文化勲章受章、日本芸術院会員であった小倉遊亀さん(1895~2000)に、「~さん」付けはないだろうが、親愛の情をこめてそう呼ばせていただきたい。
古書店で『小倉遊亀 画室のうちそと』(聞き手=小川津根子 読売新聞社 1984年)を買って読んだ。その中に、師と仰ぐ安田靫彦氏に弟子入りを請うた場面が出て来る。
「安田先生ね、いくつだとおっしゃるから、二十七です、といったら、[二十七でよかったな]とおっしゃた。人間も三十を越えると、なかなか心が頑固になって、人の言うことが耳にはいらない。それから自分の悪いところが直せない。まだあなたは二、三年ある。むずかしいかも知れないけれども、人から言われたんじゃなくて自分で自分の悪いところに気がついたんだから、一生懸命にやってください、とおっしゃいました」
小倉遊亀さんは2才から絵筆を持ったそうな。そして、知らず知らずのうちに、一つのタイプができているのを見破った安田氏は、「それにはいっぺん、全部ご破算にしなさい。しかしむずかしいよ、どうしても手慣れた癖が出るからね。それを一度捨ててごらん」と助言されたそうである。
はんこ屋
昨日、はんこ屋の前を通りかかった。時間が有ったので、はんこ入れを買い替えようと思って店内に入った。昔に比べて半分の広さになってしまった店だが、今でも踏ん張って頑張っている。恰幅がよかったご主人はかなり前に亡くなられ、奥さんが一人でやっておられる店だ。
どうせ三文判だから、はんこ入れは安くてもいいのだが、いろいろと見せられると、縁起かつぎの気持ちも込めて、高いものを買うことにした。そして、壊れかかったはんこ入れを差し出して、「あのー、これ、捨ててください」と、私が言うと、奥さんはそれを小箱にしまった。そして言った。
「捨てたりはしません。下賀茂神社に預かっていただくのです。私が直接行くわけではありませんが、月に一度、業者が集めに来ますので、その際、お願いするのです」
ごみ箱にポンと捨てればいいと思っていた私は、はんこ入れが京都の下神茂神社まで行くことに驚いた。今度、京都へ行く機会があれば、是非、お参りしたい。
指輪先生のご家族
目下、指輪先生のお母様が来日中だ。お母様の写真がみたいと言うと、「今日、おばあちゃんの原宿に母と一緒に行って来ました」と言って、とげぬき地蔵で撮った二人の写真を見せてくださった。
母と娘なのに、まるで姉妹のように見えた。そこでお母様の年齢を尋ねたところ、「今年、還暦です。定年なので、退職後は頻繁に日本に来たいと言ってます」とのこと。
「お母様のお仕事を何ですか?」と訊くと、タマサート大学教授であると教えてくださった。指輪先生も現役のタマサート大学准教授。とても優秀な方達だ。
昨夜の授業で、話がお祖父様にまで及んだので、やはり写真を見せていただいた。「何歳かあててみてください」と、指輪先生。生徒達は、「お母さんが60歳だから、それから想像すると、おそらく85歳でしょう」と言った。しかし、私には70歳位にしか見えなかった。あまりにもかくしゃくとしておられるからだ。
「ちがいます。祖父は90歳。今でも現役で働いています。車も運転しています。祖父はシリラート病院の手術棟を設計しました。会社の社長2代に仕えて貢献して来たので、死ぬまで働いてくださいと言われています。祖母は中国から来ました。吝嗇家でいっぱいお金を貯めました」
マスクの買い占め
このところ、タイ人講師達からマスクの話題がいろいろと取り上げられている。バンコクの空気汚染がひどいために、タイ人達がマスクの買い占めをした結果、マスクの入手が困難と判断した親戚がボン先生に日本からの発送を依頼して来たそうだ。ボン先生はさっそく送って上げたそうだが、マスクの値段よりも送料のほうが高くついたとぼやいておられた。
先週1週間だけバンコクへ帰省しておられたニン先生も、親戚や友人達へのおみやげはマスクにしたとのこと。
以前、日本に旅行に来たタイ人達が日本人のマスク姿を見て、とても怖がっていた。奇妙だといわんばかりに……。昔、タイでは交通整理の巡査達が黒いマスクをしているだけであった。
マスクのことは、タイ語でหน้ากากอนามัย(ナーガーク・アナーマイ 衛生マスク)。 あるいは、ที่ปิดปาก(ティー・ピット・パーク 口をふさぐもの)でもいい。<買い占める>という単語は、ตุน(tun トゥン)。したがって、<マスクを買い占める>は、ตุนหน้ากากอนามัย。
昨夜の授業で、これらの発音の勉強をしたが、生徒達には、<ตุน>の発音が難しそうであった。それでは、出題。<袋を買い占める ตุนถุง>の発音はうまくできるかな?
