古池や蛙飛び込む水の音

関西の某俳諧クラスでは、俳友として入会を認めるテストとして、芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の俳句をもじって何か新しい句をつくるようにというのがあるそうである。
 そこで、私も挑戦したいところだが、<もじる>のは自信が無いので、適当に作ってみた。
 (1)教室や 全部忘れた 新単語
 (2)教室や いまだできない 声調が
 (3)月名や いまだ覚えぬ 生徒たち
 (4)声調や なぜかできない 日本人
 (5)タイ国や いつも行きたし 時間なし
 (6)タイ人や みんなはつらつ うらやまし

ロシア語劇観劇

昨日、上智大学ロシア語学科の学生達によるロシア語劇「委任状」(N.エルドマン原作)が上智大学10号館講堂で上演された。私の授業を2年間、熱心に受講してくださっているT君が出演するので、激励の意味も込めて観劇した。
 素直に感心した点は、学生の皆さんがロシア語をとちることなく、1時間半、ペラペラとよくしゃべっていたことである。誰か一人でも下手くそであれば、劇は台無しになるが、そういうことはまずみられなかった。1年生から4年生まで仲良く、上手に劇を進行させていった。
 そして、もっと考えさせられたこと、それは、革命を経たロシアの文学は極めて奥が深く、作家の人間観察が幾層にも及んで台詞の中に漬け込まれ、人間の嘘が次から次へとあばかれ、揶揄されていったことだ。植民地化されたことのないタイ、暑い国のタイとは全く違う。ロシアの歴史、文学、芸術、等を真から理解するには相当の時間が要求される。

慶祝 プミポン国王 88歳!

本日12月5日はプミポン国王の御生誕の日であります。御年88歳。日本的に言えば米寿です。心よりお慶び申し上げます。
 国王は1927年12月5日、米国マサチューセッツ州のハーヴァード大学近くに在る病院でお生まれになられました。その病院を取材したことが有りますが、産婦人科の病棟には国王と王妃の写真が掲げられていました。
 2歳の時、タイへお戻りになられましたが、父君の早逝により、母君はスイスでの生活を決断。幼稚園からはスイスのローザンヌで御育ちになられ、ローザンヌ大学を御卒業。したがいまして、フランス語がペラペラであらせられるとのこと。
 マサチューセッツ州のアパート、そして、ローザンヌのアパートの前まで行ってみたことがありますが、それはそれは質素な普通のアパートでした。
 1946年6月からラーマ9世になられ、在位は69年半。難題いっぱいのタイ。ご心痛が絶えないことでしょう。
 しかしながら、見事なる発展を遂げつつあるタイを、どうか末永くお見守りください。

タイ語を教えることの幸せ

昨晩、2ヶ月ほど休学しておられた生徒さんが復学された。とても嬉しい。そこで張り切って授業をした。
 授業をしながらつくづく感じた。タイ語を教えている時が私にとっては一番幸せな時間だと。
 ところが、どんなに熱心に授業を展開し、発音を直してあげても、上手にならない人は上手にならない。がっかりする。そして、私は不幸だなあと思う。
 いや、待てよ。落ち込むのはよそう。来週の授業に期待しようではないか。と、自分を鼓舞しながら家路につく。
 1年が、5年が、10年が、20年が、そして、40年の時間があっというまに過ぎた。私はいまだ幸せではない。生徒達がタイ語に食らいつき、営々と精進して、その結果、上手になってくれさえすれば、私の幸福感のベクトルは右肩上がりに上昇する。

夏服・冬服

泰日文化倶楽部では、毎年11月20日頃から電気カーペットを敷いているが、今年はまだ敷いていない。足元用の電気ヒーターで済ませている。
 しかし、さすがに昨日あたりから寒くなってきた。昨晩、勉強に来られた生徒達の服装を見て、完全に冬季に入ったと納得。
 ひるがえって数ヶ月前を思い出すと、皆さん、暑い、暑いと言って、クーラーをガンガンかけていた。そして、薄着(เสื้อบางๆ)であった。しかし、今や、何枚(หลายชั้น)も着込んでいる。
 そこで私は思った。皆さんの語彙力のほうは果たしていかがかな? 語彙数が数倍に増えたであろうか? とても気になる。
 「タイ語中級:水曜日18:30(706号教室)」のクラスでは、生徒達の希望により、基本に戻って、発音矯正をやっているとのこと。それもまた大切なことだ。
 2015年の授業はあと3週間を残すのみ。生徒一人一人がまとめの意識を持って、自己の学力をしかと把握してもらいたい。

