みどりの窓口

 山手線目白駅は、昨年11月中旬以降、みどりの窓口が閉鎖された。切符を買う人は機械で買えということになってしまった。私は駅員さんから対面販売で切符を買うのが大好き人間なので、とても残念でたまらない。
 致し方無く、高田馬場駅のみどりの窓口へ行った。しかし、年末だったから、大勢の人が並んでいる。そこへ、駅員がやって来て、「機械で買ったほうが早いですよ」と、一人一人に勧めていく。私は断固として応じなかった。私は駅員さんから買う切符のほうが好きだから。
 銀行統合が進んで、ATMを使えと仕向けられてきてからもう久しい。そして、それにすっかり馴れてしまった。
 機械化が進むにつれて、言葉がいらなくなる。言葉を使わないということは、人間関係も薄らぐ。人間の表情を見て、そして、会話を交わして生活を営んでいかなければ、人間は言葉に弱くなる一方だ。みんな、もっとしゃべろうではないか。無言の世界は気味が悪い。

今日は「110番の日」

 今日は1月10日。「110番の日」である。
 私にはタイ語を勉強した元生徒達が全国にたくさんいるが、その中には東京でタイ語研修を受けた警察官達も含まれている。年賀状を交わしているので、彼らのお子さん達の成長ぶりがよくわかっていい。地方の産物を送ってくださった時には、お返しとして、子供達にクリスマス・プレゼントを送ることにしている。
 年末に御礼の電話が来て、2~3分、しゃべっている時に、「うちの息子、1月10日生まれなんですよ。110番の日に生まれたんですよ」と、聞かされた。それを聞いて、すかさず、私は言った。
 「あらあら、それは珍しいですこと。それじゃあ、息子さんの将来は、もう決まりですね」
 そうは言ったものの、肝心の息子さんの希望は? まだ小さいからわからないであろう。

御用聞き

 メールの時代に入ってから、もうかなりになる。今や、主流はLINEだ。便利でいいのだが、65歳以上の高齢者が若者と同じ乗りで、手短に連絡することにいささか違和感を覚える。何よりも言葉の使い方がぞんざいになっていくのがいやだ。しかし、年下の人達は、少しでも短い文章を好むらしい。
 最近は、全く電話をかけなくなった。相手の声を聞くことはいいことだと思うのだが、相手が無駄話をいやがるかと思うと、あえて電話をしない。
 先週、大学生達に「御用聞きって言葉を知ってますか?」と尋ねると、誰からも全く反応が無かった。現代においては、インターネットで注文することができる。もう御用聞きという言葉は死語になってしまったのであろうか。
 感じのいい人、言葉づかいがきれいな人、腰が低い人が注文取りに来ると、何か頼みたくなるのが人間の常というもの。ましてや、ハンサムな若者が明るい声でやって来ると、商家の奥様なんかは、つい余計に注文したくなったものだ。しかし、マンション暮らしになり、かつ、生協とかコープとかの業者が出て来てからは、すべて電子注文と化し、人間的な交流が消滅した感が否めない。

<出会いぞ命>

 今年は真面目に読書したい。そう思って、高田馬場駅前のビルの中にある芳林堂へ行った。本についている帯はあまり好きではないが、あるコーナーに積み上げられた本には、これまでに見たことがない帯がどの本にも同じように巻かれていた。
 「2014年 冬 ここでしか手に入らないかもしれない岩波の希少本 売り切りで、ごめんなさい」
 このキャッチコピーに誘われて、『由布院に吹く風』(中谷健太郎 岩波書店 2006年)を買った。昨年10月、大分県に結婚式に行ってからというもの、大分県のことをもっと知りたく思っていたからである。
 由布院とくれば温泉、そのイメージしかなかったが、この本は由布院の地域づくりに尽力し、音楽祭、映画祭、牛喰い絶叫大会、郷土料理開発などを実践してこられた中谷健太郎氏の本音が詰まっていた。いくつかの町を合併させて市にするという一方的な行政のやり方の弊害がよくわかった。中谷氏は言う。
 「<出会いぞ命>ですよ。場所と人とが出会えば、人生が始まる。<境遇>ってそういうことでしょう、だから境遇は変わる、運命も変えられます」
 今年、高田馬場4丁目の泰日文化倶楽部に、どうか楽しい、そして、運命を変えるような出会いが有りますように!

泰日文化倶楽部 始動

 昨日より泰日文化倶楽部が2015年の授業をスタートさせた。2週間の年末年始は長いようで短かった。生徒の皆さんの様子を拝見すると、特別に気負っているふうでもなく、おだやかな表情をしておられる。今年も楽しく勉強できそうだ。
 そんな中、元生徒さんからメールが届いた。最近、タイやラオスへ行く機会が増えてきたので、またタイ語を勉強したいという内容であった。大歓迎だ!
 いろいろな事情が有ってタイ語の勉強を中断された方達でも、タイへはいつも思いを馳せている。その気持ちさえあれば、タイ語の勉強の再開はいつだって可能。中断している間にタイのこと、タイ人のことが、もっと詳しくなっていることも考えられる。
 語学はテキストだけを一方的に勉強してもつまらない。幅広い総合力があってこそ、語学力がつくと思う。
 

