コールラビという野菜

 先週、長崎県から送られて来た野菜の中に、「コールラビ」という野菜が入っていた。生まれて初めて見る野菜だ。佐世保の八百屋さんの添え書きは、「コールラビ(無甘藍)という野菜を入れてみました。サラダや酢漬け、バター炒めやスープにもいいらしいです。どうぞご賞味下さいませ」
 玉ねぎくらいの大きさをしているが、実に固い。念のためにネットで調べてみると、「地中海北側産で、キャベツの仲間。蕪甘藍と書き、日本には明治時代(สมัยเมจิ)にすでに入っている」とのこと。「無甘藍」ではなくて、「蕪甘藍」であった。八百屋さんの書き間違えだ。「蕪」という漢字から、確かに蕪にも見えてきた。堅物の蕪という印象である。
 ネットで紹介しているレシピの中に、グリーンカレー(แกงเขียวหวาน)との相性がいいと書いてあった。早速、作ってみよう!

秀吉・利休・右近

3日前、佐世保の八百屋さんから野菜と果物の荷が届いた。段ボールには野菜が傷まないようにという配慮で、くしゃくしゃに丸めた新聞がたくさん入っていた。それは西日本新聞(5月27日)であった。数ページの中の或るページに眼がとまった。「博多 モノ語り(このシリーズは、風土が生んで、歴史が育てた博多のカタチ・地域の誇りを紹介するものです。物言わぬモノたちの声を聞いてください)」という文化欄だ。
 取り上げているのは、「南方録」(=わび茶を記す唯一の秘伝書)で、見出しには、「めくれば迫る利休の神髄」と書いてあった。豊臣秀吉と利休が九州箱崎茶会を開いたことを初めて知った。
 それはさておき、昨日は、『キリシタン史の新発見』(岸野久・村井早苗編 雄山閣 1995年)を読んだ。「高山右近の改易について」の中に、<利休と右近>という文章が有った。右近が利休の七哲(秀でた弟子)の一人であり、秀吉が右近の棄教を命じた際、仲介役として利休が動いたことが書かれてある。
 秀吉と利休と右近のつながり、そして、三者には茶の湯が介在していることが興味深かった。

ป(ปอ ปลา) の発音を会得して!

タイ語学習者の中で、ป(ปอ ปลา)の発音が不得手な方が多い。この文字を使ったタイ語は使用頻度が高い単語に多く見られるから、早く会得してもらいたいといつも思っている。
 例)ปลา(魚)เป็น(です) ปี(年) ไป(行く) แปด(8) ปาก(口) ปู(蟹) ปู่(父方の祖父) ป้า(伯母) ปาก(口) แป้ง(粉) ปวด(痛む) เปลี่ยน(変える) ประเทศ(国) ประชาชน(国民) ประชาธิปไตย(民主主義)
 先週、中級の授業を見学していたら、「ปวด 痛い puat 低声」と言うべきところ、発音が明瞭ではなくて、「บวช 出家する buat 低声」と発音する生徒さんがいた。タイ人が聞いたら、「この日本人はいつ出家するのかな?」と思うかもしれないから、「痛い」時は、ป ปลาの発音を意識して、明瞭な音を調音しよう。

高潔な人

『生き方の美学』(中野孝次著 文藝春秋 平成10年)は全部で13話から構成されている。話題を列挙すると、高潔、滋味、理想、名人、矜持、誠実、自足、清廉、使命感、無私、出処進退、友情、そして、パブリック・サービス、である。
 第1話の「高潔」の中には、小島祐馬(1881-1966)という元京都大学文学部教授のことが紹介されている。在任中、持前の高邁なる精神で、陸軍大将までこてんぱんにやっつけたものの、60歳の定年を機に潔く故郷の土佐に戻り、<南海の隠逸>として、晴耕雨読の毎日を送ったそうだ。吉田茂首相から是非とも文部大臣にと打診されても一顧だにしなかったとのこと。
 中野氏は最後にこう書いている。「それにしてもこういう人物がつい先頃までこの国にいたかと思うと、救われる気がする。それくらい昨今の政治家の行状は人間としてあまりにだらしないものが多すぎるのだ」

水曜日は6クラス開講中

泰日文化倶楽部では、水曜日の午後(13:00~16:30)に2クラス、そして、夕方から夜にかけて(18:00~21:30)、4クラスを開講している。合計すると6クラスになるが、このうちの5クラスまでが中級クラスだ。残る1クラスは、初級クラス。この初級クラスは昨日、入門クラスから昇格したばかり。
 中級クラスが多いということは、生徒の皆さんが3年以上、頑張って通って来られていることの証でもある。声調言語であるタイ語は難しい。タイ人講師の発音を真似すればいいだけの話だが、日本語の母音が5つ(あいうえお)しか無いこと、そして、末子音の~k,~t,~pが無いため、タイ語の音が耳で聞き分けできない。
 いずれにせよ、熱心に、楽しそうに勉強している光景を見ると、私はそれだけで嬉しい。