昔の生徒達からの近況報告

昨日、携帯がお陀仏になったと思ったので携帯会社に行った。まずはチェックしてもらった。電池の劣化と判明。
 「電池だけを換えても、他の部分がどうなっているか分かりませんね」、などと言われると、またしても不安感がよぎる。よし、この際、新機種に替えよう、と決断。
 LINEの設定をしたあと、昔の生徒達から続々と反応が有った。いや、これには驚いた。
 東京を離れて茨城県で頑張って旅行会社をやっておられるA氏。10年ぶりの音信、嬉しかった。
 人生、5年、10年単位で、いろいろと変わる。住む場所も、仕事も….。
 しかし、元気で前向きに精進していること、それこそが、まさしく人生なり。

携帯、突然、お陀仏

今朝、目が覚めた時、枕元の携帯を見た。6時18分であった。あと数分、寝ようかなと思って体を横たえているうちに、また眠ってしまった。
 次に目が覚めた時、また携帯で時刻を見ようとしたが、携帯がうんともすんとも反応しない。電池切れかなあと思い、チャージをしてみたが、やはりだめ。
 突然のお陀仏である。これまで調子が悪くもなかったし、水の中に落としたわけでもないのに…..。
 今日の夕方、携帯を購入しに行く予定だが、それまでは連絡不能のため、このブログをお読みの方は、どうかご承知おきください。

久しぶりのインドネシア語

昨日、プライベート・レッスンを受けに来られた生徒さんと話していると、彼がインドネシア語が得意であることがわかった。中国語も相当に出来るらしい。
 泰日文化倶楽部では、2年前にインドネシア語のクラスも開講していたが、インドネシア語講師がジョクジャカルタに帰られたため、クラスは自然消滅となってしまった。
 私はインドネシア語をしゃべりたかったが、一言も出て来なかった。覚えているのは、インドネシア人講師がママチャリに乗って、元旦に東京から箱根を超えて鹿児島まで行ったこと、そして、メッカに行って500キロ歩いた話だけである。
 そこで、反省。何一つ単語が出て来ないということは、習っている時から、全く身についていなかったということだ。講師はとても熱心ですばらしい方であったが、生徒の私は…..。
 ひるがえって、タイ語の授業のことを考えると、おそらく生徒の皆さんも同じことが言えるかもしれない。いくら教わってもタイ語が思うように頭に入っていかない生徒達。
 タイ語講師として、どのようにすれば生徒の頭にタイ語が残るか、工夫に工夫を重ねて、印象深い授業を心がけねば….。

或る中国人講師

私がアジア・アフリカ語学院でタイ語を教え始めたのが1976年。もう少しで40年になる。その間、アジアやアフリカの言語を教える諸先生方にたくさんお会いしたが、なかでもとても印象に残っている先生の一人に、中国人女性講師がおられる。
 その中国人講師はいつも中国の服をお召しであった。堂々たる風格と威厳をお持ちで、近寄りがたかった。しかし、本当は生徒思いのお優しい先生であられたのである。
 他校では中華料理も教えておられたので、中華の腕は抜群。アジア・アフリカ語学院でタイ料理を作っている時、鶏の胸肉の皮をはがし、それを捨てると、彼女は私を叱った。「何故、捨てるのですか? 全部、使いなさい」
 校庭に山椒の木が有った。彼女は山椒の実を一人で採っていた。「誰も採らないのね。ああ、もったいない」、と言いながら。
 そして、1995年3月20日、彼女はサリン事件に遭遇した。彼女の眼はやられた。御気の毒で仕方がなかった。10年位前に他界された。

意識して自ら学ぶ外国語

 今朝、NHKの教育テレビ(Eテレ)「こころの時代」で、香川県に在る児童心理治療施設「若竹学園」の理事長(野田大燈老師)がお話をされた。そのような施設が香川県に有ること自体、私は全く知らなかった。
 そこではたくさんの子ども達を預かり、将来に備えて生活指導をしておられるようだが、日々の活動の一つとして、ハーブ栽培をし、お遍路さん達にお茶の接待をしているとのこと。
 お話の中で、私が最も興味を覚えたことは、外国人の観光客の接待のために子ども達が自ら英語や韓国語を学び、それらを実際に使って、遠来の外国人をハーブティーでお接待している点である。
 好きな外国語を自ら学ぶ。この精神がなによりも大切だ。地方では、外国人に会うだけでも興奮する。これは私の経験から言える。実際に外国語を話して、それが通じた時の喜び。これが外国語を学ぶ楽しみであり、刺激でもある。