地名の起源

 火曜日は、午前中の授業が正午に終わると、次の授業である夜19:00まで相当の時間が空いてしまう。先月はその間を利用して買物に出かけた。だが、馬鹿な買物をしてしまい猛省。
 一番いいのは、古本屋へ行くことだ。昨日は、高田馬場駅前にある書店へ行き、まずは新刊書コーナーを見た。しかし、最近は魅力的な本に出くわさない。そこで5階にある古本屋コーナーへ。ここのほうが何だか落ち着く。
 数冊買ったが、その中の一冊が、『世界地図から地名の起源を読む方法』(辻原康夫 河出書房新社 2001年)。定価は¥667円だが、古本だから¥200。最終章である第6章に、バンコクの名称の由来が書かれてあった。私としてはその記述に不満を持ったが、彼がタイ専門家でもないわけだから、まあ良しとしよう。
 いずれにせよ、たった¥200で、世界一周して、雑多な知識を得ることができ、それはそれで有意義であった。

目が疲れた、頭が疲れた

 「疲れる」というタイ語は、まず「เหนื่อย ヌアイ 低声」を覚えるのが一般的だ。さらに学習が進むと、「เมื่อย ムアイ 下声」が出て来る。ヌアイは全身疲労、ムアイは筋肉痛で疲れを覚える、と理解すればいい。
 ところが、「疲れる」というタイ語にはまだまだ有った。「タイ語中級 火曜日19:00」のシン先生が、次なる単語を白板に書かれた。「ตาล้า ター(平声)ラー(疲れる 高声)」
 ターは目という意味だから、残りのラーが疲れるという意味になる。「ล้า」は、「ล้าสมัย ラー サマイ 時代遅れ」でよく使う単語だが、「目が疲れる」にも使われるとは!
 辞書を引くと、「頭が疲れる」という表現として、「สมองล้า サモーング ラー」が書かれてあった。サモーングは「脳」のことだが、「頭」と同意だから、「頭が疲れる」の訳文でOK。
 そろそろ4月も終わり。新学期や新学年を迎えた緊張感で、目も頭も疲れているはず。もうすぐ始まるゴールデンウィークは、楽しいことを企画し、大いにリフレッシュしよう。なお、泰日文化倶楽部の休みは、4月29日(日曜日)から5月5日(土曜日)までです。)

美しい日本語を話すルーマニア女性

 昨日、仙台で行われた羽生結弦選手の凱旋パレードの様子をテレビのニュースで何度も見た。中国から来た女性はたどたどしい日本語でインタビューに答えていたが、彼女の気持ちがよく伝わって来て好感を持った。下手でもかまわない。まずは自分の気持ちを相手に伝えられることが肝心。
 ところがである。ルーマニアからはるばる仙台にやって来た女性の日本語は完璧であった。話す態度も礼儀正しい。彼女は日本語をきちんと学んでいる! 独学かしら? いずれにせよ、羽生選手のファンになってから日本語を学び始めたことだけは十分に想像できる。
 タイ語を学んでおられる生徒さん達、たまにはタイ語学習の目的を整理してみませんか? ①タイでゴルフするから、②タイ料理が好きだから、③タイの歌が好きだから、等々、いろいろ有る。明確な学習目的が定まらない方は、もうすぐ始まる黄金週間に、自分の学習態度を整理してみませんか。

絨毯 と 梵天

 昨日の日本列島はいずこも暑かった。教室に敷いている電気カーペットはいくらなんでももう不要と判断。午後の生徒達が現れるまでに一人で手際よくしまった。
 絨毯(カーペット)のことを、タイ語では「พรม phrom プロム」と言う。この単語は、動詞としては、「水をふりかける」という意味を持つ。「聖水をふりかける」は、「พรมน้ำมนต์ プロム ナムモン」と言う。
 絨毯(พรม)という単語を見ると、すぐに「พรหม phrom 梵天」を思い出す。両者のスペルは異なるが、発音は同じだからだ。「梵天が絨毯の上に座って、聖水をふりかける」という映像を勝手に想像して、私は両者を結びつけている。
 これは単語を覚えるための遊びにしかすぎない。だが何度もその映像を浮かべていると、不思議なことに、梵天が絨毯の上で大悟の祈りを捧げているかの如くに思われて来る。語学の勉強にとって、映像化の手法は工夫の一つなり。

「艶」という漢字

 昨日、1本の電話が有った。5月11日から開講予定の「タイ語入門 金曜日19:00」のクラスに申込みたいという内容であった。日本語は文法的に一つとして間違いがなかったものの、日本人の日本語ではないことがわかったので、「失礼ですが、どちらのお国の方ですか?」と尋ねると、「中国です。留学生です」と彼女は答えた。
 「お名前だけ、頂戴できますか?」と彼女に言うと、彼女は自分の名前を日本式の読み方で答えた。名前の最後に來る漢字を、「えんのえん です」と言ったが、私にはさっぱりわからない。「つやのえん です」と彼女は続けたが、私の耳には「通夜のえん」に聞こえた。結局、メールで申し込んでもらうことにした。
 メールはすぐに来た。見ると、「艶」であった。妖艶な、艶っぽい、と言ってくれればすぐにピンと来たのに….。だが、それを中国人留学生に要求するのは無理かも。余談ではあるが、楊貴妃の妖艶さとは、いかばかり?
 

