタイと関わりが有った方達であろう。
 「タイ展」は、日タイ修好130周年記念特別展だそうだ。1887年は明治20年。来年2018年は明治維新150年。遠い昔の人々の動きを学び直すのもいいと思う。
 いずれにせよ、日本と東南アジアの交流は飛鳥・奈良の時代までさかのぼれるから、歴史と文化の宝はいついつまでも我々を楽しませてくれる。

雹(ลูกเห็บ)

 7月18日の午後3時過ぎ、豊島区、北区に雹(ลูกเห็บ)が降った。その時、私はバスに乗っていたが、バスの屋根に砕石が投げつけられているような音がした。こんな経験は初めてだ。
 来週、私のところにタイ人女性達がバンコクから泊まりに来ることになっている。墨田川の花火大会を見に来るらしい。リーダー格のメイさんが池袋周辺に降った雹のニュース映像を私のところにラインで転送して来て、「ข่าวนี้จริงไหมคะ กลัวไปแล้วเจอลูกเห็บ このニュース、本当ですか? 行った時に雹に遭ったら怖いわ」という気持ちを添えている。
 もうすぐ東京にやって来るということで、東京の天気をチェックしているのはいいが、滅多にない雹のことでものすごく怖がっているのはどうかと思う。ニュースはあくまでも参考にするだけにとどめないと。さもなければ、東京はいつも雹が降っているように誤解をしてしまう。情報過多の時代だから心配も過多になって来ている傾向は否めない。
 
 

青森旅情(終)

 青森旅情は20回目を迎えたので、今日でひとまず終わりとする。しかし、書きたいことは山ほど有る。東京を離れてどこかへ行くことは感性を豊かにしてくれて良い。
 青森はのんびりしている。タイでいるかのような時間の流れを感じた。ニンニク畑を車で通った時、車の窓を開けるとニンニクの匂いがした。自然に触れて、単純に感激!
 滞在中、「大名の宝物 少女が発見」というニュースでもちきりであった。戦国時代の城館跡で、小学6年生の女子が巨大ザメ(カルカロドン・メガドロン)の歯の化石を発見したとのこと。それは三戸南部家の当主が「天狗の爪石」として宝物としていたものだが、ロマンあふれる話だ。
 最後に、タイの地図をひっくり返して見ると、青森県の形状そっくりに見える。これまたなんとも不思議…..。

青森旅情(19)

 私が八戸に滞在中、本八戸駅の駅舎内に東京にある諸大学のパンフレットを置き、のぼりを立てて業者が東京の大学を宣伝していた。それらを目にした高校生達は東京へ行こうという気持ちをよりいっそう掻き立てられるにちがいない。
 老舗のフルーツパーラーに入ると、親御さん達が子供の進学のことで深刻そうに話している。「早稲田? 慶応?」、と。
 東京にあこがれる気持ちはわかる。私もそうであったから。中心街にあるみろく横丁で知り合った屋台の店主(56歳)はこう言った。「一度は行ってみることですね。そういう私もそうでしたから」
 地方の街に活気が無いのは全国いずこも同じ。若い人が少なすぎる。井上やすし氏は「昌益国際フェスティバル・八戸」(1992年)で、「高いお金を使ってこのような会を開くよりも、そのお金で学校をつくったほうがいい」と述べたそうだ。地元に残ることを選択した若者に対して、創造的でためになる<学びの場>を提供するのは良い発想である。

青森旅情(18)

 「八戸へ行くなら番屋という店がお勧めです。私は3年連続で行ってます」というメールを元生徒から受け取ったので、早速、行ってみた。ただし、日本の居酒屋ファンには有名すぎるくらい有名な店らしく、果たして一見の者が入れるか否か心配であった。開店30分前から店の周辺をうろうろし、6時開店とともに入店。私は2番目。
 1番目の男性客と私の間に女性がするりと座ったので、カウンター席は次第に埋まっていった。私が牡丹海老を食べ終わると、女将が「頭はどうしますか? 焼きますか?」と聞いてきたので、「かたいですか? かたいのであれば要りません」と私。すると、1番目の男性と隣りの女性が口をそろえて「もったいない」と言った。そこで焼いてもらうことにして、3つの海老の頭を二人におすそわけした。二人とも東京から番屋をめがけてやって来ている居酒屋通であった。
 女将はとても気品のある方とお見受けした。あとで知ったのだが、ここのオーナーは詩人だそうだ。
 

青森旅情(17)

 「八戸は魚が旨いよ」と言われていたので、お土産は魚にしようと思い、陸奥湊駅前に在る朝市へ行って、魚を冷凍で友人に発送した。そして、生徒の皆さんには乾燥した魚のおつまみを買った。生干はぎ、焼あじ、焼いわし、あぶり焼小いわし、そして、開ぴんすけ、等々。「高級珍味 八戸産」の袋に惹きつけられたからである。
 ところが、ホテルに帰って来てそれらをもう一度見ると、生干はぎの原産国名はベトナム、そして、焼あじはなんとタイであった。八戸に来てタイの魚? 加工だけが八戸?
 八戸に来て、最近、漁獲量がかなり減ってしまったという嘆きをあちこちで聞いた。そして、デーリー東北新聞を読んでいると、三陸沖に中国の漁船が来ており魚を獲りまくっていると書かれてあった。海上保安庁の監視船もお手上げだそうだ。何故ならば、尖閣諸島で起きたような体当たり事件が小規模とはいえ、実際に発生しているから。

青森旅情(16)

 昨日、東武伊勢崎線の西新井へ行った。仕事はすぐに終わったので、午前11時半過ぎ、春日部方面から来た急行電車に乗って北千住まで行き、日比谷線に乗り換えた。土曜日なのに、西新井から北千住までは超満員。普段の山手線の通勤時間帯以上の混み具合にびっくり。中年男性の背中と私の背中がピッタリとくっつき、彼の汗と体温が伝わって来て気持ちが悪かった。
 ひるがえって、八戸市内を走るバスの話をしよう。中心街から本八戸までバスに乗った時のことだ。私の乗ったバスが本八戸駅で停車しなかった。JRの駅を素通りするバスに驚いた私は運転手に向って言った。「あのー、駅で降りたかったのですが」 すると、運転手は「お客さん、ボタンで知らせないからですよ」と怒った。
 よくよくバスの中を見渡すと、乗客は私一人であった。東京だと、誰かが先にボタンを押すから、いつもそれに甘えていた。 それにしても、乗っている客もいなければ、バスに乗り込んで来る客もいない。道理で時代遅れの型をしたバスが走っているわけだ。