今年は客人多し

昨日、確定申告の書類がほぼ出そろい、昨年のことはほぼ終わったに等しい。2月分の講師料もすでに計上してあるので、今年の業務の6分の1が終わった気がしている。こうして毎日、事務的なことをやっていると、時間の流れが早くて早くて……。
 そこへ、今年は親戚や知人が来日、または上京を予定しているので、私の手帳は8月上旬まで埋まってしまった。こんなことは珍しい。どうやら東京オリンピックまで多忙を極めそうだ。当分、東京を離れることはできそうもない。離れるとしても、ほんの数日の旅行にとどまりそう。
 だが、私は客人の接待が大好きである。会っていろいろと話すと、実に楽しい。終活をしなければならない年齢に達しているが、エンディングノートに書き込んで行く作業よりも、久闊を叙する時間を楽しむ方向に向かって、まだまだ元気で働こう。

タイ語の二重子音

昨晩、「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスの生徒達に授業の冒頭、タイ語の単語を書かせた。強制的に書かせないと、自分達では書こうとしないからである。書かせて、勘を養わせたいという教師の願い、それを私はいつも持っている。
 まずは、タイ語にたくさん見られる二重子音の単語を「タイ語中級」のテキストから選んで書かせてみた。ほとんどは既習単語である。
 1)ソンクラーン(สงกรานต์ の กร) 2)カメラ(กล้องถ่ายรูป の กล) 3)広い(กว้าง の กว) 4)戦争(สงคราม の คร ) 5)調べる(ตรวจ の ตร) 6)文章(ประโยค の ปร) 7)習慣(ประเพณี の ปร) 8)仏陀(พระพุทธ の พร)
 二重子音は他にもいくらでもあるが、いずれも書いて書きまくって覚えていくしかない。とにもかくにも発音が悪いと、正しい二重子音は書けないのである。まずは正しい発音を習得することが肝要だ。

大学受験生

 毎年、今の季節の東京は大学受験生であふれている。これまでは傍観視していたが、昨日、親戚の高校生がやって来たので、一緒に試験会場へ下見に行った。すると、試験が終わって会場をあとにする受験生とすれ違った。みんな、自信なさそうな暗い顔。受かっていればそれはそれでよし。落ちても、別の大学で勉強すればいいではないか。
 都内の大学生の数を制限しようという空気があるが、東京には特別なるパワーが潜在しているので、若い者が憧れるのは当然だ。それを制限しようとする動きが問題となっているが、とにもかくにも役人の発想は貧困。なんでも平均化しようとする考えは競争力を奪い、未来の未知数を閉ざしてしまう。
 日本全国から集まって来る若者がせめぎ合い、大学卒業後、それぞれにまた自分が選ぶ世界へはばたいていく流れを消してはならない。

未来の年表

昨日は完全にオフだったので、『百歳人生を生きるヒント』(五木寛之 日本経済新聞出版社 2017年)を読んだ。この類の本はタイトルに惹かれて購入する傾向があり、くだらないと自省している。
 だが、五木氏が彼の本の中で引用している『未来の年表 人口減少日本で起きること』(河合雅司著 講談社現代新書)のデータに興味を覚えた。 1)2020年には、女性の二人に一人が五十歳以上になる。2)2021年には大量の介護離職が発生する。 3)2024年には、三人に一人が六十五歳以上の「超・高齢者大国」になる。4)2026年には、認知症患者が七百万人規模になる。5)2027年には、輸血用血液が不足する。2033年には、全国の戸建て住宅の、三戸に一戸が空き家になる。
 予測だからその通りになるとは限らないが、輸血用血液が不足すること、それが心配だ。人口が減る一方だから、致し方ない。病気や怪我をしないようにしないと……。

春水満四澤

昨日、お茶の稽古に参加した。足が悪いのでお点前はせず、仲間達が点てる抹茶を喫茶するだけである。だが、辞めるよりも持続の道を選び、今月から3年目に入った。
 昨日の掛軸は、「春水満四澤」であった。陶淵明の「四時」からの禅語。日本では「春水 四澤(したく)に満つ」と読むそうだ。意味は訳さなくても十分に想像がつくはずである。
 大雪のニュースを見るたびに、雪国の人々の生活の大変さを心配するが、いつか雪が解けて、春水が大地を潤し、やがては豊穣なる自然の産物をもたらしてくれることを想像すると、希望が湧く。
 ストレスを溜め込んだ生活はよろしくない。自分の体に新しい水と酸素を取り入れ、そして、脳には新しい知識を送り込んで、マイペースで暮らしたいものである。

