今日のタイ語作文

 『地方消滅』(増田寛也編著 中公新書 2014年)から出題する。

1.国の将来ビジョンを描く際、まず把握しておかなければならないのは人口動態である。

2.産業政策、国土政策、雇用政策、社会保障政策など、あらゆる政策は将来人口の行く末によって大きく左右される。

3.日本は2008年をピークに人口減少に転じ、これから本格的な人口減少社会に突入する。

4.このまま何も手を打たなければ、2010年に1億2806万人であった日本の総人口は、2050年には9708万人となり、

5.今世紀末の2100年には4959万人と、わずか100年足らずで現在の約40%、明治時代の水準まで急減すると推計されている。

無事是貴人

 昨日の昼過ぎ、茶道教室に参加するために家を出たところ、すぐ近くの目白通りに交通警察官が数人いた。ウーバーイーツの自転車がひっくり返ったままの状態。どうやらワゴンとぶつかったらしい。ウーバーの青年は救急車で運ばれて行った。
 この日、茶室には「無事是貴人」の軸が掛けらた。12月になると決まってこれが掛けられる。臨済禅師が説いたもので、意味は「どんな境遇にあっても、あたりまえのようにこなしていける人こそが貴ぶべき人である」。ここでの「無事」とは、「やみくもに外に向かって求める心を捨てきったさわやかな境涯を指す」とのこと。
 禅の世界は深い。悟りきれぬ。凡人はとりあえず一日無事に暮らすことができればいい。奇人変人にならなければよしとしよう。

最後の輝き

 昨日、ジャズピアニストの秋吉敏子さんが3年ぶりに帰国され、NHKでインタビューを受けている様子を見た。明日(12月12日)が彼女の誕生日。「毎日ピアノを弾いていたら、いつのまにか93歳になりました」と言ったが、その言葉の裏には計り知れない努力と苦悩が….。しかし、情熱が勝った。
 昨日、授業後、早稲田のジャズ喫茶に寄った。そして、1時間ばかりジャズのビートに打たれた。マスターが或る曲をかける時、客達に向かって珍しく解説をした。「今からかける曲は奏者が一番の輝きを見せた曲です。そして、その2週間後、彼は亡くなりました」
 客達はみんなシーンとなった。最後の輝きが伝わって来た。

今日の翻訳

 今 、手元に本が無いので正しい発行年はわからないが、日タイ修好条約が締結された1887年(明治20年)以降にバンコクに住んでいた日本人のことが書かれている歴史本のコピーから引用して出題する。

1.ชาวญี่ปุ่นเริ่มเปิดร้านทำการค้าครั้งแรกในกรุงเทพฯ ราวปี พ.ศ.๒๔๓๔ (ค.ศ.๑๘๙๑)

2.หลังจากที่มีการลงนามในหนังสือสัญญาทางไมตรีระหว่างญี่ปุ่นกับสยามแล้ว ๔ปี ร้านที่เปิดรุ่นแรกเป็นร้านค้าเบ็ดเตล็ด ดำเนินกิจการโดยชาวญี่ปุ่นที่มาจากเมืองนาโงยา ชื่อโนโนงาคิ ด้วยความช่วยเหลือของ ยามาโมโต ชินสึเคะ ผู้ซึ่งเดินทางมาเรียนภาษาไทยตั้งแต่ พ.ศ.๒๔๓๑ (ค.ศ.๑๘๘๘) แต่ร้านนั้นดำเนินการมาได้เพียงครึ่งปีก็ปิดกิจการลง

3.หลังจากนั้นมาอีก ๔ปี พอดีตรงกับช่วงที่ อิวาโมโต ชิทสึนะ พาชาวนาอพยพมาเมืองไทย

4.ช่วงดังกล่าวนี้ชาวญี่ปุ่นเปิดร้านค้ากันมาก แต่ส่วนใหญ่ดำเนินกิจการอยู่ได้ไม่นาน ก็ต้องปิดกิจการลง

