昭和は遠くになりけり

昨日、日本橋室町に在る三井記念美術館へ行き、「茶の湯の名椀 高麗茶碗」を鑑賞した。そのあと「ふくしま館」に寄り福島の産物を購入。神田駅に向かって歩いていると、間口の広い立派な店の前に貼り紙がしてあった。

 「閉店のお知らせ 昭和2年以来90余年にわたりお引き立ていただきました大塚屋靴店ですが この度 前社長が代を終えたことに伴い閉店することとなりました
 皆様の温かいご支援の中での苦渋の選択となりましたが何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます 永年にわたるご愛顧に心より感謝申し上げます」

 想像するに、おそらくご子息が書かれたものであろう。靴というタイ語は、「รอง(支える)+ เท้า(足)」という2語で出来上がっている。90年余の長きに亘り神田の人々の足元をしっかりと支えて来られたこの靴屋さんに乾杯!

 宿題:この「閉店のお知らせ」をタイ語に訳してみよう。

「口」が入っている漢字

私は仕事で「通訳人 吉川敬子」と署名する機会が多々有る。36年以上、このように署名しているわけだから、目をつむっていても書けそうなものだ。ところがうっかり気をゆるすと「通行人」と書き損じそうになったことがある。その時はあわてて気を引き締めなおした。
 「訳」という漢字には、「口」が2個、見える。しっかりと口を動かして、はっきりと通訳しなければならないと、何年経っても心がけている。
 私は50年間、働き続けて来た。失業することなく、ここまで来られたのは、名字の「吉川」にも「口」が入っているし、名前の「敬子」にも「口」が入っているから、食べるには困らない。と、そう思っている。
 キラキラネームをつける傾向が有り、画数が多すぎる漢字を使う若い両親がいるが、名前に使用する漢字はシンプルなほうがいい。そして、漢字の中に、「口」が入っているものを選ぶと、その子は一生、食べていけると思う。
 例1)和、知、智、京、福、高、信、保、品、周、浩、岩、若、向、
 例2)日、月、目、田、見、白 自、中、音、昌、晶、里、東、英、

『森の生活』のソロー

昨日は二十四節季の「小雪」。寒いはずだ。冷たい雨まで降ると、とても出かける気にはなれなかった。そこで、アメリカの作家であるH.D.ソロー(1817~1862)が書いた『森の生活』(飯田実訳 岩波書店 1995年)を読んだ。
 私は大学で英文学を専攻したが、アメリカ文学も読まされた。その中でソローが気に入ったので、2006年9月、実際にその森(マサチューセッツ州コンコードにあるウォーデン湖のほとり)まで行き、彼が建てた丸太小屋を見学した。
 彼が何故、その小屋に2年間、籠ったか? 『森の生活』の一節を以下に引用したい。

 私が森へ行ったのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生は生きたくなかった。生きるということはそんなにもたいせつなのだから。また、よほどのことがないかぎり、あきらめるのもいやだった。

今日の宿題

一昨日の「タイ語中級 水曜日18:00」の授業で、パック先生(医学生)から病院関係の単語や表現を習った。だが、生徒達は、คนไข้(患者)と発音すべきところを、คนไข่と間違って発音した。それでは、<卵人間>になってしまう。
 そこで、ไข/ ไข่/ ไข้/と合成語になった動詞や名詞が使われる文章を以下に列挙するから、作文してください。

 1.政治や社会の問題を解決する(แก้ไข)のは難しい。
 2.脂肪(ไขมัน)が多い食品はできるだけ避けよう。
 3.祖父伝来のネジ巻き(ไขลาน)時計を大切にとっている。
 4.金庫の鍵の開け方(ไขกุญแจ)がわからない。
 5.卵(ไข่)を使った料理は何種類もある。例:茶碗蒸し
 6.蟻の卵(ไข่มด)はどんな味がしますか?
 7.卵を5個割って(ต่อยไข่)それをボールの中で掻き立てる(ตีไข่)。
 8.インフルエンザ(ไข้หวัดใหญ่)が流行り始めた。
 9.この病院は規模が小さすぎて大勢の患者(คนไข้)を収容することができない。

