針(เข็ม)の話

タイでは新学期(=最初の木曜日)の恒例行事として「拝師の日(วันไหว้ครู)」が有る。この儀式において、生徒達は先生に、3種類の植物、即ち、หญ้าแพรก(イネ科の植物→こうべをたれて謙虚に先生の言うことを聞く)、 ดอกมะเขือ(茄子の花→先生の指導を早くのみこみ、学業を成就させる)、 ต้นเข็ม(針の木→常に頭を鋭敏にしておくこと)を捧げ、一年間、いい生徒であることを誓う。
 私の場合、蛍光灯スタンドの台のところに、縫い針を1本(เข็มเย็บผ้า ๑ เล่ม)置いてある。頭がいつもシャープに働くことを願って、そうしているのだ。
 針に関する単語では、時計の短針(เข็มสั้น)と長針(เข็มยาว)、注射針(เข็มฉีดยา)、コンパス(เข็มทิศ)、ベルト(เข็มขัด)が有る。
 『タイ日辞典(冨田竹二郎編纂)』の中に次なる表現を見つけた。
「ฝนทั่งให้เป็นเข็ม 鍛冶屋の金床を研いで針にする → 全力を尽くして成功するまでとことん頑張る」 (注:ฝนは雨ではなくて、この文章では、研ぐという動詞である)