5.ตัวอย่างของร้านค้าของชาวญี่ปุ่นในกรุงเทพฯ ช่วงปลายสมัยเมจิ มีดังต่อไปนี้

目を開ける

 タイ語で「目を開ける」は「ลืมตา」という。<ลืม>は<忘れる>という動詞だから、考えてみれば不思議や不思議。疑問が頭によぎると、その時点で会話がストップするから、まずはエイヤーと意気込んで発声すること。それを繰り返していると、躊躇していた表現が自然に使えるようになるのである。テレビに出て来る外国人タレントも、エイヤーの繰り返しで日本語が上手になったと、私はそう見ている。
 『タイ日辞典』(冨田竹二郎編纂)に、面白い例文が紹介されている。「ลืมตาอ้าปากได้แล้ว」とは、「目も口も開けられるようになった」(直訳)→ 「世間並みの暮らしができるようになった」(意訳)
 ただし、もう一例、<เปิด 開ける>を使った表現が紹介されている。「เปิดหูเปิดตา」=「より多く見聞するために耳目を開く」(直訳)→「外遊すること、等」(意訳)とのこと。

修学旅行

 福岡在住の元生徒さんから動画が送信されて来た。「三女が修学旅行で上京しています。本来ならフロリダのディズニーワールドの予定でしたが、大阪京都東京ツアーに変更になりました」
 最近の私立高校は修学旅行先として海外へ行くのが当たり前だそうだ。そのための積み立てもしているから経費的にも準備万端。しかし、コロナ禍で国内に変更したというわけ。日本を出て、海外(overseas)へ行き、直接、見聞を広めることは、将来必ず役に立つ。
 修学旅行という言葉を聞いて、もうワクワクすることはない。ただ願うこと、それは、終学旅行にならないように、毎日、気力と体力でアンテナを張っておきたいということだけである。

今日のタイ語作文

 知人の東海大学関係者から、第95回東京箱根間往復大学駅伝(2019年)で総合優勝したのを記念して造られた記念のマグカップをもらった。それには、創立者である松前重義氏の言葉が書かれてある。タイ語に訳してみよう。

1.若き日に 汝の思想を培え

2.若き日に 汝の体躯を養え

3.若き日に 汝の智能を磨け

4.若き日に 汝の希望を星につなげ

懐が寂しい

 昨日(12月5日)はこの冬一番の寒さであった。家でじっとしていたかったが、月曜日18:00クラスの生徒さん達がOBも含めて忘年会をやるということで、高田馬場の居酒屋清龍に出かけた。
 生徒の一人が授業中の話を聞かせてくれた。「タイ人の先生に、<懐が寂しい → กระเป๋าเงินเหงา>と言ったら、タイ人はそう言いません。ไม่มีเงินでいいと言われました。タイ人には日本人の寂しいという表現が通じないんですかね」
 そんなことを言ったら、<懐が寒い → กระเป๋าเงินหนาว>だって通じるはずがない。同じく、<口寂しい → ปากเหงา>も同じく笑われるだけだ。
 要するに直訳はダメだということ。しかし、日本人の感じ方とタイ人の感じ方の違いを比較した点は決してマイナスではなく、むしろプラスである。

漆芸コレクション

 昨日、文京区目白台に在る永青文庫へ行った。肥後細川家が守り抜いて来た「漆芸コレクション」が展示されていたからである。素晴らしい作品に目をうばわれた。あらためて、漆(japan, รัก)の奥の美に触れて満足。ちらしの一部を引用すると、こうである。
 「永青文庫の膨大な漆芸コレクションには、大名調度、馬具、茶道具、楽器など様々な種類が含まれます。さらに、日本だけでなく、中国、朝鮮半島、琉球、東南アジアで制作された作品がみられるのも特徴のひとつです」
 ベトナムやタイの小品もあった。或る香合の解説を読むと「志あむ」と書いていた。シャム(タイ国の旧名)のことである。「志あむ」という表記に昔の日本人の寛容さを見た。

今日の翻訳

 先週に引き続き、『คติชาวบ้าน』(ผาสุก มุทธเมธา著 พ.ศ.2535)の「สารบาญ」から出題する。

1.เป้าหมายของการพัฒนาต้องมุ่งไปที่คน หรือประชาชนเป็นอันดับแรกก่อนสิ่งอื่นใด

2.เน้นการพัฒนาทางเกษตรกรรมคู่ไปกับอุตสาหกรรม

3.ส่งเสริมศิลปหัตกรรมพื้นบ้าน

4.อย่าทำชนบทให้เป็นเมือง

5.หลักสูตรประถมและมัธยม ควรเน้นบทบาทท้องถิ่นให้สัมพันธ์กับชีวิตให้มากขึ้น

6.ค่านิยมและวัฒนธรรมที่ควรส่งเสริมในโรงเรียน