新旧世代交代

昨晩、高田馬場駅近くに在るロシア料理店「チャイカ」で送別会があった。泰日文化倶楽部が入っているビルの管理組合で一緒に理事として頑張った仲間のY氏(61歳)が健康上の理由で所有しておられた部屋を売却されたため、お別れの会となった。彼は勝海舟の末裔である。したがって、血気盛んな方であった。自分の主張ははっきりと物申すというタイプなので、私は彼を認めていた。
 「今日でもう、高田馬場に来ることはありません。温泉でも行って、体を治します」
 別れは寂しいが、またいつか連絡が来るかもしれない。そう思いながら高田馬場駅前広場に目をやると、早稲田大学の学生達で広場は埋め尽くされていた。若者の熱気だ!
 帰宅して、『青年時代』(トルストイ 米川正夫訳 岩波文庫 昭和13年初版 昭和35年第6版)をパラパラとめくる。定価はなんと百二十円。

ミンサー織り

 一昨日、お茶の先生が素敵な帯を締めておられた。ミンサー織りというもので、沖縄で織られたものだそうだ。先生が帯の意味を教えてくださった。
 「恋する男性に対して女性が織ったものです。五つのマスは<いつも>、四つのマスは<世>を表わし、併せて<いつの世も>という意味になります」
 帰宅後、ネットで調べてみると、アフガニスタン方面からネパール、インド、中国を経て、沖縄に入って来た織物だとわかった。藍を何度も重ねて染めていたので、<重ねて愛しています>という意味になるとのこと。連続する短い模様はムカデの足で、<足繁く>という気持ちを表わしているそうだ。
 一本の帯にこれだけの気持ちを込めて、せっせと織る女性。美しいお話だ。

泰日文化倶楽部 今日から授業再開

4月29日から5月7日まで黄金週間のため授業をお休みにしていましたが、今日から再開いたします。次なる長期休暇は8月のお盆休みの頃です。これからの3ヶ月間、タイ語の学力向上のため、個々人の努力を期待いたします。
 タイ語が本当に好きなのであれば、寝ても醒めてもタイ語漬け。これが必要なり。
 先月から個人レッスンを受けている生徒に課題を出しました。
 「授業に参加するまでに、テキストを50回、音読して来なさい」、と。
 単語を楽しく覚え、語彙数を増やすのもいいことです。文の構造を知って、タイ作文に応用することも勉強になります。
 いずれにせよ、自分のタイ語力が向上してきたなあと自覚するまで、自助努力を続けてください。

タイ語で考え、タイ語で感じよう

昨日は一日中、数冊の本に目を通して過ごした。その一冊は、『ものがたりの余白 エンデが最後に話したこと』(ミヒャエル・エンデ 田村都志夫[聞き手・翻訳] 岩波現代文庫 2009年)。その中に次なる文章が有った。
 「イタリアをわたしがほんとうに知ったのは、観光客のイタリア語から、徐々に本当のイタリア語に入り込んでいったときで、イタリア語で考え、イタリア語で感じるようになってからです。これが、実は私にとって、なによりも一番大切な体験だった」
 黄金週間も今日で終わりだ。タイへ旅行された生徒達のタイ語が気になる。果たして観光客のタイ語から脱することができたか否か? タイ語で考え、タイ語で感じるようになったであろうか? 徐々に本当のタイ語に入り込んでいくことができるのはいつ? タイをほんとうに知るのはいつ? 自問自答するのもいいだろう。

教材 vs  人

 昨日は子供の日。尾道から上京した元教え子のM子さんと彼女の娘さんに会った。実を言うと、M子さんは同窓生の家に遊びに来たのだが、その同窓生が、何と偶然にも私のマンションと同じところに住んでいるので、私もそこにお邪魔したというわけだ。
 M子さんは同窓生が最近、彼女の子供達のために購入したディズニーの英語教材を見に来たそうだ。私も一緒になってその高額なる教材を見たり、聴いたりした。なるほど、ふむふむ……。
 M子さんは言った。「あまりにも高額だから買えないわ。でも、向島にイギリス人夫妻が住むようになったの」
 それを聞いて私は言った。「いいことね。おつき合いをすると、お子さん達の英語は自然に身につきますよ」
 人から直に受ける影響は大きい。ましてやネイティブからだと印象がちがう。偶然に恵まれた環境を活かし、自然に英語を覚えるのが一番良い。

復学者歓迎

一昨日、1本のメールが有った。「諸事情でやめていましたが、落ち着きましたので、またタイ語の勉強を再開したいです」
 お名前を見ると、すぐに彼女の顔が浮かんだ。日曜日の午後、私から個人レッスンを受けていたが、公私共に忙しくなられたということで、3年前に教室を去った女性である。彼女は中級レベルの学力を持っておられるので、復学により、是非とも上級レベルを目指してもらいたいものだ。
 泰日文化倶楽部は創立してから28年と8ヶ月になる。その間、多くの方達が出たり入ったりした。入るのも自由、出るのも自由。自分で勉強できる方は、自分ですればよい。高田馬場のタイ語教室が恋しくなれば、また戻って来るのも可。
 肝心なこと、それはタイ語を勉強し続けることなり!

