1月は行く、2月は逃げる、3月は去る

1月があっというまに過ぎた。今日から2月だ。「1月は行く。2月は逃げる。3月は去る」という言葉が脳裏によぎった。ただし、私の郷里の言葉で言うと、「1月はいんで、2月は逃げて、3月は去る」と言う。
 念のため、ネットで調べると、「一月(いちげつ)往(い)ぬる二月(にげつ)逃げる三月(さんげつ)去(さ)る」とも書いていた。
 そして、ネットで面白かったことは、「どういう意味でしょうか? タイ人ですので、よく知りません」という質問がタイ人から出されていたことだ。
 なるほど、どんなに日本語が堪能なタイ人でも、日本語の頭音遊びまで理解するのは難しいであろう。ましてや、その意味が、「やることが多いのに思うように進まない」ということであると知るには、相当長く時間をかけて日本に同化しないと無理。
 毎日のようにタイ人と会っているが、彼らの時間に対する感じ方は全く違う。いつも驚かされている。

サボテンの植え替え

約4年前に買ったサボテン(กระบองเพชร ダイヤモンドの棒=金剛杖)がいつのまにか大きくなり、子供までできている。小さな鉢ではかわいそうと思い、鉢替えをすることにした。ベランダに長らく置いてあった口が広いタイ製の鉢に植え替えてみたものの、いかんせん土が足りない。そこで、昨日、植木屋へ行ってサボテン専用の土を購入した。
 土が入った袋の裏に書いてある使用方法は以下の通りであった。植え替えは3月から6月の間、施肥は3月から5月の間。水やりは12月から2月は月に1~2回、3月から6月は2~3日に1回、7月から11月は週に一回が良い。置き場所は11月から2月は室内、6月から9月は日陰。
 この説明書きを読んで、これまで私はこの通りに従って来なかったことに気づいた。あえて言えば、逆ばかりやっている。現に植え替えもそうだ。今は植え替えの頃ではなかった。勝手にやってはいけない。知識不足を恥じた。

高崎だるまの女性職人

今朝、NHKのニュースで高崎だるまの女性職人のことが放送された。その女性の名前は中田千尋さん(29歳)。4代続くだるま工房の娘さんだそうだ。
 私が感心したのは彼女が独学で英語と中国語を習得し、だるまを売り込む場面において、彼女の熱意が多くの外国人を惹きつけていることだ。インスタグラムを見た多くの外国人(年間1万人)が高崎に足を運んでいるとのこと。ニュースの中で紹介された客はタイ女性であった。
 語学と商売が合体すると、勉強にも弾みがつく。単なる趣味だけで勉強している程度では上達度が遅い。彼女のように商売繁盛を願うと、おのずから語彙数を増やそうとしたり、新しい文型を駆使したいと思うようになる。
 蘇州で行われた催事で「高崎だるま」の素晴らしさを中国語で積極的に喋る中田千尋さんに対して、中国人が言った。「彼女のアピール度はすごい!」

ダチョウ

 タイへよく遊びに行かれる生徒さんが、何らかの話の流れから、急にダチョウの話を持ち出した。
 「何回もタイへ行っていると、何か面白いことをしてみたくなったの。そこで、チェンライへ行った時、ダチョウに乗ったのよ。その時、ダチョウという言葉を覚えたわ。นกกระจอกเทศというそうよ」
 私はタイ語でダチョウをนกกระจอกเทศというのを知らなかった。使うチャンスが無いからである。นกจอก(雀 ノッカジョーク)+ เทศ(外国の テート)=ダチョウ という組み合わせはなかなかに面白い。タイ人にはダチョウが外国からやって来た大きな雀に見えるとは! ユーモアが有っていい。
 เทศ(テート)には「国」とか、「場所」という意味のほかに、「外国の」という意味がある。มะเขือเทศ(トマト)、 มันเทศ(さつまいも)、 เครื่องเทศ(香料)、 ม้าเทศ(外国産の馬)の単語を見ると、なるほど外国から到来した匂いがぷんぷんしてきた。

タイの若者6名

昨日、午前中の個人レッスンをするため教室に向かおうとして、目白駅の階段を降りていたら、背後からタイ語が聞こえて来た。後ろを振り向くと、タイの青年が6名、冬のコートも着ず、カジュアルな服装でなにやらしゃべっている。いずれも皆、手ぶらであった。
 私は手摺りに手をあてながらゆっくりと階段を降りたので、彼らのほうが当然私を追い越してホームに立った。だが、彼らは山手線の外回りに乗るべきか、内回りに乗るべきかで迷っている。一人がスマホでチェックし始めた。
 そこで、私は6名のうち、一番背が高くて恰好よさそうな青年の横に立った。そして尋ねた。「どちらの方面へ行くの?」 彼は「タイ人なの?」と訊いてきた。私は「ちがいます」と答えた。彼らには私が東京在住のタイのおばあさんに映ったようだ。
 彼らは秋葉原へ行くところであった。「このあたりに泊まっているの?」とさらに尋ねると、首を縦に振った。
 ほんの30秒だけの会話であったが、お役に立ててよかった。

