カフェ・タイ料理

昨晩、昔の生徒さんから電話が有った。話すのは9年ぶり。彼女はアジア雑貨、と言っても、インドのサリーを中心に販売する「虹の丘」の店主であるが、今はなんと、「スリーシーズンズ」という名前のカフェ・タイ料理のお店も経営しておられるとのこと。これはすごい。しかももう3年もやっておられるから、お店は安泰だ。
 場所は東京スカイツリーのすぐそば。これまたなんとすばらしい立地だこと!
 そして、もっと驚いたことは、彼女がタイ料理やタイのデザートを自ら作っておられることだ。一体、いつ、彼女はそのようなスキルを磨いたのであろうか? やはりやる気が有る人はちがう。
 ところで、店名の「スリーシーズンズ」だが、何故、「フォーシーズンズ」ではないのであろうか? おそらくタイやインドにならっての命名かも…..。
 いずれにせよ、墨田区業平2丁目にあるこのお店は、隠れ家的存在を保ちつつ、この先、ずっと続いていくことであろう。

降雨 と 株の下落

昨夜来、台風の進路に関するニュースと世界同時株安のニュースで持ちきりだ。教室の授業の中でもこれらの話題が出た。
 「雨が降る」はタイ語で、「ฝนตก fon tok フォン トック」。だが、この「フォン=雨」という単語を生徒は上手に発音することができない。やはり、日本人にとって不得手な[ f 音]がネックなようだ。
 一方、「株が下落する」は、タイ語で、「หุ้นตก hun tok フン トック」。
雨(fon)も、株(hun)も、末子音は[n]音だ。だが、これがまた、日本人には苦手なようである。
 頭子音と末子音がどうにか発音できても、次なる問題点は、やはり声調だ。fon は、上声(5声)、そして、hun は、下声(3声)。
 耳で聞き分けて、いずれの単語も早く自分のものにしてしまおう。

จมไม่ลง 沈んでも沈みきらぬ

昨日、「タイ語上級 日曜日13:00」の授業で講読している小学校副読本の中に、「จมไม่ลง ジョム マイ ロング =沈んでも沈みきれない」という表現が出てきた。
 この副読本は、父、母、姉、そして弟の4人暮らしの家庭の中で、タイ語の表現について、正しい使い方を両親が子供たちに教える内容になっており、なかなか示唆的なテキストである。
 そもそも、「จม ジョム 沈む」という単語自体、あまり好きではない。夏の水難事故を耳にするとかわいそうでたまらないからだ。
 「沈んでも沈みきれない」という表現の意味するところは、「事業に失敗して貧乏になっているにもかかわらず、経費を切り詰めようとはせず、相も変わらず贅沢三昧をする人」という意味だと、テキストでは母親の言葉を借りて説明している。さらには、「現状に見合った生活状態に改善することができない」とも付け加えている。
 「กินไม่ลง ギン マイ ロング 食べ物がのどを通らない」というのはよく使うが、このように更なる新しい表現を覚えることはためになる。だが、出来得るならば、あまり使いたくない表現だ。

昨日は知人の誕生日であった。そう思っていると、昨晩、その知人が夢の中に現れた。おや、びっくり。何故ならば、数年前に鬼籍に入ってしまわれた方だからだ。お盆が終わったというのに、まだ娑婆に居残っておられたとは?
 夢は夢でも、もう一つの意味である「将来の夢」。これが無くなった。これではいかん。
 夢という漢字を見ると、草冠の「十十」を数字に表わすと、廿、すなわち、二十だ。さらに、その草冠の下に「四」が続く。これらを合計すると、「二十四」になる。穿った解釈をすると、夢を懐くのは、せいぜいが24歳までなのか? いやいや、そこは希望を拡大して、20x4=80、すなわち、80歳までと思いたい。
 現代が分からなくなった。情報過多に翻弄されすぎて、自分の夢への焦点が絞れない。これは由々しきことだ。頭を冷やして出直そう。

日本橋人形町界隈

昨日、日本橋人形町へ行く用事が有った。歩いている通りの標識を見ると、「金座通り」。おや、「トンロー通り(ทองหล่อ)だわ」と、すかさずタイ語に訳してしまった。
 明治座に通じる甘酒横丁も楽しい雰囲気が醸し出されていた。三味線店の前を通ると、つい、“粋な姐さん”を思い浮かべてしまう。
 日比谷線の駅の交差点近くにある喫茶店に入った。中に入るや否や、どっしりとした風格が漂っていた。この店の名前は「快生軒」。安産の神様で有名な水天宮が近いので、赤ちゃんが元気に生まれてくるようにとつけられた名前だそうだ。創業1919年(大正8年)8月8日。あと4年で100周年! 喫茶店で100年近くも続くということは奇跡だ。
 快生軒の2つ隣りは軍鶏鍋店の「玉ひで」。創業1760年。軍鶏はしゃもと読む。このしゃもは、タイの旧名であるシャム(Siam)から由来したもの。タイで有名なあの闘鶏だ。(注:昔の日本人がサイアムとは呼ばず、シャムと呼んだ)。
 そのすぐ近くに「谷崎潤一郎生誕の地」というプレートが目にとまった。
 文豪を生ましめた土地、人形町。江戸時代からの歴史を紡ぐ町、人形町。町民の力強さがしかと感じ取れた。

泰日文化倶楽部 授業再開!