桜見物 弘前(3)

4月27日、5時起床。快晴。5時半に弘前城公園へ行く。すでに大勢の写真家が写真を撮っていた。天守閣近くでは岩木山に向かってラジオ体操が始まった。皆さん、長生きしそう…..。
 雪をいただく岩木山。実に美しい。じっと眺めていると山の稜線が棟方志功の版画の線に見えてきた。彼は岩木山の申し子だ。
 9時を回ると大勢の観光客がやって来た。この日は大安。白無垢のお嫁さん、豪華な打掛のお嫁さんが城内に現れる。さっそく元タイ人講師がシャッターを切る。堀には白鳥、そして、鴛鴦(おしどり)のつがいが仲良く泳ぐ。水芭蕉も咲いて、写真の材料にこと欠かない。彼女は大満足。
 午前10時42分、弘前を出て新青森へ。新幹線ホームの売店でお茶を買っていると、背後でタイ語。さっそく話しかけた。
 今回の旅で、タイ人達から「いつ来たの?」と必ず聞かれた。私は答える。「70年前」、と。
 そして、青森のおじさんから、「お母さん、日本語うまいね」とも言われた。これにはびっくり。

桜見物 弘前(2)

元タイ人講師はライトアップされた桜を写真に収めたいということで、夕方からまた弘前城公園へと出かけて行った。
 私は弘前の町散歩をした。太宰治や棟方志功が暮らした町の空気感を感じ取りたかったからである。泊まっている旅館のすぐそばに青森銀行弘前支店があった。道路の反対側に古本屋を見つけたので入ってみた。6時を過ぎていた。
 高齢の女性が一人、本の山の中で座っていた。私は尋ねた。「あのー、ここは何時までですか?」
 彼女は答えた。「6時ですが、かまいませんよ。ゆっくり見て行ってください。2階に住んでいますから」
 そこへご主人が現れた。私の家から早稲田の古書店が近いことを話すと、「五十嵐書店、御存知ですか? あそこの先代の店主は弘前出身ですよ。私は30年間、新宿の京王デパートの古書展に出店したんですよ」と感慨深げに話した。
 私は、『棟方志功』、『歓喜する棟方志功』、『津軽の文学と風土』、そして、『図夢つがる弁(津・和・英訳)』という本を購入した。

桜見物 弘前(1)

4月27日、弘前へ行った。元タイ人講師がどうしても行きたいというので、弘前でも泊まることになった。弘前には44年前に桜見物に行ったことがある。その時もタイ人と一緒であった。
 あいにくの雨。だが、弘前城内はいっぱいの観光客。あずまや(ศาลา)で軽食をとっていると、雨宿りの中国人が続々とやって来た。途端に中国語の大合唱だ。そして、彼らはりんごを食べ始めた。
 晴れていれば岩木山がよく見える場所まで行った。寒い。3枚も着込んでいるのに、そして、その上にレインコートをはおっているのに、体がどんどん冷えて行くのがわかった。
 そこでもタイ人達を多く見かけた。彼らはダウンを着ている。代わる代わる写真を撮り合っている彼らを、私はスマホで撮った。

桜見物 角館(2)

武家屋敷の枝垂れ桜を撮影した後、元タイ人講師と私は桧木内川沿いの桜並木へ行った。桜は8分咲きであった。しかし、多くの家族が弁当を広げ、実に楽しそうにしていた。土手に寝そべっている一組の夫婦はシルバー世代。第一線を退いた今、時間がたっぷりと有る。二人一緒に小さな幸せを味わっているようだ。
 そんな長閑な雰囲気の中、突然、ドドンとけたたましい音が鳴り響いた。数分前、元タイ人講師に朝鮮半島情勢の説明をしていた矢先だけに、これは北朝鮮の弾道ミサイルがいよいよ秋田県に着弾したのかと思ってしまった。
 すかさず近くの人に「あの音は何ですか?」と尋ねると、「ああ、あれは正午を知らせる音ですよ」と教えてくれた。地方ではいまだにそのような音で正午を知らせていることを知り、時代を感じた。