優秀で素晴らしいユパナー先生!

昨晩、泰日文化倶楽部の元講師であるユパナー先生を歓迎する夕食会が開催された。ユパナー先生は4年前からシンガポール大学大学院で教鞭をとっておられる。毎年、神戸大学に客員教授でいらしていることを初めて知った。元生徒達6名も馳せ参じて、話がはずんだ。
 なかでも、シンガポール大学での話はとても興味深かった。そして、ユパナー先生の優秀さ、素晴らしさをあらためて認識させられた。
 先生は泰日文化倶楽部で教えておられた時、私にこう言い切った。
 「私は将来、タイ銀行の総裁になります!」
 私は、昨晩、彼女に確認した。「将来、必ずタイに帰って、タイ銀行の総裁になられるんですよね?」
 しかし、彼女は答えた。「タイのシステムはあまりにも悪すぎます」
 傍にいた元生徒がすかさず言った。「頭脳流出だなあ….」

玄妙なる表現

昨日は一歩も外に出ず、『利休に尋ねよ』(山本兼一著・PHP文芸文庫 2010年」を読む。第140回直木賞受賞作の長編歴史小説だ。昔、少しだけ茶道を習ったことがあるので、玄妙なる表現がちりばめられているこの小説に魅せられた。
 ~ 釜の湯が大涛を鼓って沸くように
 ~ 松籟を聞くがごとき釜の湯音の縹渺
 ~ 黒楽茶碗の肌の幽玄
 ~ 一服の茶に静謐にして力強い美
 ~ 天地星辰の悠久
 ~ 点前の座に凛とした気韻
 「曇りなき満月を愛でるより、雲がかかった閑寂な月をいつくしむのが侘び茶である」…と書かれてあった。

イタリアから絵手紙が届きました!

イタリアのシエナに留学しているN子さんから絵手紙が届いた。彼女はタイへ短期留学したことがあるので、再度、タイへ行く気持ちが固まっていたが、最後の最後で、イタリアに決定。手紙にはいろいろな内容が書かれている。それを箇条書きしてまとめると、こうである。
1.やりたかった勉強をとことんすることができ、毎日とても幸せです。
2.旅行会社でインターンをすることができるようになりました。
3.イタリア語の勉強のほかに、いろいろなことが学べました。たとえば、理論家ドイツ人とのケンカの作法、そして、古いものを長く大切にするこちらの人の暮らし方、など。
4.日本人&仏教徒としての自覚。
5.料理や絵を描く趣味も開花しました。
 N子さんのイタリア留学が大成功であったことを知って、私もとてもうれしい。

アフリカ蛸 & アルパカのセーター

 昨日、時々行く鮨屋に行った。「今日の刺身定食の刺身は何ですか?」と大将に尋ねると、「イカとタコ」と答えた。「それなら結構」と言うと、「イカとタコ、お嫌いですか?」と、反対に訊かれた。「おいしくないから食べたくありません。ところで、タコはどこのタコ?」とさらに尋ねると、「アフリカからですよ」、とのこと。丁度、私が坐っているカウンターの目の前にある冷蔵室の中にそのタコが置かれてあったので、まじまじと見た。
 「アフリカの人はタコを食べないけれど、日本人が食べると知ってからは、アフリカの人は夢中でタコを獲っているそうです。その影響で、アフリカからタコが逃げ出したみたいですよ」
 「私は岡山県下津井のタコ専門店でおいしいタコを食べたことがあるので、もう他所のタコは食べたくありません」と、私。
 夕方、セーターを買おうと思って入った店で気に入ったものがみつかった。アルパカのセーターである。アルパカと言えば、ペルーのアンデス山脈。なのに、ミャンマー製であった。店主は言った。「ペルーからミャンマーにベビーアルパカの糸を送らせて、ミャンマーで日本の会社が製造させているのです」
 一日にして、アフリカやら、アンデスやら、ミャンマーという国々のことに触れ、面白いといえば面白かった。

やっぱり英語

 先日、授業が始まる前に生徒の一人と話をした。彼はこう言った。
 「やっぱり英語の勉強が必要だと思います。企業の場合、いつ外国人の社長がやって来るかもしれない時代です。<さあ、今日からは英語で会議をしましょう>と言われてでは間に合いません」
 私は彼がどこに勤務しているのか知らなかった。彼は私に名刺をくださった。それを見て驚いた。有名な製薬会社の名前の中に、財閥系の名前が入っていたからである。統合されていたことを初めて知った。
 彼はさらに続けた。「さらなるビッグな会社が統合してくるかもしれません」
 新聞を読むと、アベノミクスの恩恵を受けた会社といえども、収益において明白なる上下がついているという。とすると、さらなる弱肉強食が繰り返されるというわけだ。
 タイ語はマイナー、英語はメジャー。しかし、タイ語を勉強する方達はビジネスとはそれほど関係が無いから、のんびり、楽しく勉強しようではないか。何語を勉強しても、語学センスはつくと思う。