パスポート紛失に注意

二日前に元生徒さんからライン電話が入って来た。「先生、バンコクからです。一緒に来た友人がパスポートを無くしてしまいました。今日、帰国する予定なので、どうすればいいですか?」
 「まずは警察へ行き、紛失届を出し、その書類を持って日本大使館へ行けばいいと思います。急いでいかないと、今日は金曜日だから、もし事務時間を外した場合には、11日の月曜日が振替え休日だから、12日の火曜日まで待たなければなりませんよ。とにかく急ぐように友人に言ってください」、と私は助言した。
 すると、夕方になって、彼からまたライン電話が入った。「先生、有難うございました。今日中に、一緒に帰れることになりました」
 一月にバンコクへ行った現役の生徒さんは携帯を盗まれたそうだ。こういう話をいろいろと耳にすると、タイだけではなくて、海外旅行の際には、よほど気を引き締めないといけないと厄介なことになると思った。

少人数クラスは楽しい

経営上から言うと、1クラスにつき、生徒数が10名いないとクラスの存続は難しい。そして、教師側から言えば、生徒数が5名~7名までが一番教えやすい。しかし、生徒達は諸事情でやめていくから、最後に残るのは2~3名。
 泰日文化倶楽部はその2~3名の生徒達を大切に守り、延々とクラスを持続させている。「楽しいから来ます!」という声に応えて……。
 タイ人講師の代講をすると、生徒達の様子や気持ちがよくわかる。中には、「日本人講師から教わる必要性を大いに感じました!」という生徒さんがおられた。彼女が日頃からいだいている質問に適格に答えてあげ、頭の中に刺さっている棘をするりと取り除いて上げたからである。
 2~3名のクラスは贅沢なクラスだ。生徒達がそれを感受し頑張って勉強してくだされば、教師も嬉しいし、かつ楽しい。

軽妙洒脱な給仕さん

「タイ語中級 水曜日13:00」のクラスのYさんが1月にバンコクへ行かれたので、級友達が「กรุงเทพฯเป็นอย่างไรบ้าง バンコクはどうでしたか?」と尋ねた。すると彼はこう答えた。
 「クイティオ(うどん)を頼んだのに、カオマンガイ(蒸し鶏ごはん)が出てきました。そして、運んで来たタイ人からボナペティと言われました。私はクイティオではなくて、カオマンガイが出て来たことにまず驚いてしまっていましたが、ボナペティという言葉の意味がわからなかったので、ぺティが、もしかすると、辛い(เผ็ด phet)、あるいは、アヒル(เป็ด pet)かもしれないと想像しました。それにしても、とにかく解せないことばかり」
 この話を聞いて、「ボナペティ」が、フランス語であり、「召し上がれ!」という表現であることは私にはピンときた。そのタイ人は欧米人の客をたくさんあつかっているのであろう。Yさんが日本人ではなくて、欧米人に見られた可能性もある。あるいは彼がパリのレストランで働いた経験が有るのかもしれない。なかなかに軽妙洒脱な給仕さんだ。

タイ語を書こう!

昨日は、二人のタイ人講師がかねてより諸事情で休ませてほしいと申し出ていたので、私が4クラスを代講した。こういう時も有っていいなあと思う。何故ならば、生徒達の進捗度が私の眼で観察できるからだ。
 4クラスの皆さんはいずれも根気よく継続学習をしておられるので、タイ語が好きであることは十分にわかる。そして、タイ人講師達の言っていることがほぼ聞き取れていることもわかっている。
 だが、タイ文字を正確に書くという作業があまりなされていないので、私が代講として登板する際は、必ずと言っていいほど、タイ文字を書かせる訓練をさせる。
 タイ語の場合は母音表記がたくさん有り過ぎるので、手でしっかりと書いて、頭だけではなくて、目でも指でも正誤の感覚を覚え込ませなければならない。そして、さらに気づいたことは、有気音、無気音の聞き分けが怪しいので、正確な表記が出来ない人が多い。さらには、末子音の表記が、サンスクリットやパーリ語から来たタイ語の場合、生徒達皆さん、滅茶苦茶である。書いて書いて書きまくって覚えるしかない。

ลง(下りる)vs โลง(棺)

 何かを提案された場合、それに対して「同意する」とか、「了承する」という意思を簡単に伝える便利なタイ語は「ตกลง tok-long トック・ロング」である。しかし、「ลง long ロング」の発音が、タイ人講師の指摘によると、「โลง loong ローング」になっている日本人が多いとか……。
 短母音のロングは「下りる」という意味で、長母音のローングは「棺」という意味だから、タイ人講師が聞くと、非常におかしいらしい。
 「了承します」と言うたびに、「棺桶に落ちます」と相手に言えば、そりゃあ、タイ人の皆さん、びっくりするはずだ。