目にもさわやかな夏服のセーラー服

昨日は朝から仕事が入っていたので、7時半頃、目白駅へ行った。すると、改札から出て来る女子高校生がいっぱい。皆、夏服のセーラー服になっている。白くて清潔だ。さわやかそのもの。
 山手線に乗って西日暮里へ。それから千代田線に乗り換えようとすると、ものすごい通勤客。皆、黙々と会社へ向かっている。
 普段とは違う時間帯に、いつもは行かない路線に乗るということは東京発見になっていい。いや、同じ駅でも、時間帯によって、人の流れが全くちがう。
 今日の東京は30度に達するらしい。今年に入ってから18日目の夏日だと天気予報のお姉さんは言っている。
 暑い戦いを乗り切る対策を今から講じておかなければ。そう思っているところに、茨城からメロンが届いた。幸せだ。
 いずれにせよ、一日24時間を有効に使い、そのうちの1~2時間をタイ語に充てれば、夏休みのタイ旅行が有益なものとなること間違いなし。

71歳のカイマナヒラ

昨日、「ドイツの白アスパラガスを食べる会」に参加した。幹事さんはスペイン語を専攻された方だが、現在の仕事はドイツ関係。聞くところによると、空輸されて来た白アスパラガスは極めて高価なものだそうだ。マンションの近くのレストランのシェフの腕にかかると、さらに美味しさが加味された。
 幹事さんは海外駐在でつちかわれたユーモア精神で、いつも笑わしてくださるが、その彼が上智大学時代の旧友を連れて来られていた。その方がたまたま私の隣りに坐られたので、現在の上智大学のことを話して聞かせてあげた。
 その方は大学生の頃からハワイアンをやっておられ。今もステージで歌っておられるとのこと。皆で「カイマナヒラを歌ってください」とお願いすると、とても美しい歌を歌ってくださった。71歳のハワイアン。歌の節々にロマンを感じた。50年以上、歌い続けられているが故の響き。発声は訓練しなければならないことを教えられた。
 この日の夜もステージでバックをつとめるということで、レストランをあとにされた。

第97回「アジア女性のための生け花クラス」

昨日、第97回「アジア女性のための生け花クラス」を実施した。嬉しく思ったことは、台湾からの女子留学生が参加したことだ。彼女にとって日本伝統の生け花はもちろん初めて。素直に華道講師の指導に従っている姿が可愛かった。
 彼女は早稲田大学大学院で一緒に学ぶクラスメートであるミャンマー人留学生と一緒に教室に現れた。ミャンマー人は7ヶ月前に来日した男子留学生であった。彼は生け花クラスをじっと観察していた。
 そういう彼を女性達が反対に観察した。何故ならばものすごく上品で優しそうな若者であったからだ。
 彼を知っているという日本女性が説明してくださった。「ミャンマーではお医者様をしておられます。医学だけではなくて、政治も勉強しなくてはということで、日本に留学して来られたのですよ」
 彼は来日前に日本語を勉強して来たそうだから日本語もうまい。だが、何と言っても彼の英語だ。とても美しい英語を話した。品格を感じた。

今日も復学生徒あり

先週、かつての生徒さんが見学に見えた。そして、土曜日の初級クラスに、今日から復学されることになった。
 「いつ、おやめになったの?」と私がたずねると、「地震の時です。ですから4年前です」、とのこと。
 彼はさらにつけ加えた。「タイ人講師もタイに帰ってしまわれましたよ、あの時は」
 そう言えばそうだった。東日本大震災で、泰日文化倶楽部も少なからず影響を受けたことが懐かしく思い出された。
 そして、同じ年の10月から11月にはタイの洪水があり、これまたいろいろと影響が有った。天災、及び、人災は怖い。世の中、平安でないと、勉強もおちおちしていられない。

新しい生徒・復帰した生徒

4月は何かと忙しく、休学した生徒が数人おられたが、5月中旬を過ぎると、嬉しいことにちゃんと復帰してくださった。
 「私はタイ語をやめない」という精神。それがすばらしい。
 昨晩、新しい生徒さんが「タイ語初級 木曜日19:00」のクラスに入会された。このクラスは、3月までは3名の生徒がいたが、三宅島に転勤になった方がおられ、4月からは2名だけになっていた。再び3名になり、クラスのバランスがよくなった。
 1クラスの理想の人数は4~5名だ。みんなで仲良く、そして、刺激を受けながら勉強してもらいたいのが私の希望。
 先週からクーラーをつけている。先月上旬は、たしか暖房をつけていたのだが….。
 季節のうつろいは実に早い。暑い、暑いという前に、エンジン全開で勉強しよう!

