バンコクぶらぶら(2)

TG661便は定刻5時25分にスワンナプーム空港に到着。入国審査の前にトイレに寄って、東京から着て来た冬服を脱ぎ去り夏服に着替える。日本人よ、さようなら。私はもうタイ人よ。
 私を迎えに来て下さった方はマリさん(มะลิ=ジャスミン)。女性の名前のように聞こえるが、れっきとした男性だ。泰日文化倶楽部の元講師(1994年頃)のご家族が雇っているおかかえ運転手さんである。彼とは20年前からの知り合いなので気心が知れている。スコータイ(สุโชทัย)出身だ。
 いつも泊めていただく元講師の家には大型犬18頭、小型犬10頭、猫4匹。そして、リス1匹いる。リスは息子さんの頭上に乗るのが好きで、まるで仏像の頭に乗っかっている螺髪の如し。
 今回、残念に思ったことは、私と同年齢であったお手伝いさん(ブア บัว=蓮)が完全に引退し、故郷のローイエット(ร้อยเอ็ด)に戻ってしまわれていたことだ。30年以上に亘って勤められたブアさん。タイ家庭料理を作ってくださった。もう2度とお会いすることはない。

バンコク ぶらぶら(1)

2月17日午前0時20分、羽田を出発。タイ航空は満席。いやはやタイへ行く方達のなんとまあ多いことか。
 何故、私は丸2年間もタイへ行かなかったのであろうか。自責の念にかられた。ああ、失われた2年間….。
 客層はさまざま。私の隣りに坐ったおじさんは、完全に遊びのようだ。気楽でいいなあ。そうかと思うと、通路を隔てて斜め前に坐っているビジネスマンは、会議のためのレジュメに目を通しっぱなし。そして、『タイ語自遊自在』という本を座席の網ポケットにしまっているではないか。
 「およしなさいな。そんなことでは間に合いませんよ。タイ語は沼のごとく奥が深いんですからね」と、私は声を殺して、彼の背中に向かって語りかけた。
 今回の旅で、タイ語がますます好きになった。私を鍛えてくださるタイ人がいれば、最初から鍛え直してもらいたくなった。

バンコクへ参ります。

今晩からバンコクへ参ります。帰国は24日朝です。その間、ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
 2年ぶりのタイです。発展し過ぎるバンコク……。それはそれでいいのですが…..?? 古き良きバンコクを探したいですね。

神父修行中のT君

2013年4月から2015年3月までの2年間、タイ語を履修したT君は、最後の期末試験後、私に次のように言った。
 「4月から神父になるために1年間、修行をします。外界との接触を絶って、教会の施設に籠ります。メールも手紙も一切、禁止です」
 それを聞いた時、彼の信念の強さが本物であると思った。
 メールやラインで簡単に連絡できる昨今、他者の時間を奪っていることになり、かつ、自分の時間を失っていることにもなる。昔の歌謡曲を聞いていると、「三日遅れの便りを乗せて~」とかいう歌詞が有るが、もうなんだか聞いていられない。いつも連絡を取り合っていると、数年ぶりに会っても、懐かしさがわかなくなった。
 T君のように外界との関係を絶つことは不可能だが、そういう気持ちだけはどこかに持ち、もっと精神を統一しなければならない。

勝男武士

 昨日、鎌倉七里ガ浜に在るホテルですばらしい結婚式が挙行された。引出物に鰹節が入っていた。説明書には次のように書かれてあった。
 「かつおぶしは<勝男武士>とも言われ、勝利を願う思いが込められました。また、削る前の状態がとてもかたく、簡単には割れないということから結婚式の際には<人と人との絆が固く結ばれますように>と、縁起物として引出物には欠かせないものとなっております」
 昨日の新郎はとてもしっかりした方だったので、彼と奥様が築く新しい家庭は安定したものとなること間違いなしだ。
 タイ語で引出物のことは、「ชำร่วย(チャムルアイ)」という。この単語は、縮小形になると、「ช่วย(チュアイ=助ける)」という単語になっていく。なるほど、宴会の席では人手を要するので、手伝いに来た人達の労をねぎらって、ほんの気持ちばかりの品を渡すわけだ。日本の場合は結婚式産業が発達しているので、引出物の額も馬鹿にならないが、タイではほんの気持ちというのがとてもいい。