和紙絵作家

昨日、アジア雑貨店「エイジア・パニック」の店主に誘われて、上野の都美術館で開催されている「第40回 太陽美術展 ~フランス官展ル・サロンとの交流~」を観に行った。そこで和紙絵作家と談笑する機会を持った。油彩やアクリル画が多い中で、和紙の作品は和み(なごみ)を与えてくれるような気がした。
 「母が亡くなった時、イメージがわいたの」と、初老の作家は言った。絵のタイトルは「星のゆりかご」。
 話をしていく中で、彼女がアメリカに住んで、アメリカ人に和紙絵を教えていたことがわかった。
 「アメリカの何州に住んでおられたのですか?」とたずねると、「オハイオよ」と答えた。
 私はさらに「オハイオのどこですか?」と訊くと、「コロンバスです」とのこと。
 オハイオには兄夫婦が住んでおり、義姉は和紙を使ったアートをやっているので、和紙絵作家にものすごく親近感を覚えた。彼女は和紙をたくさん蒐集しておられ、和紙を保管するためにわざわざ古民家を借りて、そこに作品も保存しておられるそうだ。

授業が面白くないという大学生

昨日、大学の講義が終わったあと、男子学生が私に近づいて来て、こう言った。
 「専門の授業が面白くないっすよ」
 「じゃあ、タイ語は?」
 「面白いっす」
 私は助言した。「教授はその道の専門家です。長く研究をして来られた方なのですから、授業が面白くないとか言わないで、しっかりと聴いてください」
そうは言いながらも、私は内心、彼が私の授業を愛してくださっていることが嬉しかった。今年4月に初めて会った時からすねたような態度を取っている彼に対して、私は根気よく彼を褒め続けてきた。その効果は彼のタイ語の発音にてきめんに現れてきている。とても上手になってきたのだ。嬉しい。

角度・視点の違い

「地方自治法施行60周年記念シリーズ」という記念切手の中で、今年9月10日に売りに出されたのが香川県の切手であった。昨日、新宿郵便局へ行った時、10シートを買った。同郷の友達にもプレゼントをしようと思って。
 香川県の切手は、①栗林公園 ②丸亀城 ③琴弾公園の銭形砂絵 ④平賀源内エレキテル ⑤小豆島のオリーブの5種類。
 丸亀出身の私としては、丸亀城の写真が気に入らない。何故ならば日頃から親しんでいる構図とはかなり異なっており、丸亀城の特徴である扇形の石垣の美しさが全く見られないからである。
 写真の提供元は丸亀市となっているが、写真を請け負った会社、そして、写真を撮った人は丸亀とは関係ない人であろうと想像する。
 いずれにせよ、角度や視点が異なると、趣きも風情も皆、変わる。ものごとを360度、じっくり見ることはなかなかできない。他者の視点も参考にすべきところだが、凝り固まった頭を溶解するには時間がかかりそうだ。

水嚢

 和紙で有名な埼玉県小川町のことをネットで調べていると、この小川町は和紙のほかに、地場産業として、絹織物、建具、日本酒、鬼瓦、そして、水嚢があることを知った。
 水嚢(すいのう)? 恥ずかしながら、どんなものか知らなかった。水嚢とは、「エゴの枠木に竹を編みこんで作った竹ざるで、そばやうどんの水切りをする」ところの厨房用品であることがわかった。
 水切りなら知っている。だが最近では竹ではなくて、金網タイプのものばかり。昔の名称を知って、少し賢くなった気がした。
 ついでに加えて言うならば、「背嚢」という言葉に関してはまだまだ知っている。だが、若者達はわからないだろうなあ…。何故ならば今ではリュックとか、バックパックと言っているからである。
 しかし、この背嚢という単語は兵隊や戦争と連動して時代錯誤的イメージが強いので、使わないほうがいいかもしれない。

銀杏

昨日、新潟から上京された方から銀杏をいただいた。100粒ほど入ったパックは200円也。安い!彼女は銀杏の殻を割るための専用ペンチまでも持参しており、割り方を実演してみせてくれた。そして、割った銀杏を茶封筒に入れて、それを40秒間、電子レンジに入れれば出来上がり、とも教えてくださった。
 銀杏の漢字は読めるようで読めない。何故ならば、「ぎんきょう」と読んでしまいがちだからだ。調べてみると、「ぎんなん」は、「ぎん+あん」が連声化のために、「ぎんなん」となったそうである。実が杏子に似ているので、そして、白いので、「銀+杏」から「銀杏」になったそうである。「観音」が「かん+おん」から、「かんのん」になったのと同じだ。
 明治・大正時代の小説では、「公孫樹」という漢字を目にする。これまた調べた情報によると、いちょうの木は、植えてから25年以上経たないと実をつけないので、中国人は孫のために植えておくそうである。
 また、中国では「鴨脚樹」とも書き、「鴨脚」の発音<ヤーチャオ>が、日本に入ってからは<イチョウ>になったということも知った。単語の由来を調べてみるのは面白い。