和菓子

 お茶を習っているので、季節にふさわしい和菓子を一年中、抹茶とともにいただいている。茶道講師が注文する和菓子店は、5個でも特別に作ってくださるから、生徒達はその匠の精神に感嘆。昨日、その店の近くまで行くと、「柏餅」と書いたのぼりが店頭に置かれていた。そろそろ端午の節句だ。
 ところで、先週、大津在住の従姉が大津に本店を構える老舗の和菓子の詰め合わせを送って来た。その中に「あも」という羊羹ふうの菓子が入っていた。説明書によると、「あも」は、女房言葉で、その意味は「餅」だそうだ。「あも」が何故、「餅」に転じるのか、そのつながりがどうしても解せなかったので、さらにネットで調べてみると、「あも」は、「あんもち」から由来していることがわかった。
 「和」のものはすべて季節を選ぶ。二十四節気、即ち、2週間ごとに季節感が変わるので、季節に合った取り合わせをしようとすると大変だ。しかし、その大変さの中から、季節を感じ取り、この世を楽しんでいる自分がいることがわかって、いと嬉しかりけり。

タイ語で「縁が無い」はどう訳すか

 「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスは、昨夜、4名の生徒が出席した。幸いにも、今月から、若くて優秀なパック先生が登板しているので、これまでになくクラスの雰囲気が明るい。
 話題が結婚に及んだ時、一人の生徒が言った。「自分には縁が無いなあ」
 私はすかさず彼に要求した。「その縁が無いということをタイ語で言ってみてください」
 「縁という単語はなんて言うんだろう」、と言いながら、彼はスマホで単語を探そうとしている。
 私は思う。生徒の皆さんはすぐに辞書で単語を探したがるなあ、と。しかし、スマホの辞書で「縁」を引くと、最初に「縁(ふち)ขอบ」が出ている。そのあとに、いろいろな単語が紹介されてはいるが、一体、どの単語を使ったらいいのかわからない。要するに直訳しても、タイ人には通じないのである。
 パック先生が、ピタリとあてはまる表現を白板に書いた。「ไม่มีดวง 運が無い」。ดวงは、「星」という意味だが、タイ人は「運勢」としてもつかっている。日本人も、「いい星の下に生まれる」というふうに使っているから、使い方は同じだ。

ジャズを聴く

 今年に入ってから多忙をきわめていたが、やっと自分の時間がとれるようになった。そこで昨日の午後、四ツ谷駅近くに在る老舗のジャズ喫茶(1967年創業)へ行った。ジャズの力感に浸り、疲れた頭を浄化。
 激しく連続するビートを聞きながら、これは語学の勉強にも通じる! そう思った。
 生徒の皆さんはもやもや状態で勉強している。限られた時間に、いかに成果を残すか、それを考えたら、激しく、情熱的に勉強しないと…..。
 耳も、口も、頭も、大いに活性化させよう! そして、もっとも大切なことは、タイ語に向き合う情熱。あなたの情熱は、今、何度? 
 先生というものは踏み台にしか過ぎない。先生を超えて、自分自身が自分を牽引し、鼓舞し、そして、時には、自分を褒めてあげよう!
 
 

年月日をすらすら言えるようにしよう!

 長い間、タイ語を勉強していても、年月日をすらすら言える生徒は少ない。所定の教科書だけを勉強するのではなくて、授業の冒頭、あるいは、中間、もしくは、最後に余った時間をうまく利用して、年月日を流暢に言えるようにしよう。
 年月日を言う場合、数字の発音が明瞭でないと、タイ人には通じない。月の名称をなかなか覚えられない生徒は、寸暇を惜しんで月の名称を唱える努力を!
 西暦を言うには、千、百、の桁もきちんと言えなくてはならない。余裕が有る生徒は、さらに、曜日や時刻もよどみなく一気に言えるようにしたいものだ。
 要するに、年月日の発音練習は、タイ語の発音要素、即ち、無気音、有気音、末子音(~ng,~n,~m,~p,~t,~k)、そして、5つの声調の要素をすべて網羅している。さあ、今日から、頑張って年月日を唱えようではないか。

長崎は、なんがさき?

 今年の2月から、1ヶ月に2回の割合で個人レッスンを受講している生徒さんがおられる。タイ人講師と私の二人が懇切丁寧に指導しているが、彼は「お金 เงิน 」の発音がどうしてもできない。
 理由は、彼の耳には、頭子音の」[ง ng]が聞き取れず、[น n]の発音をしてしまうからである。
 すると、タイ人講師は私に向かって言った。「日本人は、長崎の発音ができるでしょ?」
 それを聞いて、最初は怪訝に思ったが、すぐにピンときた。タイ人の耳には、長崎(nagasaki)が、(na-nga-sa-ki なんがさき)に聞こえていることを。
 日本人にとって、[ง ng]が単語の頭に来た時は、とてもやっかいである。しかし、絶対に克服しなければ、「お金 เงิน」も、「仕事 งาน」も発音できないままになってしまう。