今日は結婚式に参列

今日は元生徒さんの結婚式に招かれている。そろそろ支度を始めなければならない。
 昨晩、「タイ語中級 金曜日19:00」のクラスで、「明日、結婚式に行きます。婿殿(เจ้าบ่าว)は警察官(ตำรวจ)です。皆さん、花嫁(เจ้าสาว)の職業(อาชีพ)をあててみてください」と言ってみたが、生徒達は首をかしげるだけであった。
 「看護師(พยาบาล)です」と教えてあげると、タイ人講師のミカン先生がすかさず反応した。
 「タイでもその組み合わせはよくあります。兵隊(ทหาร)と看護師もありますが….」
 いずれにせよ、新しいカップルが誕生するということはまことに目出度いことである。ただし、国会議員(ส.ส. すなわち、สมาชิกสภาผู้แทนราษฎร)同士の結婚はいただけない。二人の収入を合計すると、ものすごく高いものになるから、それはやめてほしい。

articulate という英語

昨日、ABCニュースでアメリカ大統領予備選挙の様子を見ていると、‟articulate”という言葉が耳に残った。この単語を初めて習ったのは1965年。大学1年の英語発音学(phonetics)の授業の時だ。この時は、<調音する>という意味であった。
 だが、昨日のニュースでは、<明瞭に述べる>という意味で発せられていた。
 そこで、articulate という動詞を調べてみると、articulate a belief(信念を述べる)、 articulate one’s idea(考えをはっきりと述べる)、articulate one’s dream(大いに夢を語る)、 articulate one’s position(立場を明確に述べる)等、いくらでもある。いずれも日本人が弱い、というか、小さい時から訓練されていない行動だ。
 語学の成績は、日本ではまだまだペーパーテストが残党の如く残っているが、自分の意見をはっきり言えないと、国際社会では太刀打ちできない。生徒数が多いクラスにおいては理想的な授業は無理だ。先生にも限界が有る。したがって、語学が上手になりたければ、ひたすら独学をしたほうがいい。
そして、‟articulate”(①言葉を発する、②はっきりと話す、③はきはきと話す)の単語を頭に浮かべ、言葉と文章を力強く話そう。タイ語も然り。

受ける喜び・授ける喜び

稽古事をやっていると、先生からいろいろなことを教えていただくので、心さえ素直であれば、受ける喜びが何ともたまらない。資格をとろうとか、その道を極めようとか思わず、趣味的に習うのは、いたって楽しい。
 しかし、まてよ。受けるだけで満足していてはいかん。惰性になってはいかん。
 来週火曜日(16日)から1週間、バンコクへ行く予定なので、今週はたくさんのクラスに出て、クラスの現状を把握するようにしている。そして、助言を与える中において、やはり、私は「受ける」よりも、「授ける」ほうが好きであることに気がついた。
 私の授業が面白い、楽しい、分かりやすい、と言って下さる生徒さん達には、いついつまでも教え続けたい。あと10年はまだまだ「授」の立場をつらぬこう。

音感のいい生徒さん

昨晩20時から個人レッスンを始めた。新しい方とお初にお目にかかることは、いつもとても楽しみである。
 4月にはバンコクへ赴任予定なので、受講回数はおそらく10回程度だろう。したがって、細かい説明は抜きにして、『タイ語入門』のテキストを毎回、2課ずつ進ませることにした。
 第1回目の授業は、挨拶、名前、場所、そして、家族の呼称に関して指導したが、音感が実に素晴らしい女性であった。タイ人講師の発音が聞き取れ、ほぼ物真似ができた。
 タイへ行ったこともないのに、そして、タイに関する豆知識も無いのに、タイ語に素直に反応するセンス。若いということはいいことだ。そして、希望に満ちあふれているということは羨ましい限りである。
 こんなことを書くと、中高年の方達がつむじを曲げそうだが、若者に負けぬだけの気概を呼び覚まして、日々、精進、精進。

発声訓練は大切

昨晩、中学時代の友人から電話が有った。とりとめもないことを喋ること、1時間。最後は大いに笑って電話を切った。
 彼女は言った。「あなたの声はいつも張りがあるわね」
 私は答えた。「勿論ですとも。お腹の底から声を出していますから」
 彼女はすかさず応じた。「そう言えば、喋らないと、喉の筋肉も衰えてしまい、年寄りくさくなるみたいよ」
 彼女の声は昔と変わりがなかった。私も同じく発声には苦慮しない。
 一人暮らしの方は語学を習うとよろしい。認知症の予防になると言ってタイ語を習いに来られている方がおられるが、それだけではなくて、発声の訓練をすることは気持ちがいいものである。
 自分の衰えは声からも感知できる。寒い、寒いと言って部屋にこもってばかりいないで、語学教室へ行って、大いに声を出そう。