東京の中のローカル

ホームステイしていたタイ人姉妹から次のように言われた。
 「これまで5回、東京に来ましたが、今度の旅が一番よかったです。東京のローカルなところがたくさん味わえました。ツアーで来ると観光地しか歩きませんから」
 「えっ、東京のローカル? 十分に都心なんだけどなあ」と、私は口の中で言ってみた。
 しかし、よくよく考えてみると、観光客には、上野、浅草、銀座、渋谷、原宿、そして、新宿が東京なのだ。鬼子母神のあたりを歩いて、人が少ないのに驚いていた。
 我々日本人も同じ。ツアーで海外旅行をすると気ぜわしい。タイは自分で歩くことだ。バンコクも自分で発見するとよい。でないと、いつも同じところへ行ってしまいがちだから。

ハンコ

我が家にホームステイしていたタイ人姉妹と子供2人を案内して、一昨日、サンシャイン水族館へ行った。鬼子母神から都電に乗って、2つ目の東池袋で下車。歩いていると、妹さんのほうが、ハンコ屋の店先に置いてあるハンコに興味を示した。
 「私の名前はディーです。ハンコ、有りますか?」
 「有りませんね」、と私はすかさず答えた。
 「それじゃあ、エーは?」
 そこで私はエー音から始まる姓のハンコを探してみた。エーだけのハンコは有るはずがない。
 彼女はどうしても欲しそうであった。その願いをかなえてあげるために、私は「江戸」というハンコを勧めた。
 「エーディー ではなくて、エドだけど、限りなく音が近いと思うの。江戸は江戸時代に由来するし、東京のことだから、いい思い出の品になりますよ」

今日からブログは14年目に入ります

今日からこのブログは14年目に入る。13年間、元気で書き続けてくることができ、健康の神様に感謝だ。
 或る本に書いてあった。「作家になるには、まずは4千枚の原稿用紙を書くこと」、と。
 私は毎日1枚程度の文章を書いてきた。旅行に出かけた時は書かないから、1年で360日、書いたとするならば、360枚x13年間=4,680枚。
 おお、この数字は作家になれる条件を満たしたことになる。
 だが、ただ書けばいいというものではない。取材力、構成力、そして、掘り下げるテーマが今のところは特に無し。
 かくして、これからもただ気楽に、静かに、毎朝、感じたことを書いていくだけである。

父親のことを書いた本

本を読んでいると、母親のことを書いた描写がたくさん有る。感銘した文章を拾い集めれば、それだけで『母』という本が一冊、編めそうだ。
 それに引き換え、父親に対する描写は少ない。だが、『父、吉田健一』(吉田暁子 河出書房新社 2013年)という本を読んで、娘から見た父親像の描写力のすばらしさに呻った。
 著者が32歳の時に父親は亡くなったそうだから、32年間の思い出しかないわけだが、幼少期は何が何だかわからないし、著者が留学している間は一緒に暮らしているわけでもないから、そして、父親が家で執筆活動をしていたので、べたべたした関係であったわけではない。
 だが、父親の姿をしっかりと観察していた娘。そして、30数年後に静謐な文章で父と娘の関係を描写した。
 誰しもが1冊の私小説を書けると言われているが、素人の書いた作品は一人よがりで、読めたものではない。文章を書く背景には相当の観察力と耐え抜いた経験が要る。

タイの女の子とざるそば

一昨日よりタイ女性2名(姉妹)と子供2名が我が家にホームステイをしている。お姉さんのほうがイー先生と同級生なので、イー先生も交えてみんなで食事をすることにした。日本料理がいいと思って、行きつけの割烹へ行く。子供は7歳の坊やと3歳半の女の子。とても可愛い。孫みたい。
 姉妹は刺身。しかも中トロが大好き。さて、子供は何がいいかしらと思っていたら、3歳半の女の子が「ざるそば」と言い出した。日本に着いたその夜に「ざるそば」とは! それにしても何故、ざるそばを知っているのであろうか? バンコクの日本料理店でよく食べて、味を知っているにちがいない。
 「ここはざるそばのお店ではないから稲庭うどんでがまんして。ざるそばならコンビニで売っているから、帰りに買いましょうよ」と言うと、母親が「コンビニのざるそばはおいしくない」と口をはさんだ。
 やがて冷やし稲庭うどんが運ばれてきた。女の子はおいしそうにすすって食べた。やれやれ。
 それにしても、バンコクにおける日本食ブームが3歳半の女の子にまで徹底しているとは! いやはやすごい。