プライベート・クラスのMOさん

タイ語入門クラスを受講しておられたMOさんが、4月からプライベート・クラスの受講に切り替えられた。少しでも早く上達したいということで、単独受講を選択されたと私は解釈している。
 今週はタイ人講師の都合がつかなかったので、私が担当した。タイ人講師と会話の勉強をしているものとばかり思っていたが、タイ文字を習っているそうだ。どうにか5つのタイ文字を覚えたところだと彼女は言った。
 私はすかさず助言した。「そんなにのろのろ勉強していると、到底、間に合いません。もっとスピード・アップしてください。タイ語の単語を塊で覚えてしまうことですね」
 私は『タイ語入門』のテキストの中のタイ語だけで書かれた本文のところを読むように指示した。最初は読めなかったが、私のスパルタ方法により、途中から調子が出てきて読めるようになった。何故ならば、すでに勉強している内容だから、タイ語の音はすでに頭に入っている。彼女は断然、自信を持った。
 私が何故、彼女にスパルタを強いたかと言うと、それは彼女が私の大学の後輩だからである。気合だ、気合!

ペー先生、有難うございました!

水曜日の2クラスをご担当いただいていたペー先生が、昨日をもって、お辞めになられました。博士論文の記述に専念なさりたいという申し出が有ったので、二つ返事で了承しました。
 ペー先生、2年間、ご指導いただき有難うございました。教え方がどんどん上手になっておられた時だけに残念ではありますが、喜んで送り出したいと思っている次第です。立派な論文をお書きになり、博士号を取得なさることを期待いたします。
 ペー先生の後任は、ディア先生。ペー先生の後輩である。「鹿(deer)さんですか?」と尋ねると、「いいえ、my dear のディアです」と答えた。
珍しいニックネームだなあと一瞬思ったけれど、とても親しみやすい感じが沸き起こってきた。来週の水曜日からどうかどうか宜しく!

ワニが嫌い

『タイ語初級クラス』で学んでおられるS子さんは、「私、ワニが嫌いなんです」と言う。タイにはワニがいっぱいいるが、嫌いなら仕方がない。
 ところが、授業中にタイ文字を書いてもらうと、「ワニを書くのが苦手なの」と言い出した。最初はその意味がわからなかったが、ようやくわかった。タイ語の短音記号である「 ็ ไม้ไต่คู้ マイタイクー」の形状が、彼女にとってはワニに見えるのだそうだ。
 「あら、タイ数字の8と同じ形をしていますから、頑張って書いてくださいよ」と、私は促した。
 なぜワニなのかと思ったが、どうやらブランド製品であるラコステのマークと類似していることに気がついた。そう言えばそうだ。納得。
 タイ語には短音記号を用いる単語が結構ある。基本語彙の実例を挙げると、① เป็น です ② เย็น 涼しい ③ เล็ก 小さい ④ เหม็น 臭い ⑤ เสร็จ 終わる、等々。
 まだまだ有るが、あとは生徒の皆さんの宿題としよう。

日本語の助詞

日本語の助詞は、日本人であれば自然に使っているので、別に何でもないと思っていたが、『好楽日和』(三遊亭好楽著 晶文社 2012年)の中にとても傑作な話が書かれてあった。
 三遊亭好楽の娘さんが失恋して泣いている時、父親としてなぐさめようと思ったいきさつを次のように書いている。
「なあ、おまえ、人間は顔じゃないんだから」と言おうとしたのだが、どうも少し酒が入っていたせいか口が滑って、「なあ、おまえは人間の顔じゃないんだから」と、言っちまい、よけいに泣かれましたよ。日本語って難しいですねえ。ちょっと言葉が逆さまになっただけで、とんでもない意味になっちゃうんですからねえ。
 父親が噺家だから、娘さんも許したと思う。だが、このような実例を知ると、日本語も注意して話さないと人間関係がおかしくなる。

オープン・ガーデン

 郷里の友人に数十年ぶりで電話をしてみた。すると、彼女はオープン・ガーデンというものを実施しており、大勢の方達が見学に来られていると言った。
 オープン・ガーデンのことは雑誌やテレビで紹介されたのを見たことがあるが、まさか私の友人もやっているとは!
 聞くところによると、一年中、何らかのお花を咲かせているそうだ。
 「お花に囲まれて素敵な生活ですね」と私が言うと、彼女は答えた。
 「お花に遊ばれているだけよ」
 <花に遊ばれる>という表現。何とまた風流で、奥が深いことであろうか。

