84歳の女将

このところ、仕事の関係で原宿方面へ毎日のように出かけているが、問題はランチの場所だ。人が多すぎて落ち着かない。そこで、神宮前周辺を散策しながら、昨日は「あきよし」というお店に入った。「おいでませ」と店の扉に書いてあったから、ついつい吸い込まれていった。
 扉を開けて店内に入った瞬間、異次元の空間を見てびっくり。いやもう驚いた。何故ならば、想像していた和食屋さんとは全く異なっていたからだ。もっとびっくりしたのは、女将のこと。客が一人しか入っていなかったので、つい年齢を訊いてしまった。
 真っ赤で長い丈のカーディガンをはおった女将は「84歳」と、気持ちよく答えてくれた。昭和37年(1962年)に開店して以来、ずっと一人で頑張っておられるとのこと。「店をやるのが好きなの。昔のお客さん達、上京すれば、来てくれるのよ。でも、今年いっぱいで店をたたんで、足腰が立つうちに、山口へ帰ります」
 私はこれからも彼女の店へ行こう。そして、彼女の55年間における女将魂を少しずつ聞き出したい。

色彩いろいろ

去年10月以降、黒色(สีดำ)、紺色(สีน้ำเงิน)、そして、灰色(สีเทา)の服しか着ていない。これらの色は私の仕事には最適なので、これからもずっとこの色合いで出かけて行ってもいいと思っている。だが、問題はほこりが目立つことだ。特に、黒と紺の洋服は….。したがって、最終的には灰色の服ばかりになりつつある。
 灰色はほこりが目立たない。しかし、世間のニュースでよく取り上げられる問題は、<灰色 グレイ>の色で比喩されるが如く、あまりいいイメージではない。
 テレビのニュースキャスター達の服装が白(สีขาว)系統、あるいは、パステル・カラーになって来た。春近し。
 原宿周辺を歩くと、もうそこは若者の色で輝いている。店舗の色もアメリカナイズされて、黄色(สีเหลือง)や青色(สีฟ้า)で塗装されている。心が浮き浮きしてきた。

都営バスの中

 最近、都営バスによく乗っている。以前は(เมื่อก่อน)バス停でバスを待つのが嫌いだったが、「のんびり待つのも、まあいいかなあ」という心境に切り替えた。すると、様々な光景がバスの中で展開していて、人間観察にはもってこいの場である。
 先日、バスに乗って来た若い女性が優先席に座っているおばあさん(หญิงชรา)の足を踏みつけた(เหยียบเท้า)。おばあさんは怒り心頭(โมโหมาก)。何故ならば、彼女が謝らなかったからである。若い女性はイヤホン(หูฟัง)をしていた。周囲の声や音が聞こえないにしても、他人の足を踏みつけたという感触は無いのであろうか。
 運転手(คนขับรถ)が彼女を呼び返した。理由は彼女がタッチしたカードが料金不足であったからだ。しかし、運転手の声も聞こえない。そうこうしているうちに、周囲の人が注意したので、彼女は運転手席横の料金箱まで戻って行った。そして、不足分を支払ったあと、またしても同じおばあさんの足を踏みつけた。おばあさんはもう怒らなかった。どうしてだろう? 根負けしたのであろうか。

「西アジア遊牧民の染織」展

昨日、東京スカイツリー駅に降りると、駅構内に貼られている一枚のポスターが目にとまった。それは、たばこと塩の博物館で開催されている「西アジア遊牧民の染織 塩袋と旅するじゅうたん」という展示会の紹介であった。興味をそそられたが、まずは仕事場へ。そして、仕事が早く終わったので、その展示会を観に行った。
 普段から絨毯は好きなほうだが、高価なものだけに、デパートや絨毯専門店では目の保養にとどめている。しかし、この展示会で観た70点の作品(絨毯、キリル、そして、塩袋)は、丸山繁氏(ギャラリーササーン代表)の個人コレクションということで、これまでに見た商売用のどの絨毯よりも訴えかけてくる迫力と気品と歴史が抜群であった。
 「イランを中心として西アジア地域に展開するバルーチ族やカシュガイ族、クルド族などの遊牧民たちは、伝統的に、各部族を象徴する紋様を織り込んだ羊毛織りの塩袋(ナマクダン)を制作・伝承してきました。<以下略>」というチラシの文面を参考にしながら作品群の中に我が身を置くと、遊牧民たちの生活力に圧倒された。

爪切り

 先日、爪切りが見つからなかったので、コンビニに買いに行った。しかし、爪切りの置き場所がわからない。そこで店員に尋ねた。
 「爪切り、どこに置いて有りますか?」
 すると、その店員はバングラデシュ人であったため、「ツメキリ?」と訊き返してきた。どうやら単語そのものが分からない様子であった。私はすぐに爪を切るしぐさをしてみせた。すると、彼は、「nail clipper」と言った。
 なるほど、外国人のスタッフには英語で言わないといけないのか? それとも、最近の日本の若者達も爪切りのことを英語でそのように呼んでいるのであろうか。
 コンビニの店員達の中で、タイ人には一度も会ったことがない。だから無理に覚える必要はないが、タイ語で爪切りのこと、何と言いますか? これ、今日の宿題です。