或るタイの山岳民族の話

某書に次なる話が書かれてあった。それは、日本人駐在員が庭の手入れをしてもらうため、ロンドンで老人を雇ったところ、非常に丁寧な仕事をしてくれたため、それを見た別の日本人一家が「我が家もお願いします」と頼んだが、老人は断った。理由は残りの人生を楽しむ時間を確保していたいから。
 この話を読んで、私は或るタイの山岳民族の話を思い出した。今から35年前、東京の某音楽大学の教授がタイの山岳民族の音楽を現地調査する際、通訳を雇った。そして、数年後、第2回目の調査に出かけた時も同じ通訳にお願いした。しかし、断られた。理由を尋ねると、「前回、先生からいただいた通訳料で家を建てることができましたから」、と彼は言ったそうだ。
 教授は私の元教え子である。山岳民族の音楽を採取したレコードを贈呈してくださったが、なんと50代であっけなく他界された。研究生活に追われていた教授の死を山岳民族の通訳は知るよしもない。

針(เข็ม)の話

タイでは新学期(=最初の木曜日)の恒例行事として「拝師の日(วันไหว้ครู)」が有る。この儀式において、生徒達は先生に、3種類の植物、即ち、หญ้าแพรก(イネ科の植物→こうべをたれて謙虚に先生の言うことを聞く)、 ดอกมะเขือ(茄子の花→先生の指導を早くのみこみ、学業を成就させる)、 ต้นเข็ม(針の木→常に頭を鋭敏にしておくこと)を捧げ、一年間、いい生徒であることを誓う。
 私の場合、蛍光灯スタンドの台のところに、縫い針を1本(เข็มเย็บผ้า ๑ เล่ม)置いてある。頭がいつもシャープに働くことを願って、そうしているのだ。
 針に関する単語では、時計の短針(เข็มสั้น)と長針(เข็มยาว)、注射針(เข็มฉีดยา)、コンパス(เข็มทิศ)、ベルト(เข็มขัด)が有る。
 『タイ日辞典(冨田竹二郎編纂)』の中に次なる表現を見つけた。
「ฝนทั่งให้เป็นเข็ม 鍛冶屋の金床を研いで針にする → 全力を尽くして成功するまでとことん頑張る」 (注:ฝนは雨ではなくて、この文章では、研ぐという動詞である)

夏祭の太鼓と笛

お茶の稽古の時、2週間続けて、茶道講師は太鼓の形をした棗、そして、笛を模した香合を用意された。その意図は「夏祭」だそうである。
 今年の三社祭は5月19日から21日までであった。しかし、これから先、日本全国津々浦々で夏祭が展開され、やがてお盆を迎えるという運びへ….。
調べてみると、夏祭とは「夏に多い災害や疫病を祓おうとするところから起こったようである」とのこと。
 このところ7月の気温が続いているので、体調が芳しくないという生徒さんや友人がいる。弱気になってくると、邪気や悪霊が身体に忍び込んで来やすい。気分が滅入ってくれば、深川不動尊へ行くといい。護摩をたく時の太鼓の音を聞けば、身体の中の邪気と煩悩が完膚無きまでに叩きのめされる。

Y子さんへの助言

Y子さんが泰日文化倶楽部に入会されたのは7年前。途中、1年ほど休学していたが(注:他校へ浮気)、再び泰日文化倶楽部に舞い戻って来られた。復帰後は個人レッスンを選び、マイペースで通って来られている。
 彼女の様子を見ていると、タイが本当に好きなのかどうか疑問だ。だが、彼女なりにタイとの接触方法をいろいろと探し出し、タイへもよく飛んで行っている。今日この時点においては、彼女、バンコクだ。
 私は彼女に助言した。「そんなによくタイへ行かれるのであれば、タイ語の音感をつけて来てください」
 何故、このように言ったかといえば、彼女のタイ語の発音がいかにも日本人的だからである。タイのどこへでも一人で旅行する度胸がある彼女。持前の明るさで楽しい旅を繰り返している。惜しむらくは発音だ。

編物の一進一退

「60の手習い」ということで編物と生け花を始めて早くも10年。編物は家でもどんどん編み進めることができるので、指の運動を兼ねて、棒針を動かしている。目数を数えることは脳への刺激になってよい。
 だが、我れながら上手になったなあと思って慢心した途端、表編みと裏編みが逆さになっているのに気付いた時のショック。さて、どうしたものか。自分が着るのだから、少々のミスは大丈夫。
 しかしながら、それをどうしても許さない自分がいる。そこで大幅にほどきなおすことになる。一度、失敗すれば、自分でも懲りるのだが、数日が経過すると、また同じ失敗を発見。
 こうして、暑い毎日でも、冬のおしゃれを想定しながら毛糸と格闘している。一本の毛糸とはいえ、決して侮れない。蛸の足よりもどんどんからんで来るからだ。編物の「一進一退」とは、「一針一糸」なり。