バンコクぶらぶら(9)

 タクシーに乗ってトンブリのバンイーカンというところまで行ったものの、見覚えのある町の風景とは違っていた。運転手に向かって、「ここじゃないわ。バイクタクシーのお兄ちゃんに訊いてみてよ」と言った。
 しかし、誰も知らない。どうにかこうにかぐるぐる回って、もう一度、年寄りの運ちゃんに訊いてもらったら、「あそこを右に回れば左手にあるよ」と言われ、安堵した。ところがその支店は私の行きたい支店ではなかった。
 それから、またぐるぐる。国王の御座船を維持管理している場所の辺りを通った時、私の気持ちは変わった。よし、観光していると思えばいい、と。
 結局、誰もバンコク銀行バンイーカン支店を知らなかった。タクシーの運転手が得意げに言った。
 「いい考えがある。さっき行った支店に戻り、銀行員に尋ねてみますよ」
 そりゃそうだ。それが一番。よくよく考えてみると、一般市民はATMで済ませているわけだから、支店の名前と場所を覚える必要がないわけだ。
 やっとバンイーカン支店に着いた。銀行の中にはあまり人がいない。私のパスポートを更新し、お金を下ろす手続きを待っていると、僧侶が入って来た。僧侶が通帳を持っているとは! 非常に不思議に思った。

バンコクぶらぶら(8)

私はバンコク銀行に1995年から口座を持っているが、ATMだと、一日の引出し限度額が2万5千バーツだ。しかし、もう少し必要となったので、サイアム駅のすぐそばにあるバンコク銀行に行き、引出し用紙に必要事項を書いた。ところが、記載しなければならない項目が多すぎて面倒臭くなった。そこで、案内係の男性に尋ねた。「どこまで答えればいいのですか?」 彼はこう言った。「引き出し用紙? 別に書かなくてもいいですよ。そのままカウンターへ行ってください」
 私は非常に不思議な気がした。何も書かなくてもいいのであれば、用紙なんか置いておかなくてもいいではないか。
 カウンターの女性に通帳とパスポートを提示しながら引出し金額を言うだけでよかったが、事はスムーズに行かなかった。
 「あなたのパスポートは更新されていません。記録では旧いパスポートのままですから、下ろすことはできません」
 「2年前に来た時、他の支店で下ろせましたよ」
 「そうですか、じゃあ、今回に限り、特別に」
 私はやれやれと思った。しかし、結局、コンピューターが私の希望を受け付けなかった。
 「最初に口座を開設した支店へ行き、そこでパスポートの記録を更新してください」
 私が口座を開いた支店はトンブリに在る。行くのが面倒だ。だが、致し方なくタクシーに乗った。

バンコクぶらぶら(7)

バムルンラート病院(โรงพยาบาลบำรุงราษฎร์)のインターナショナル部門で診察を受けたわけだが、1階の案内係、10階の案内係の女性はスタイルがよくて美しい。そして、とても優しい話し方をした。これなら毎日やって来たいと思う人がいても不思議ではない。しかし、子どもは病院の空気を察して、よく泣いていた。
 診察を受けるまで、待っている方達を観察した。驚いたのは、中東からの患者が多かったことだ。身につけている服装で一目瞭然。さらに驚いたことは、看護師センターの中に、中東の服装型をした看護師の白い制服を着て、頭にかぶっている白い布の上に看護師の帽子をつけていたことだ。専属の看護師がいるということは、アラビア語ですぐ応対するようになっているのであろう。他にインド人も多々、見かけた。
 エレベーターの横には、電光掲示板が有り、建物の中にあるすべての施設を各階ごとに説明しているが、よく見ると、1分ごとに、言語が変わる仕組みになっていた。「あら、日本語だわ」と思ってゆっくり眺めていると、ミャンマー語になった。英語、中国語、アラビア語、次から次に言語が変わる。親切なシステムだ。ジュースも水もすべて無料。飲みたいだけ飲める。日本語の新聞も有った。
 ところで診察料だが、問診と注射1本で1800バーツ。旅行保険でまかなえたので、私は支払う義務がなかった。

バンコクぶらぶら(6)

飼い猫に爪で引っ掻かかれた右手の傷に絆創膏を貼っていたが、そろそろ取り外してもいいだろうと思って剥がしてみると、大変! 引っ掻き傷の他に、血管が黒ずんでいる。これから先、どうなっていくのであろう。
 そこで、20日の朝、スクムビット通り3に在るバムルンラート病院へ行った。私は44年前からタイへ行き始めたが、これまで一度もタイの病院にお世話になったことがない。これ幸いと思い、嬉々として出かけて行った。
 日本語が分かる受付けの方に向かって手順に関して尋ねてみると、「その傷はそのうち治ります」と、まるで医者の如く言った。「でも、私、どうしても治療を受けたいんです」と言って、診察券作成係に進み、診察券を取得。
 16階にある外科へ行くと、看護師が、「ミズ・キーコ」と私の名前を呼んだ。身長と体重、そして、血圧を測定したが、血圧がいつもより上昇していた。
 通訳をお願いするか否か迷ったが、自分のタイ語力を試してみるつもりで、一人で診察室へ。ドクターは日本人みたいな風貌。タイ語がうまいと誉めて下さった。
 カルテを書いて頂き、注射室へ。別の看護師さんが、「ミズ・カイコ」と私を呼ぶ。注射後、渡された用紙を読むと、あと2回、注射をしに来るようにと書いてあった。「3日後には帰国します。1回だけの注射でもいいかしら?」と看護師に相談。看護師は困った顔をした。