向島百花園の梅祭り

文化初年(1804年頃)、「新梅屋敷」と呼ばれる庶民的花園が墨田区東向島に一人の骨董商によって造られた。その後、文人墨客の協力を得て、百花繚乱の花が咲く向島百花園になったとパンフレットには書いてある。まだ一度も行ったことがなかったので、昨日、仕事の合間に寄ってみることにした。
 2月初旬から始まっている梅祭りは3月5日で終わり。したがって、花の盛りはとっくに過ぎていた。だが、それがかえってよかった。枝の具合がよく見えたからである。生け花を習っているので、枝の伸び方、曲がり方を観察するのが大切。江戸時代の絵師達の観察眼にまでは到底、及ばないものの…..。
 梅の枝もいいが、土を見ると、福寿草の花が顔を出していた。椿の「わびすけ」は、最後の華やかさをふりしぼっていた。あと10日もすれば、もう本当の春だ。植物はもう準備万端。我々人間も、新学期に向けて、心身共にさあ準備をしよう。

プミポン前国王の葬儀の日取り

昨夜、タイの知人からプミポン前国王の葬儀に関するラインが来た。
 「อาจารย์จะไปงานถวายพระเพลิงพระบรมศพไหมคะ 25-26 Dec」
 12月25日~26日に荼毘にふされることがこれでわかった。「行きます」とすぐに返信すると、「それでは、王宮前近くのホテルを2泊、今から予約しておきます」と、再度、知らせがあった。
 前国王が崩御されたのが昨年10月13日。1年以上かけての準備となるということだ。数日前、御葬儀用の仮宮殿の大黒柱が王宮前近くに建てられたニュースを見た。設計図も見たが、きっとすばらしい宮殿が出現することと思われる。

「タイ語入門 水曜日19:30」のクラス、再開

昨日(3月1日)、「タイ語入門 水曜日19:30」のクラスの授業を実施した。このクラスは生徒達の諸事情により、1月半ばから授業を休講にしていた。したがって、1ヶ月半ぶりの再開ということになる。
 1ヶ月半という休学期間は学習の勘を大いに鈍らせた。そのことは生徒達自身がよくわかっているから、昨晩はテキストの復習から始めた。復習しながら、早く上手になってほしいと思ったが、発音が皆目だめ。タイ人講師が何度も何度も美しい発音を聞かせた。
 しかしながら、復習したいという生徒達の気持ちを私は高く買いたい。中年になってからの外国語の学習はとても難しいものがある。だが、学びたいという彼らの意欲を何とかして及第点にまで引き上げること、それが教師の任務だと思って、忍耐強く接する所存である。

赤ちゃんの意識

昨日、バスに乗っていたら、パキスタン人と思われるお母さんと女の赤ちゃん(6ヶ月位)が乗り込んで来た。小さいながらも鼻筋がきりりと通っていてきれいな顔をしていた。だが、赤ちゃんは泣きっぱなし。お腹がすいているのであろう。
 そこへ、今度は日本人のお母さんが男の赤ちゃん(9ヶ月位)を連れて乗って来た。ベビーカーにさわってご機嫌の日本人の赤ちゃん。
 すると、パキスタン人の赤ちゃんが日本人の赤ちゃんをじっと見つめ始めた。そして、泣き止んだ。小さいながらも、泣いていては恥ずかしいと意識したのであろうか。
 両方の赤ちゃんは、現段階においては、「自分が何国人であるか」ということを考えてはいないと思う。<国際>という言葉は無縁である。赤ちゃんであるという共通項しかない。言葉をしゃべらない段階の赤ちゃん王国にいる彼らがうらやましくなった。

店のマネージャー

私は喫茶店に入って新聞を読むのが好きだ。昨日、読んだ記事の中に、将来はAI(人口知能)が活躍するであろうから、働く人の50%が自分で何かをやらなければならない、すなわち、自営業を始めなければならなくなるであろう、というのがあった。
 となると、何か技術を持つか商才にたけていないと生活が大変になるということか。
 「タイ語中級 月曜日18:00」の昨晩の授業の中で、<店のマネージャー ผู้จัดการร้าน>というタイ語が出て来た。ところが、生徒の発音が悪いものだから、タイ人講師は苦笑している。何故ならば、<禿げ頭のマネージャー ผู้จัดการล้าน>と聞こえるらしい。これはいつも指摘されている<r>と<l>の違いができていないということだ。
 どうにかこの点を解決したものの、タイ人講師はまた笑う。今度は<離婚したマネージャー ผู้จัดการร้าง>に聞こえるらしい。理由は末子音である<n>が、<ng>になっているからだ。<店のマネージャー>という発音がなかなかできない。このぶんだと、将来、店のマネージャーになるということ自体、無理かも……。