花奏

昨日は、月一度の「アジア女性のための生け花教室」が開催された。2007年1月からスタートしたので、今年で丸12年を迎えたことになる。
 昨日の生け方は、「花奏(はなかなで)」と「直立型」。「花奏」の花材は、雪柳、金魚草、スイトピー、そして、ミリオグラダス。雪柳と金魚草(ピンク)を三地点(不等辺三角形)から挿して交差させ、根本にスイトピー(黄色がかった白)とミリオグラダス(緑)をあしらって、全体の色の調和をとるものであった。
 いつも思うこと、それは、華道講師の手が入ると枝や花がしゃんとして、花器の中にうまくおさまる。生徒がやると、花におちょくられてばかり。いくらやっても上手にならないのであれば、もうここいらでやめてもいいと思うこともある….。
 しかし、花を生けると楽しい。疲れた頭もすさんだ心も少し上向きになり、新鮮な空気が身体に入って来てくれたかのよう….。
 生け花を習っていると、一年がものすごく早い。何故ならば、花材は1~2ヶ月先のものを取り扱うからである。来月は桃、あるいは、早咲きの桜が教室にやって来るらしい。

小倉遊亀(画家)さんの本より

文化勲章受章、日本芸術院会員であった小倉遊亀さん(1895~2000)に、「~さん」付けはないだろうが、親愛の情をこめてそう呼ばせていただきたい。
 古書店で『小倉遊亀 画室のうちそと』(聞き手=小川津根子 読売新聞社 1984年)を買って読んだ。その中に、師と仰ぐ安田靫彦氏に弟子入りを請うた場面が出て来る。
「安田先生ね、いくつだとおっしゃるから、二十七です、といったら、[二十七でよかったな]とおっしゃた。人間も三十を越えると、なかなか心が頑固になって、人の言うことが耳にはいらない。それから自分の悪いところが直せない。まだあなたは二、三年ある。むずかしいかも知れないけれども、人から言われたんじゃなくて自分で自分の悪いところに気がついたんだから、一生懸命にやってください、とおっしゃいました」
 小倉遊亀さんは2才から絵筆を持ったそうな。そして、知らず知らずのうちに、一つのタイプができているのを見破った安田氏は、「それにはいっぺん、全部ご破算にしなさい。しかしむずかしいよ、どうしても手慣れた癖が出るからね。それを一度捨ててごらん」と助言されたそうである。

はんこ屋

 昨日、はんこ屋の前を通りかかった。時間が有ったので、はんこ入れを買い替えようと思って店内に入った。昔に比べて半分の広さになってしまった店だが、今でも踏ん張って頑張っている。恰幅がよかったご主人はかなり前に亡くなられ、奥さんが一人でやっておられる店だ。
 どうせ三文判だから、はんこ入れは安くてもいいのだが、いろいろと見せられると、縁起かつぎの気持ちも込めて、高いものを買うことにした。そして、壊れかかったはんこ入れを差し出して、「あのー、これ、捨ててください」と、私が言うと、奥さんはそれを小箱にしまった。そして言った。
 「捨てたりはしません。下賀茂神社に預かっていただくのです。私が直接行くわけではありませんが、月に一度、業者が集めに来ますので、その際、お願いするのです」
 ごみ箱にポンと捨てればいいと思っていた私は、はんこ入れが京都の下神茂神社まで行くことに驚いた。今度、京都へ行く機会があれば、是非、お参りしたい。

指輪先生のご家族

目下、指輪先生のお母様が来日中だ。お母様の写真がみたいと言うと、「今日、おばあちゃんの原宿に母と一緒に行って来ました」と言って、とげぬき地蔵で撮った二人の写真を見せてくださった。
 母と娘なのに、まるで姉妹のように見えた。そこでお母様の年齢を尋ねたところ、「今年、還暦です。定年なので、退職後は頻繁に日本に来たいと言ってます」とのこと。
 「お母様のお仕事を何ですか?」と訊くと、タマサート大学教授であると教えてくださった。指輪先生も現役のタマサート大学准教授。とても優秀な方達だ。
 昨夜の授業で、話がお祖父様にまで及んだので、やはり写真を見せていただいた。「何歳かあててみてください」と、指輪先生。生徒達は、「お母さんが60歳だから、それから想像すると、おそらく85歳でしょう」と言った。しかし、私には70歳位にしか見えなかった。あまりにもかくしゃくとしておられるからだ。
 「ちがいます。祖父は90歳。今でも現役で働いています。車も運転しています。祖父はシリラート病院の手術棟を設計しました。会社の社長2代に仕えて貢献して来たので、死ぬまで働いてくださいと言われています。祖母は中国から来ました。吝嗇家でいっぱいお金を貯めました」

マスクの買い占め

このところ、タイ人講師達からマスクの話題がいろいろと取り上げられている。バンコクの空気汚染がひどいために、タイ人達がマスクの買い占めをした結果、マスクの入手が困難と判断した親戚がボン先生に日本からの発送を依頼して来たそうだ。ボン先生はさっそく送って上げたそうだが、マスクの値段よりも送料のほうが高くついたとぼやいておられた。
 先週1週間だけバンコクへ帰省しておられたニン先生も、親戚や友人達へのおみやげはマスクにしたとのこと。
 以前、日本に旅行に来たタイ人達が日本人のマスク姿を見て、とても怖がっていた。奇妙だといわんばかりに……。昔、タイでは交通整理の巡査達が黒いマスクをしているだけであった。
 マスクのことは、タイ語でหน้ากากอนามัย(ナーガーク・アナーマイ 衛生マスク)。 あるいは、ที่ปิดปาก(ティー・ピット・パーク 口をふさぐもの)でもいい。<買い占める>という単語は、ตุน(tun トゥン)。したがって、<マスクを買い占める>は、ตุนหน้ากากอนามัย。
 昨夜の授業で、これらの発音の勉強をしたが、生徒達には、<ตุน>の発音が難しそうであった。それでは、出題。<袋を買い占める ตุนถุง>の発音はうまくできるかな?