「艶」という漢字

昨日、1本の電話が有った。5月11日から開講予定の「タイ語入門 金曜日19:00」のクラスに申込みたいという内容であった。日本語は文法的に一つとして間違いがなかったものの、日本人の日本語ではないことがわかったので、「失礼ですが、どちらのお国の方ですか?」と尋ねると、「中国です。留学生です」と彼女は答えた。
 「お名前だけ、頂戴できますか?」と彼女に言うと、彼女は自分の名前を日本式の読み方で答えた。名前の最後に來る漢字を、「えんのえん です」と言ったが、私にはさっぱりわからない。「つやのえん です」と彼女は続けたが、私の耳には「通夜のえん」に聞こえた。結局、メールで申し込んでもらうことにした。
 メールはすぐに来た。見ると、「艶」であった。妖艶な、艶っぽい、と言ってくれればすぐにピンと来たのに….。だが、それを中国人留学生に要求するのは無理かも。余談ではあるが、楊貴妃の妖艶さとは、いかばかり?

和菓子

お茶を習っているので、季節にふさわしい和菓子を一年中、抹茶とともにいただいている。茶道講師が注文する和菓子店は、5個でも特別に作ってくださるから、生徒達はその匠の精神に感嘆。昨日、その店の近くまで行くと、「柏餅」と書いたのぼりが店頭に置かれていた。そろそろ端午の節句だ。
 ところで、先週、大津在住の従姉が大津に本店を構える老舗の和菓子の詰め合わせを送って来た。その中に「あも」という羊羹ふうの菓子が入っていた。説明書によると、「あも」は、女房言葉で、その意味は「餅」だそうだ。「あも」が何故、「餅」に転じるのか、そのつながりがどうしても解せなかったので、さらにネットで調べてみると、「あも」は、「あんもち」から由来していることがわかった。
 「和」のものはすべて季節を選ぶ。二十四節気、即ち、2週間ごとに季節感が変わるので、季節に合った取り合わせをしようとすると大変だ。しかし、その大変さの中から、季節を感じ取り、この世を楽しんでいる自分がいることがわかって、いと嬉しかりけり。

タイ語で「縁が無い」はどう訳すか

「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスは、昨夜、4名の生徒が出席した。幸いにも、今月から、若くて優秀なパック先生が登板しているので、これまでになくクラスの雰囲気が明るい。
 話題が結婚に及んだ時、一人の生徒が言った。「自分には縁が無いなあ」
 私はすかさず彼に要求した。「その縁が無いということをタイ語で言ってみてください」
 「縁という単語はなんて言うんだろう」、と言いながら、彼はスマホで単語を探そうとしている。
 私は思う。生徒の皆さんはすぐに辞書で単語を探したがるなあ、と。しかし、スマホの辞書で「縁」を引くと、最初に「縁(ふち)ขอบ」が出ている。そのあとに、いろいろな単語が紹介されてはいるが、一体、どの単語を使ったらいいのかわからない。要するに直訳しても、タイ人には通じないのである。
 パック先生が、ピタリとあてはまる表現を白板に書いた。「ไม่มีดวง 運が無い」。ดวงは、「星」という意味だが、タイ人は「運勢」としてもつかっている。日本人も、「いい星の下に生まれる」というふうに使っているから、使い方は同じだ。

ジャズを聴く

今年に入ってから多忙をきわめていたが、やっと自分の時間がとれるようになった。そこで昨日の午後、四ツ谷駅近くに在る老舗のジャズ喫茶(1967年創業)へ行った。ジャズの力感に浸り、疲れた頭を浄化。
 激しく連続するビートを聞きながら、これは語学の勉強にも通じる! そう思った。
 生徒の皆さんはもやもや状態で勉強している。限られた時間に、いかに成果を残すか、それを考えたら、激しく、情熱的に勉強しないと…..。
 耳も、口も、頭も、大いに活性化させよう! そして、もっとも大切なことは、タイ語に向き合う情熱。あなたの情熱は、今、何度? 
 先生というものは踏み台にしか過ぎない。先生を超えて、自分自身が自分を牽引し、鼓舞し、そして、時には、自分を褒めてあげよう!

年月日をすらすら言えるようにしよう!

長い間、タイ語を勉強していても、年月日をすらすら言える生徒は少ない。所定の教科書だけを勉強するのではなくて、授業の冒頭、あるいは、中間、もしくは、最後に余った時間をうまく利用して、年月日を流暢に言えるようにしよう。
 年月日を言う場合、数字の発音が明瞭でないと、タイ人には通じない。月の名称をなかなか覚えられない生徒は、寸暇を惜しんで月の名称を唱える努力を!
 西暦を言うには、千、百、の桁もきちんと言えなくてはならない。余裕が有る生徒は、さらに、曜日や時刻もよどみなく一気に言えるようにしたいものだ。
 要するに、年月日の発音練習は、タイ語の発音要素、即ち、無気音、有気音、末子音(~ng,~n,~m,~p,~t,~k)、そして、5つの声調の要素をすべて網羅している。さあ、今日から、頑張って年月日を唱えようではないか。

長崎は、なんがさき?