バンコクぶらぶら(5)

2月19日夕方、泰日文化倶楽部で学んだ元生徒さんT氏と食事をした。バンコク駐在2度目だそうで、気さくな雰囲気で現れた。
 「昨晩はシンガポールでした。宴会で中華を食べましたから、豚はパスです」と、彼は言った。そこで野菜中心のタイ料理を注文。彼はお酒が呑めない体質なので、ジュースで乾杯!
 T氏はマレーシア、ベトナムへも度々、出張しておられる社長さん。話に花が咲いた。
 帰国後、御礼メールを出すと、面白い返事が来た。
 「話があまりにも楽しかったので、翌朝、30分、寝坊してしまいました。この日はホワヒンへの社員旅行。定刻通りに集まったことがないタイ人達が、この日に限って、皆、出発時間にちゃんとバスに乗り込んで勢ぞろい。遅れたのは私だけ。こんなこと初めてです」

バンコクぶらぶら(4)

2月18日と19日はサイアムスクウェアーのノボテルホテルに泊まった。誰かと待ち合わせをするにはベストなロケーションだ。
 ロビーで待っていて下さったのは泰日文化倶楽部の元講師であるN先生。チュラ大法学部を総代で卒業した弁護士だが、会うたびに仕事を減らしているとおっしゃる。それはそれでいいことだ。何故ならば、彼には油絵や水彩画を描くという趣味が幼少期からある。
 しかしながら、ちゃんと仕事をしている証として、仕事でブータンへ行かれた時の写真を見せてくださった。ブータンの男性服を着ている姿はブータン人そのもの。いやはやびっくり。彼の奥様も弁護士だが、ブータン女性の服を着ていると、彼女もやはりブータン人!
 51歳のN先生は健康のことを考えて小食になっておられた。私も真似をして健康食を注文。N先生と話をしていると25年前に泰日文化倶楽部でご指導いただいていた光景がありありと浮かんできた。

バンコク ぶらぶら(3)

お手伝いのブアさんの後任者はミャンマー女性で37歳。愛称はノーイ(น้อย)。タイ語がうまい。「どうしてうまいの?」と尋ねると、「毎日、使っているから」、という返事。一番、明解な回答だ。
 泰日文化倶楽部の元講師であるK先生の家は2500坪。池も有る。野菜はすべて自家栽培。農薬を全く使わない。
 飼っていたゴールデンレトリバーのマーリーが先月1月に死んだそうだ。池でボートに乗り、一緒に遊んだ思い出がある犬だ。その代わりに新しい犬がいた。シベリアン・ハスキー犬で、名前はタロ。日本名の太郎かと思っていたら、タロ芋のタロだそうだ。
 猫4匹のうち3匹は私に寄って来て甘える。残りの白猫は高いところから私を見つめるだけ。頭をなでてあげようとすると、手で私の右手をひっかいた。すかさず血が出始めた。傷口を消毒液で洗った。ミャンマー人のノーイさんが絆創膏を貼ってくれた。優しい。
 ところがである。2日後、ひっかき傷が赤黒くなり、血管が黒ずんできた。これは大変。病院へ行くはめとなった。

バンコクぶらぶら(2)

TG661便は定刻5時25分にスワンナプーム空港に到着。入国審査の前にトイレに寄って、東京から着て来た冬服を脱ぎ去り夏服に着替える。日本人よ、さようなら。私はもうタイ人よ。
 私を迎えに来て下さった方はマリさん(มะลิ=ジャスミン)。女性の名前のように聞こえるが、れっきとした男性だ。泰日文化倶楽部の元講師(1994年頃)のご家族が雇っているおかかえ運転手さんである。彼とは20年前からの知り合いなので気心が知れている。スコータイ(สุโชทัย)出身だ。
 いつも泊めていただく元講師の家には大型犬18頭、小型犬10頭、猫4匹。そして、リス1匹いる。リスは息子さんの頭上に乗るのが好きで、まるで仏像の頭に乗っかっている螺髪の如し。
 今回、残念に思ったことは、私と同年齢であったお手伝いさん(ブア บัว=蓮)が完全に引退し、故郷のローイエット(ร้อยเอ็ด)に戻ってしまわれていたことだ。30年以上に亘って勤められたブアさん。タイ家庭料理を作ってくださった。もう2度とお会いすることはない。

バンコク ぶらぶら(1)

2月17日午前0時20分、羽田を出発。タイ航空は満席。いやはやタイへ行く方達のなんとまあ多いことか。
 何故、私は丸2年間もタイへ行かなかったのであろうか。自責の念にかられた。ああ、失われた2年間….。
 客層はさまざま。私の隣りに坐ったおじさんは、完全に遊びのようだ。気楽でいいなあ。そうかと思うと、通路を隔てて斜め前に坐っているビジネスマンは、会議のためのレジュメに目を通しっぱなし。そして、『タイ語自遊自在』という本を座席の網ポケットにしまっているではないか。
 「およしなさいな。そんなことでは間に合いませんよ。タイ語は沼のごとく奥が深いんですからね」と、私は声を殺して、彼の背中に向かって語りかけた。
 今回の旅で、タイ語がますます好きになった。私を鍛えてくださるタイ人がいれば、最初から鍛え直してもらいたくなった。

バンコクへ参ります。

今晩からバンコクへ参ります。帰国は24日朝です。その間、ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
 2年ぶりのタイです。発展し過ぎるバンコク……。それはそれでいいのですが…..?? 古き良きバンコクを探したいですね。