某作家のブログ

最近、某作家のブログを読んでいる。心の叫びが単語一つ一つから聞こえて来る。彼は書き続ける意欲で満々。私より2歳上。私も見習いたい。

今日の語彙

タイ語で書きなさい。

1.疲れた ________ 2.汗_______

3.バラの花 ___________ 4.枕 _______

5.ヘルメット _______ 6.法律 ______

7.王宮前広場 _______ 8.ストロー _____

9.証拠 _________ 10.派手な ______

11.道に迷う ______ 12.仰向けに寝る ______

13.女医 _______  14.アスパラガス _______  

タクシー運転手の言葉遣い

私は仕事の関係でタクシーを利用することが多い。従って昨日から始まったライドシェアには関心が有る。タクシー会社がライドシェアの運転手をやりたい一般人に訓練をする様子が昨日のニュースで報じられた。訓練項目の中には接客のための言葉遣いも有った。

昔のタクシー運転手は恐い感じがした。だが最近は違う。彼らの接客態度と言葉遣いはとても上品である。たとえ一区間しか乗車しなくても嫌な雰囲気を見せない。私は大きな道しか利用しないので、私が降りるとすぐに誰かが乗車する。運転手にとっては非常に効率的なのである。

今日、言いたいこと、それは言葉は訓練であること、そして、上品に話すか否かも意識の訓練であることだ。

灌仏会

今日4月8日は灌仏会である。やさしく言えば、花まつり。お釈迦様の誕生を祝って、小さなお釈迦様の像に甘茶をかける。頭からかけると、甘茶がどんどん下方へ向かい、お顔も身体もとても涼しそうだ。

甘茶をかける理由をネットで調べると、「お釈迦様が生まれた時に九頭の龍が現れ、頭から香湯(甘露の雨)を注いだという伝承に由来する」と書いてあった。日本では稚児行列をして子どもの健康を願ったものだが、現代ではあまり見かけなくなった。

「ศักยภาพ 潜在能力 (サッカヤパープ)」という単語が有る。「ศักย(サッカヤ)」の語源は釈迦だ。釈迦の能力のおすそ分けを願って、日々、研鑽を積み、眠った自己の能力を顕在化して行きたいものである。

今日の翻訳

『สารคดีชุดถิ่นทองของไทย』(สมัย สุทธิธรรม/สำนักพิมพ์โอเดียนสโตร์ พ.ศ.๒๕๔๒)の「สุรินทร์

」から出題する。

๑. ในสมัยขอมชุมชนแห่งนี้มิได้ชื่อเมืองสุรินทร์ แต่เมื่อขอมเสื่อมอำนาจลง ไทยจึงมีบทบาทและอำนาจเข้าครอบครองดินเดนส่วนนี้

๒. โดยขั้นแรกเมื่อขอมหมดอำนาจลง บริเวณแถบนี้ถูกทิ้งให้มีสภาพเป็นป่าดง เสมือนหนึ่งเป็นดินแดนตกสำรวจ เป็นเขตเขมรป่าดงมานาน

๓. นับแต่สมัยสุโขทัยมาจนถึงสมัยอยุธยาตอนต้นและตอนกลาง ก็มิได้มีบันทึกหรือกล่าวถึงเมืองสุรินทร์แต่อย่างใด

๔. ได้มีชาวเมืองอัตตะปือแสนแป ซึ่งเป็นเมืองอยู่ในแขวงจำปาศักดิ์ อันมีพวกส่วย พวกกูย ได้เดินทางด้วยกองคาราวานช้าง ข้ามมาจากฝั่งซ้ายแม่น้ำโขงมาสู่ฝั่งขวาตรงกันข้ามกับอำเภอโขงเจียม จังหวัดอุบลราชธานี ในปัจจุบัน

コ/ヨ

視力の衰えを感じる今日このごろである。カタカナの「コ」と「ヨ」が紛らわしくなった。「ココ」が「ヨコ」に見える。しかし、「トヨタ」はちゃんと読める。おそらく頭の「ト」と、最後の「タ」だけ読んで、あとは類推しているのであろう。