若者の模索

 バンコクから一人で武者修行に来ているタイの高校生が富士山を見たがっていた。そこで、昨日、河口湖へ連れて行ってあげた。
 新宿からバスに乗ると、タガログ語が聞こえてきた。そして、フランス語も…..。フィリピン人もフランス人も皆、富士山見物らしい。
 河口湖に着くと、富士山が一番きれいに見えるホテルの展望台へ行き、美しい富士の姿をまぶたにおさめる。高校生は大いに感動してくれた。
 そのあと、富士急ハイランドへ行き、ジェットコスターの入園口で切符を買っていると、ハイソ―なタイ人御一行様と一緒になる。
 帰りのバスは中国人だらけ。皆さん、遊び疲れているのか静かに眠ってくれていたのでやれやれ。
 新宿から山手線に乗ると、仕事始めの若い会社員が同僚らしき女性にタイの話をしている。
 「タイへ行くと、オレ、人生が変わる感じがするんだ」
 その話を高校生に訳して聞かせてあげた。何故ならば、高校生も新しい人生を探して、日本に刺激を求めに来ているからだ。

タイ語よりもタイ料理

 年賀状の中に、「タイ語はもう忘れました」という内容のものが多く有った。そして、「タイ語は忘れましたが、タイ料理の味は忘れません」という文面に接した時は、正直でいいなあと思った。なるほど、学ぶよりも食べることが大切なんだ。
 あの強烈な辛さのタイ料理を食べれば、もはや絶対に忘れることはないであろう。小さい時にタイに住んでいたという帰国子弟に対して、「何を覚えていますか?」と尋ねたところ、「タイ料理です。舌が覚えていますね」という返事をもらったことを思い出した。
 タイ語の勉強には根気が要求されるが、タイ料理ならすぐ口にもっていける。なかなか覚えられないなあといういらいら感に対して、タイ料理はすぐに満腹感を充たしてくれる。今年もやはりタイ料理には勝てないのであろうか?
 昨晩から、NHKの大河ドラマが始まった。松下村塾における幕末の青春群像が下敷きになっている。我がタイ語塾にも新しい若者がやって来て、熱意を持ってタイ語を勉強してくれることを強く願う。

聞こえてきたのは、なんとタイ語!

 昨夕、年賀状の返信を少しでも早く出すため、新宿郵便局へ行った。目白駅から山手線に乗ると、乗客はまばら。ああ、世の中はまだ三が日だなあと思いながら、新宿へ。
 電車を降りると、うわあ、大勢の人! そして、聞こえてきたのはタイ語!
 なんだ、なんだ、タイ人がホーム・ジャック? タイ人の観光客を見て、彼らの旅行欲に圧倒された。いや、圧タイされた。
 このぶんだと、今年、いったい何名のタイ人が日本にやって来ることやら…..。
 泰日文化倶楽部の皆さん、趣味的な勉強はさておき、黒船ならぬ、泰船を受けて立とうではありませんか。
 タイ人パワーはすごい、すごい。彼らの日本に対する関心度は以前の10倍に沸騰していること、間違いなし。

HM氏の年賀状

 年賀状を出すのも大変だけど、頂いた年賀状を読むのも大変。印象に残ったのは、今年もやはり元生徒のHK氏(65歳位)からのものであった。
 「暮れから予定していた仏領ラバ島旅行は、タヒチからの船便が相変わらず3ヶ月に1度なので断念して、新春早々ラオスに転進します」
 仏領ラバ島? 恥ずかしながら初めて聞く名前だ。3ヶ月に1度の船便? まだそのような場所が現代の世界に残っていたとは!
 HK氏の年賀状には、「実は昨年、北海道で交通事故に遭い、搭乗者6名のうち1名が亡くなったので、今回ほど<迎春>という言葉を重く意識した事はありません」と冒頭に書いてあった。
 だが、さすが、世界の秘境を撮影しまくる彼。死んでたまるかの精神。今ごろはラオスの山の中に入ってカメラをまわしていることであろう。

戦後70年という今年

 元旦、群馬県で行われた「ニューイヤー駅伝」のTV中継で実業団のトップランナーのすがすがしい走りを見た。そして、夜は、ウィーンフィル交響楽団の「ニューイヤー・コンサート」を楽しんだ。
 特に、インド出身のズービン・メータ氏が指揮されたことが嬉しかった。メータという意味は、<慈悲>。サンスクリット系の単語だから、アジア諸語にもこの単語は生きている。洋の東西で活躍するメータ氏。彼の指揮棒により、東洋にも西洋にも、どうか仏陀や神の慈悲が満ちあふれますように…..。
 今年のマスコミは、正月早々から「戦後70年」という表題を掲げ、いろいろな番組を提供してくれている。戦後生まれの私はもう何度も見た映像であるとはいえ、区切りの70年となると、再び見るのも悪くはない。何故ならば、初めて見る映像に、新たなる視点が得られるからだ。
 それにしても、東京の変容にはあらためて驚いている。2020年の東京オリンピックまであと5年半。東京はどこまで変わるのであろうか? 東京のパワーを感得しながら、今年も始動だ。