今年の2月から、1ヶ月に2回の割合で個人レッスンを受講している生徒さんがおられる。タイ人講師と私の二人が懇切丁寧に指導しているが、彼は「お金 เงิน 」の発音がどうしてもできない。
 理由は、彼の耳には、頭子音の」[ง ng]が聞き取れず、[น n]の発音をしてしまうからである。
 すると、タイ人講師は私に向かって言った。「日本人は、長崎の発音ができるでしょ?」
 それを聞いて、最初は怪訝に思ったが、すぐにピンときた。タイ人の耳には、長崎(nagasaki)が、(na-nga-sa-ki なんがさき)に聞こえていることを。
 日本人にとって、[ง ng]が単語の頭に来た時は、とてもやっかいである。しかし、絶対に克服しなければ、「お金 เงิน」も、「仕事 งาน」も発音できないままになってしまう。

護国寺と東京カテドラル教会

 一昨日、タイ人母娘を案内して、文京区音羽に在る護国寺へお参りに行った。新緑の中からツツジの花が咲き出しており、とても美しかった。その後、護国寺から椿山荘の庭園まで歩くことにした。途中、私立小学校の女の子の新しいセーラー服姿を見て、初来日の娘さんが「とても可愛い!」と連発した。
 椿山荘の前には東京カテドラル教会が有る。仏教徒である彼女達をキリスト教の教会に案内することには抵抗もあったが、彼女達が見たいと言ったので聖堂の中に入った。私の目的は、マリア様が死んだキリストを抱いている「ピエタ像」を、彼女達に見てもらうことにあった。
 「ピエタ」とは、イタリア語で「敬虔なる同情」を表わすとのこと。語源はラテン語の「pietas 敬虔」だそうだ。仏教的に言えば、「慈悲心」。
 たまたま一昨日の朝、再放送で、京都の大仏師の仏像制作過程を見たばかりであった。怒りと慈悲の両方を仏像の眼にいかに彫り込むかについて、大仏師は熱く語っていた。それを見たあとだけに、護国寺の仁王門の像を意識して鑑賞することができた。
 仏像もキリスト像も、要は「慈悲」であり、「哀れみ」の表現そのもの。両者に隔たりは無い。

語学センス抜群の大学生

4月5日から「タイ語入門 木曜日11:00」のクラスを新規開講したところ、非常に優秀な女子大学生が入会して来た。12日に第2回目の授業を実施したが、彼女の語学センスたるや抜群だ。久しぶりに教え甲斐のある生徒に遭遇。一を教えればいいところ、ついついその10倍の十を教えている自分に気づき、学生の能力をうまく引き出す私の授業展開に我ながら酔った。
 彼女の語学センスがどこから来ているかを彼女との会話の中から探ると、次なる点がわかった。1)頭脳明晰。 2)海外旅行たくさん。ご両親とインドへも。即ち、国際センス満点。3)大学で韓国語をマスター済み。4)来年、バンコクの某所へインターンで行く目的を明白に持ち、そのためにタイ語の勉強をする。
 彼女だけを贔屓にしているわけではない。一緒に勉強している方達もいい影響を受けて楽しそうだ。

ソンクラーン(水かけ祭り)

今日4月13日はソンクラーン(สงกรานต์ 水かけ祭り)。タイ人にとっての正月である。ソンクラーンを見るために42年前にチェンマイへ行った時の思い出が今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。チェンマイ知事御夫妻を先頭に、多くの少数民族がお練り行列をした。街中でびしょびしょにされたので、郊外に逃げると、今度はクローン(คลอง水路)に若い娘達が居並び、バケツで掬った水を車めがけて一斉にぶっかけて来た。
 私は交友関係が広いから、悲喜こもごものニュースが私の元に飛び込んで来る。「息子が東大に入り、私の両親と妻が入学式(4月12日)に出席します」と言って来たのは滋賀県在住の元教え子だ。私も一緒に喜んであげた。何故ならば、その青年を生まれた時から知っているからである。
 長い人生、良いことも悪いことも有る。日本では無礼講の水かけは不可能だが、気持ちだけでもいいから、親しい友や教え子達に水をかけるしぐさをして、彼らの心の平安を祈ろう。

「豊」という漢字

昨日、仕事と仕事の合間に豊川稲荷に行った。十分なる時間が有ったので、靴を脱いで本殿に上がり、僧侶達の読経を聞いた。そして、境内の中にある数々の小さな社(やしろ)に手を合わせた。
 そして、明治3年創業のおいなり屋さんが豊川稲荷の境内のはずれで70年間もおいなりを売っていることを知り、そのおいなりを買って、境内のベンチで座っておいしくいただいた。おいなりを売っている老女の頭は明晰。おつりの計算も手さばきも実に早い。
 ところで、豊川稲荷をお参りして日頃からの謎(簡体字の由来)が解けてうれしかった。それは、「豊」の漢字の繁体字が大きな文字で書かれていたからである。「豊」の簡体字は、「三の左上から右下へ\を書き入れる」。草木が生い茂る様を表現しているそうだ。それを「山」の内空間の二つに入れ、山の下に「豆(注:上が膨らんで脚の長い大きな器を表わすとのこと)を書いた漢字になっていた。現代では、上部が「曲」になっているが、いずれにせよ、繁茂して旺盛である意味なので、実にめでたい。