「もみの木」という喫茶店

十一月も下旬に入ったので、喪中はがきが各方面から届いている。その中の一枚は、大阪在住の元生徒さんからであった。お父様が83歳でお亡くなりになったと書いてあった。
 私はそのお父様が経営していた喫茶店へ25年前に行ったことがある。大阪の十三という場所にあり、町の雰囲気はとても庶民的であった。「もみの木」という名前で、素朴さを感じた。
 店の自慢はカウンターが分厚くて長い一枚板であること。お父様の説明によると、大阪万博(1970年)で使用された材木を譲り受け、以後、長きにわたり、気合を込めて磨き上げて来られたそうだ。コーヒーもおいしかったが、それ以上にカウンターの一枚板の存在が印象的であった。
 店主は死ぬまで喫茶店をやり抜くおつもりであった。しかし、ついに寿命が尽きた。

主婦パワー

昨日の午後、教室に電気カーペットを敷いた。4月半ばに取り除いてからもう7ヶ月が経ったとは…..。
 いつもは自分一人で机を持ち上げたり、椅子を移動させ、そして、硬くなっている電気カーペットを温めて開かせたりするのに30分くらいかかる。迷っていると、「さあ、今すぐ敷きましょう!」とミセス全員がそろって号令をかけた。
 その後の皆さんの動きたるや、ものすごいスピードであった。机を運び、椅子を動かし、電気カーペットを拭き……。いつもは硬くなっているカーペットもあっという間に広がった。ミセスのパワーはすごかった。5分後には授業をスタート!
 彼女達は日頃の主婦としての動きを見せた。段取りがいい。私は主婦をしたことがないから、家事はダメだと思った。
 ミセスには主婦パワーが有る。動きも速い。そのパワーとスピードをタイ語の勉強にも活かしてほしいなあ。

あと10年、勉強に来ます。

先月から個人レッスンに切り換えたSさんと、一昨日の授業後、短い会話をした。

 私:「個人レッスンはいかがですか?」
 Sさん: 「いいですね。あと10年、勉強に来ますよ」
 私:「えっ? だとすると、私は83歳になります。それまで頑張れるかしら?」

 世相の変遷が早すぎるので、泰日文化倶楽部を創設した31年前とは、タイ語を習う環境が大いに異なってしまった。だが、愚直に教室を開いている。「去る者は追わず 来る者は歓迎」のスタイルだ。
 「あと10年」という生徒さんの意気込みに、少々、元気づけられた。

今日の宿題

『知的ヒントの見つけ方』(立花隆 文春新書 2018年)の最終ページの最終段落をタイ語に訳してみよう。この文章は『文藝春秋 special 2015年冬号』に書かれたものだ。何年経とうが、参考にしたい話ではある。

むかし流行ったマーケティングの小話で、誰も靴をはいていない国に派遣された靴販売会社の二人のセールスマンの反応という話がありました。一人は「この国では靴は売れない。何しろ誰も靴をはいていないんだから」といい、もう一人は「この国には無限の需要がある。何しろ誰も靴をはいていないんだから」といったというのです。悲観論者と楽観論者のちがいです。この世の中は、悲観論者は自分の予測通り失敗して没落し、楽観論者は自分の予測通り成功していくものです。楽観主義でいきましょう。

山手線と中央線

私は学生時代は中央線沿線に住んでいたので、中央線が好きであった。しかし、居住先を山手線沿線に変えると、山手線のほうがもっと便利なので、そのまま利用し続けている。
 中央線の朝は東京に向かって働きに行く人々が緊張して乗っている。逆方向は学校へ行く学生達がいっぱいだ。
 一方の山手線も会社員や学生が乗ってはいるが、もっといろいろな用件を持った人達が観察される。ここ数年は特に外国人が…..。
 私は仕事の関係で朝5時台の山手線に乗ることがしばしば有る。すると、夜のラッシュかと錯覚しそうなほど混んでいる光景に遭遇する。朝帰りの若者だ。深夜営業のバイトが終わって帰って行くみたい。もちろん、遊びほうけた若者もいるであろう。
 山手線の中の面積は、ニューヨークのマンハッタン島とほぼ同じ面積だと聞いている。その中に年々歳々、全国はもちろん、世界各国からの人々が乗降している。
 今日は、来春、オープンする高輪ゲートウェイ駅のレール敷設のため、山手線が午後4時まで運休だ。振替えのため、地下鉄利用者が増えると思うが、地方から上京して来られた方達には実にややこしいことであろう。

タイの石鹸

 今月上旬、初めてタイへ行ったMさんから、お土産として石鹸をいただいた。黄色い包装紙には次のように書いてあった。

 「สบู่พฤกษา นกแก้ว กลิ่นมะลิ เนื้อสบู่คุณภาพสูง ไม่ผสมแป้ง เนื้อแน่นใช้นาน」

 これを、英語と日本語の両方で訳してみてください。