漢字も怪しくなって来た。「二」と「三」の横棒の数が滲んで見える。「日」と「目」も然り。そして、読む時だけではなくて、書く時も困るようになった。自分の書いた漢字の線が歪んで見える。「曲」という漢字は横線も縦線も一本多く書いているような錯覚を覚える。

こんな状態だから、タイ語のタイプミスに気づくのが遅くなった。「ถ/ภ ค/ต ฎ/ฏ」等々、タイ語には形が類似した子音が多い。タイプ後、2~3回は読み直すのだが、それでも気がつかないとは…..。由々しき問題だが、年齢のせいだから致し方ない。

初代の生徒さん

4月に入り、懐かしい生徒さんから嬉しいメールを頂いた。彼は泰日文化倶楽部の初代の生徒だ。来年、定年を迎えるので、またタイ語を勉強したくなったそうである。今月中旬、転勤で東京に戻って来る故、泰日文化倶楽部に30年ぶりに復帰したいとのこと。

泰日文化倶楽部は1988年10月に創立。その時の生徒さんは8名。彼はその一人である。バブル崩壊、阪神淡路大震災、アジア通貨危機、リーマンショック、東日本大震災、タイの洪水、そして、究極はコロナの4年間……..。歴史の大波に揺られて、笹の葉のような泰日文化倶楽部はいや、もう大変だった。

初代の生徒さんの復帰はこの上なく嬉しい。彼の学習馬力のすごさは今でも覚えている。最近、30年ぶりにタイへ行ったが、彼のタイ語は錆びついていなかったとのこと。これまた嬉しい話だ。

今日の作文

1.刺身も美味しいが、焼き魚や煮魚も美味しい。

2.バンコクへ行くと、私は「แป๊ะซะปลาช่อนนึ่ง」という魚料理を食べるのが楽しみだ。

3.西京焼きの西京は京都を意味しているそうだ。

4.西京焼きの魚は京都の白味噌の中に漬け込まれた魚を焼く。

5.くさやは伊豆諸島の特産品で、くさや液の中で発酵させた魚を乾燥させて製造する。

6.ナコンパトム県産の上質の「海老味噌 กะปิ」は白米と食べると美味である。

習い事

入学式や入社式のニュースを見ると、新社会人がとても初々しく見える。未知なるパワーがうらやましい。一般社会人にとっても1月より4月のほうが気持ちが前向きになれるのではなかろうか。桜も後押ししてくれるから。

日本人は習い事が好きである。だが、長続きする人と簡単にやめてしまう人とに分かれる。願わくば前者であってほしい。やめたいと思っても続けることが大切。やめたいと思う「迷いの壁」を通り抜けると、その後は続く。

今朝のタイのニュースで、コンケン県の公立学校の数校が入学前に「แป๊ะเจี๊ยะ」を徴収していることが報じられた。語源は潮州語。意味は「権利金」とか「追加料金」。本来、徴収してはいけない「ただ食いの金」だから、由々しき問題だ。

桜とY子さん

シンガポール在住24年のY子さん(元生徒)が今日から私の家にやって来られる。目的は富山にいるご両親に久々に会うことだが、もう一つの目的は桜を見ること。何故ならば、時々、来日してはいるものの、桜の季節ではなかったため、今回が20年ぶりだそうだ。

今年の東京の開花予報は3月19日~22日と言われていたので、4月には桜の満開は過ぎているかもしれないと彼女に伝えていた。だが、3月下旬の寒さが功を奏して、Y子さんは間に合った。

外国暮らしをしていると、しかも年をとればとるほど、桜が恋しくなる。だが、帰国は思うようにいかない。そして、桜がいつ開花するか年によって予測がつかないから、来日時期を選ぶのは難しい。日頃の行いがいいからか、そして、シンガポールで頑張っているからか、桜はY子さんを待っていた。