泰日文化倶楽部の夏休みは昨日で終わりました。今日から授業再開です!
 この2週間、いろいろなことが有りました。特に、バンコクに於いては、エラワン祠での爆発が….。
 アイス先生の結婚式(8月16日)に列席された方達、無事に帰京できたようで、ほっとしています。
とにかく事件が起きるたびに、生徒達の安否が気になってしまうのが常です。
 事件や事故に遭遇したら一大事。しっかりとしたタイ語力をつけて、どんな場面においても、自分の意見がきちんと言えるように、日々、研鑽を積みましょう。

戦後すぐに発行された『日米会話手帖』

戦後70年ということで、今年はいつもの8月とは異なり、いろいろな意味で精神的なる引締めを覚えた。
 昭和20年(1945年)8月。その頃、世間はどうであったかと思い、『昭和・平成 家庭史年表』(河出書房新社刊行 1997)で調べてみた。
 そして、特に、<文化・レジャー>の項目の中で、次なる記述に興味を覚えた。
 「8月30日 『日米会話手帖』(誠文堂新光社)が発行される。400万部の大ベストセラーに。全人口の16人に1人が買った勘定」
 これが事実とするならば、戦後すぐに日本人は英会話に関心を示したことになる。その比率たるやすごい。なのに、いまだに英会話が下手なのは何故か。日本人は本は買うが、すぐに積読状態?
 ああ、それにしても悔やまれる。日本人の語学熱が長続きせず、英会話がいまだに不得手であるということが….。

「待つ」ということ

8月15日放送のNHK番組「SWITCH 達人達」の中で、関野吉晴氏(探検家・人類学者・外科医・大学教授)が、次のようなことを語っていた。
 「最近の人は待つということをしなくなった。3ヶ月、半年、1年で、もう辞めてしまう」 
 私もそう思う。効率的に動かないと何だか遅れて行くような気がする現代。しかし、「じっくり構えて待つ」という精神も大いに必要だ。
 先日、太陽君と銀ブラをした時、駐車している高級車や老舗店の高級品を見ながら、彼は自分に言い聞かせるが如く、こう言った。「รอรวย ロー・ルアイ」
 直訳すれば、「金持ちになるのを待つ」。だが、彼の言わんとしたかったことは、「今は勉強に集中。そして、自分でしっかりと稼ぐようになり、お金をたくさん貯めて、買いたいものが有れば、自分のお金で買おう!」ということ。
 「待つ รอ ロー」という動詞の後に、名詞、形容詞、あるいは、動詞を続けて、表現を作ってみてはいかが? ただし、「รอเรียน ロー・リアン 勉強するのを待つ」は駄目。待ちの姿勢での勉強は単なる時間のロスだ。「รีบเรียน リープ・リアン 急いで勉強する」をお勧めする。

捲土重来

 昨日は高校野球の中継を朝から晩まで見た。準々決勝ともなると、いずれの試合も面白い。昨年負けて、再び甲子園にやって来た高校に対して、アナウンサーは「捲土重来」という言葉を使うことが多い。
 <捲土>とは、土煙が捲き上がること、すなわち、勢いが強いことを言うそうだ。これに<重来>を足して四文字熟語にすると、「捲土重来」。「一度戦いに敗れた者が、再び勢いを盛り返して攻め寄せて来ること」という中国故事に依拠する。早くも来年に甲子園に返り咲くことを願っている高校も多いことであろう。
 昨日は日本各地、大雨となり、神奈川県には竜巻が発生。日本大学藤沢キャンパスの美しい桜の木がなぎ倒された。もしも運動場に竜巻が発生すれば、それこそ、土が捲き上がったことであろう。
 自然現象は逆らえない。またまたダブル台風が発生したようである。今年は台風の当たり年だ。日本では昔、秋の暴風のことを野分(のわき)と言っていたようだが、都会に住んでいると、イメージがわかない。せいぜいがビルの看板や窓ガラスの破片に当たらないように注意するしかないであろう。

高田馬場界隈

昨夕、テレビ東京の番組「モヤモヤさまぁ~ず2」は、高田馬場を特集した。「大学や学校がたくさん有りますよ」と冒頭で紹介されたので、泰日文化倶楽部の看板が、もしや、ちらりと映るのではないかと密かに期待して見た。
 まずスタートは駅前広場から。そして、さかえ通りへ。案の定、かの有名な八百屋のおじさんが登場。海老蔵のマネをしまくった。私がここで果物を買う時は、この個性あふれるおじさんと必ず会話を交わすことにしている。何故ならば、高田馬場きっての情報通だから。
 次に、神田川を渡って染め店へ。創業は昭和14年。神田川沿いには、昔、染屋がたくさん有ったと聞いている。
 3番目に訪れたところは早稲田大学近辺にある帽子店。角帽が懐かしい。そのあと、出演者達は角帽を模したケーキを販売している喫茶店へ。
 やがて、大隈講堂が登場。美しい。早稲田大学生が要望に応えて校歌を歌う。次なる店は紙屋。これまたアイディア満載のお店だ。番組はまだまだ続く。
 高田馬場って、やっぱり面白い!