護国寺と東京カテドラル教会

 一昨日、タイ人母娘を案内して、文京区音羽に在る護国寺へお参りに行った。新緑の中からツツジの花が咲き出しており、とても美しかった。その後、護国寺から椿山荘の庭園まで歩くことにした。途中、私立小学校の女の子の新しいセーラー服姿を見て、初来日の娘さんが「とても可愛い!」と連発した。
 椿山荘の前には東京カテドラル教会が有る。仏教徒である彼女達をキリスト教の教会に案内することには抵抗もあったが、彼女達が見たいと言ったので聖堂の中に入った。私の目的は、マリア様が死んだキリストを抱いている「ピエタ像」を、彼女達に見てもらうことにあった。
 「ピエタ」とは、イタリア語で「敬虔なる同情」を表わすとのこと。語源はラテン語の「pietas 敬虔」だそうだ。仏教的に言えば、「慈悲心」。
 たまたま一昨日の朝、再放送で、京都の大仏師の仏像制作過程を見たばかりであった。怒りと慈悲の両方を仏像の眼にいかに彫り込むかについて、大仏師は熱く語っていた。それを見たあとだけに、護国寺の仁王門の像を意識して鑑賞することができた。
 仏像もキリスト像も、要は「慈悲」であり、「哀れみ」の表現そのもの。両者に隔たりは無い。