昨日(1月31日)は、渋谷の東急百貨店本店の建物が建替えのため55年の歴史に幕を下ろしたニュースで持ち切りであった。1967年に建てられたということは、私が大学3年の時である。たくさんの思い出を持つ顧客達が詰めかけて名残りを惜しんでいる光景は、この先当分、そうそう見られるものではない。2027年に複合ビルとして36階の高層ビルが建つそうだから、その時を楽しみにしよう。
私は1969年に社会人になった。あと2年、現役で頑張れば55年だ。PC、スマホ、アプリ等々、ついていけない面が多くて困っているが、もう情報はそれほど要らない。自分に合ったペースで行くしかない。
女流囲碁界の現役最長棋士である杉内寿子八段は95歳。彼女曰く、「女流の皆さん、最後まで囲碁界をつらぬいてください」
今日のタイ語作文
1.先週の土曜日、某社が会議をするので、教室を会議室として貸した。
2.そのための準備として、7階から8階へ椅子を5脚、運んだ。
3.すると、夜になって腰痛を覚えた。
4.お辞儀をすることができない。
5.日曜日の茶道クラスで、茶道講師からお辞儀がきちんとしていないと注意されたので、事情を説明した。
長さ・角度・間
生け花クラスで講師から常に注意されること、それは、枝の「長さ」である。花瓶の直径+高さが主要なる枝の長さになる。そして、副枝はその3分の2というふうに長さが決まっていく。長さが決まると剣山に生ける。だが、ただ単に突っ立ったままだとアートにはならない。
したがって、その次に考えなければならないことは枝や花の「角度」である。角度がうまく行くと、「間(ま)」が生まれる。「間」は「疎(そ)」と「密(みつ)」からも生まれる。そのためには潔く枝を切り落としたり、一枝にたくさん咲いている花をばっさりと切る。
理論が分かっても、自分が思うような花は生けられない。年季と根気との闘いである。語学も然り。
17年目に入った生け花クラス
泰日文化倶楽部は2007年1月から「アジア女性のための生け花クラス」を開講した。生け花教室に見合うべく、707号教室を和風の雰囲気にわざわざリフォームした気合の入れようであった。
昨日、いつものように生け花クラスが開講されたが、今年2023年1月から、なんと17年目に突入したことになる。コロナ禍に於いては情勢を見ながら休講せざるを得なかったものの、生け花の灯は消えることなく延々と続いて来た。
泰日文化倶楽部は目下35年目に入っている。そして、生け花クラスが17年目ということは、約半分の期間に相当する。語学であれ、生け花であれ、継続することは大切。それには、講師と生徒、そして、教室の管理が必須となる。いずれのどれが欠如しても、稽古事は成立しない。
今日の翻訳
『ศิลปแห่งการสังคม』(พิภพ ตังคณะสิงห์著 แพร่พิทยา出版社 พ.ศ.๒๕๐๘)の「เพื่อนบ้าน」から出題する。
1.เพื่อนบ้านที่เป็นมิตรดีกับเราย่อมมีคุณหลายอย่าง
2.อาทิเช่น เวลามีขโมย มีโจร เขาก็ย่อมอยากช่วยเรา ถ้าเราเป็นเพื่อนดีกับเขา
3.อาทิเช่น ปรกติเราไม่อยู่บ้าน แต่ภรรยาเราอยู่เกือบตลอดวัน ฉะนั้นก็ควรอยู่อย่างฉันมิตรกับเพื่อนบ้าน
4.มิฉะนั้น ถ้าขืนเป็นศัตรูกัน เราก็จะต้องคอยฟังเรื่องรับฟ้องกล่าวโทษจากภรรยาของเราทุกวัน
5.อาทิเช่น เราเดินผ่านบ้านเขาก็จะต้องพบเขาบ้าง ก็ควรจะพบกันอย่างแช่มชื่นเป็นไมตรี เห็นจะดีกว่าเป็นแน่
五所川原の大雪
昨日、テレビを見ていたら五所川原の雪景色が出た。同じ青森県の酸ヶ湯温泉ほどではないが、真っ白な世界を見て、早速、五所川原在住の友人に電話をかけた。しかし、彼は言った。
「今年2度目の大雪ですが、大したことありません。こんなのはまだ小学生並みです。生まれ育ったところですから、これまでにもっとすごい大雪を経験しております」
そう言われると、私としては拍子抜けした。だが、彼(74歳)がお元気でお過ごしであることが分かっただけでも良かった。
度重なる報道を見ると、部外者は異常な感想を持つ。しかし、当事者はそれほどでもない。感じ方に温度差が有る。そんな時、優しい気遣いができる言葉が必要だ。
เบิกという動詞
「เบิก」という動詞は、「เบิกเงิน お金を(銀行から)おろす」という表現でしか使ったことがない。そして、もう一つは、小学校のタイ語教科書によく出て来る「เบิกบาน 楽しくて明るい気分になる」という表現が頭には残っている。
最近、出題したタイ作家の文章の中に、「เบิกอรุณ あけぼの、暁」が出て来たので、あらためて「เบิก」を『タイ語辞典』(冨田竹二郎編纂)で調べてみた。
すると、(包まれたものを)開ける、開け広げる、(目を)見張る、開拓する、(金、月給、罪人などを)引き出す、と出ていた。そして、いろいろな表現がたくさん例題として挙げられているので、この「เบิก」という動詞は思った以上に重要なことがわかった。
「เบิกทาง 道を拓く」、「เบิกสมัย 新時代を拓く」という表現も有り。混沌としたお先真っ暗の時代を救世主が現れ、早く明るくしてほしいものだ。
今日のタイ語作文
1.不要不急の外出は避けてください。
2.日中も温度は上がりません。
3.路面凍結に注意。
4.車の運転はなるべくしないでください。
5.風呂に入る前に、浴室を暖かくしておいてください。
6.災害情報を常にチェック。
縁起の良い大寒卵
昨日、「大寒卵」を頂いた。とても縁起の良い卵であると言われたので、詳細を知るべく、ネットで調べてみた。
「大寒の初日に生まれた卵で、2023年の場合は1月20日。昔、鶏は冬前に餌をたくさん食べて栄養を蓄え、冬本番になると卵を生まずにじっとしていました。そのため大寒の頃に生まれた卵には栄養がぎゅっと凝縮されていて、ほかの時期の卵と比べて1個あたりの栄養価が高かったと言われています」
この解説を読んで、タイ語学習にも相通じるものが有ると思われた。コロナ禍、こつこつ勉強されて来られた生徒達は、日本でアウトプットができず、頭の中にタイ語を蓄積して行ったはずだ。よって、タイへ旅行した暁にはかなりの学習効果を感得できると言えよう。なにごとも蓄えることが肝要なり。
無常(อนิจจัง)
昨日、個人レッスンにいらした生徒さんから次なる話を聞いた。
「職場にタイからタイ人が来ました。そして、彼から”アニッチャン”というタイ語を教わりました。彼の説明だと、世の中は思うようには行かないから、それを受け止めるようにという話でした。私としては、アニッチャンという響きに親しみを持ちました」
それを聞いてパーリ語源の仏教用語であることはすぐに分かった。辞書では「อนิจจัง無常」と出ていた。อ(無)+ นิจ(常)=無常である。จัง(とても)だから、併せると、「ああ、無常!」となる。
それにしても、タイからの客人が初めて会った日本人に難しいタイ語を教えるとは、あら不思議。