「触る」というタイ語

 ゴールデン・ウィーク中に大阪へ行った生徒さんから面白い話を聞かせてもらった。「駅の地下道に、<痴漢あかん>という貼り紙が貼ってありましたよ」
 それを聞いて、大阪弁ならではの標語だなあと思った。響きがいい。そして、実にわかりやすい。
 そこで、「皆さん、<触る>というタイ語は何と言いますか?」と、生徒達に尋ねてみた。
 一番、最初に、<จับ ジャップ>と答えた方がいたが、それだと、少し力が入りすぎている。腕をつかむという感じだ。因みに握手だと、<จับมือ ジャップ ムー>。
 次に、<แตะ テェ>が出たが、これだと力が入らず軽すぎる。例:「แตะหน้าผาก 額に手をあてる」
 その中間で、自分の愛情を相手に感じてもらう触り方は、「สัมผัส サムパット」であると、タイ人講師は説明した。
 このような単語の使い方の違いを知ることができるのは、やはり生きたタイ語教室ならではのことだ。

喫茶店の伝票

 昨日、仕事の帰りに練馬の古書店に行ってみた。だが、閉まっていた。女店主は元気にしておられるであろうか?
 そこで喫茶店に入り、新聞を読む。ふと伝票の裏に目がとまった。
 「生涯の願い私の生涯の願いは タッタ一人でよい 
この店は 私にとって だいじな店です
 と いって下さる お客様という名の 友人をつくること」
 と書いてあった。「店」を「塾」、そして、「お客様」を「生徒さん」に置き換えると、OK。我が泰日文化倶楽部も、その精神で行こう。

前置詞「สำหรับ ~にとっては」

泰日文化倶楽部は昨日から再び始動。B先生はまだタイでバカンス中であるため、私が代講。生徒達の出席率は80%。まずまずだ。由としよう。
 ところで、自分のテキスト(非売品)はよく出来ていると思っている。自分が作ったから、この課では、このポイントを是非とも覚えてほしいという願いがこもっている。
 昨日は、前置詞「สำหรับ ~にとっては」というのが出てきた。「私にとっては、何でもいい」という基本文型だ。タイ語入門のテキストでは、「何でもいい」という簡単な表現しか教えないが、タイ語初級になると、「私にとっては~」、「私の場合は~」の表現を追加して覚えさせる。なんと大人っぽいことか!
 この前置詞を多用すると、いくらでも表現の幅が広がる。「私にとっては、タイ語の勉強が難しい」から始まり、「私にとっては、この部屋は広すぎる」も言える。究極的には、「私にとっては、健康第一!」も言えるようになる。もちろん、私だけではなくて、「日本国にとっては~」と、時事ネタも話せるようになる。
 教科書に出てくる文型はほんの一例だ。応用表現を駆使して、1時間くらいお喋りマラソンをしてほしい。。

五月の言葉

 昨日、雑司ヶ谷界隈を散歩した。そして、大鳥神社にお参りして、東京都神社庁が発行している「生命の言葉 五月」の紙片をいただいた。
 「是非の初心を忘るべからず 時々の初心を忘るべからず 老後の初心を忘るべからず 世阿弥」
 解説=物事をはじめた未熟なころの初心を忘れてはいけない。それぞれの成長段階における初心を忘れてはいけない。老境に入った時の初心を忘れてはいけない。人生は常に新しい初心との遭遇で、これら初心の積み重ねが無限の可能性につながるのである。
 ゴールデン・ウィークは終わった。今日から泰日文化倶楽部は再始動する。各自、新たなる気持ちでタイ語力を向上させよう!

原宿のポスト

一昨日、原宿へ出かけた。私の家から副都心線に乗ると明治神宮前までは15分で行ける。
 いやはや人の多いこと。そして、外国人の多いこと。アジアパワーは日々、確実に更新されていること間違い無し。
 私は一通の手紙をかかえており、どうしても早く投函しなければならなかった。そのため、ポストを探した。だが、なかなか見つからない。「ポストよポスト、あなたはどこ?」と心で問いかけながら歩く。ポストが無いはずはなかろう。だが、スマホの時代だからなあ….。
 よし、執念で探してやるぞと気合を入れた途端に、目の前にポストが! だが、そのポストはペンキが剥げて、褪せた赤色をしていた。おまけにたくさんの落書きがされており、街のアート作品かと見まがうほどであった。本当にポストかしらと半信半疑で投函する。場所は竹下通りと明治通りが交差するところだ。
 大勢の外国人が歩いているというのに恥ずかしい。ポストの落書きだけはやめてほしい。