太陽と鷹 花と猫
昨夜、タイから2種類の写真が送信されて来た。
(1)วันนี้ไปถ่ายภาพเหยี่ยวที่ปากพลี ภาพสวยมาก เป็นภาพของเพื่อนที่ไปด้วยกันถ่ายมา
(2)ดอกไม้ที่บ้านบาน เลยเอาแมวที่ข่วนอาจารย์มาถ่ายรูปกับดอกไม้ค่ะ
(1)には、太陽と鷹が被写体として映し出されているが、タイの太陽が沈みつつある中、数羽の鷹がまるで太陽とたわむれるが如く飛んでいて、雄大さを覚えた。
(2)には、泰日文化倶楽部の元講師の家の広大なる庭に咲きほこるピンクの花の前で、花に酔いしれるかのような顔をした猫が写っている。「先生を引っ搔いた猫ですよ」と書かれているのを読むと、少々憎らしく思ったが、猫といえども、美しい花をうっとりとめでているのであれば赦す。それとも、猫殿も年をとって、おだやかになったのかもしれない。
いずれにせよ、自然なるもの(太陽、花、鳥、猫)は大いなる癒しである。
ウボンへ旅行した女生徒
年末年始にウボンへ旅行した女性が二人いる。一人は「タイ語中級 土曜日11:00」の生徒であり、もう一人は個人レッスンの生徒である。したがって、二人には全く接点がなく、同時期に偶然、ウボンにいたというだけ。
S子さんはウボンの友人達に三日間、イサーン料理をどんどん勧められた結果、胃酸過多から胃腸の具合が最悪になり、大晦日に入院するはめになったそうだ。さぞかし不安であったことであろう。
Y子さんはウボンの田舎のタイ人家庭に9日間泊まり、それはそれはこれまでに味わったことがないイサーンの自然生活を満喫したとのこと。写真を見せてもらって、彼女の話に納得。雨水を利用するだけの生活に次第になれていったようで、順応力が早い。
バンコクから一時帰省をしていたその家の女性とバイクでぶらぶら出かけた時に、ヘルメットをかぶっていないということで警察官に事情聴取を受けたそうだ。だが、警察官はすぐにY子さんにものすごく関心を持ち、彼女のことや日本のことを次から次に尋ね、交通違反のことはおとがめなし。
ウボンの田舎の人は、大人も子供も、そして、警察官も興味津々だったとか…..。Y子さんがタイ語で立派に受け答えしたから、話に花が咲いたということだ。
2才の坊や
昨日の午後、キャリアウーマンが第2回目の個人レッスンを受けるために教室にやって来られた。だが、彼女よりも先に坊やの姿があった。物怖じすることなく、つかつかと教室に入り、ミニカーを持って教室の壁を走らせまわる。そのミニカーはタクシーと三輪車であったが、いずれもタイ製で、タイ文字が書いてあった。
坊やはバンコク生まれ。生後4ヶ月、バンコクの保育園に預けられていたそうだ。タイ人講師がびっくりして言った。「ไม่กลัวคนเลย(ちっとも人見知りしないわ!)
ところで、ママが授業を受けている間、この坊やは何をして過ごすのかしらと心配していたら、ママが「大丈夫です。これが有りますから」と言って、子供用クイズ(絵合わせ)が入ったタブレットを坊やに与えた。私は興味を覚えたので坊やの横に座り、彼の指の動きを観察した。自分で電源を入れて、すいすい遊ぶ。飽きることなく何回も繰り返す。
「どうしてこんなに単語を知っているの?」とママに尋ねると、「幼稚園に行ってますから」とのこと。
私は坊やの指の動きが毎回、早くなり、確実性を強めて行くのを見た。「完成!」、とか、「万歳!」と言ってあげると、彼も同じく声を上げ、両手で万歳した。90分はあっというまに過ぎた。2才の坊やと72歳の私。70年の年の差を忘れ、私も楽しめた。
ウボンへ旅行した女生徒
年末年始にウボンへ旅行した女性が二人いる。一人は「タイ語中級 土曜日11:00」の生徒であり、もう一人は個人レッスンの生徒である。したがって、二人には全く接点がなく、同時期に偶然、ウボンにいたというだけ。
S子さんはウボンの友人達に三日間、イサーン料理をどんどん勧められた結果、胃酸過多から胃腸の具合が最悪になり、大晦日に入院するはめになったそうだ。さぞかし不安であったことであろう。
Y子さんはウボンの田舎のタイ人家庭に9日間泊まり、それはそれはこれまでに味わったことがないイサーンの自然生活を満喫したとのこと。写真を見せてもらって、彼女の話に納得。雨水を利用するだけの生活に次第になれていったようで、順応力が早い。
バンコクから一時帰省をしていたその家の女性とバイクでぶらぶら出かけた時に、ヘルメットをかぶっていないということで警察官に事情聴取を受けたそうだ。だが、警察官はすぐにY子さんにものすごく関心を持ち、彼女のことや日本のことを次から次に尋ね、交通違反のことはおとがめなし。
ウボンの田舎の人は、大人も子供も、そして、警察官も興味津々だったとか…..。Y子さんがタイ語で立派に受け答えしたから、話に花が咲いたということだ。
古き良き喫茶店
昨日、仕事で練馬方面へ出かけたが、ランチの時間はわずかに30分。かつて行ったことがある喫茶店へ飛び込む。フランチャイズの店ではないので、とてもゆったりしている。まさしく古き良き喫茶店の趣を醸し出している。音楽が流れていれば、音楽喫茶といえよう。
客層は中年。皆さん、落ち着いて構想を練っている感じ。なかには眠っている人もいた。どんなに長く座っていても、追い出される気配はない。テナント料が高額な都心ではとてもやっていけないなあと思う。それだけに、そういう場所が長く存在することに有難味を感じなくては……。
電車に乗って移動するだけの毎日。それだけでは寂しい。構想を練ったり思索にふけったりする場所が欲しい。かつて泰日文化倶楽部の近くに手塚治虫が愛した喫茶店が有ったが、4年位前に閉店。そのあとは焼鳥屋になった。
友人と水彩画
昨日、中学時代の友人に電話をした。「吉川さんが年賀状をやめたことは知っていますが、私はどうしても出したいの」という賀状を頂いたので、声の便りをしてみた。
開口一番、彼女は言った。「私、今年、年女なの。母もよ」
ということは、お母様は近々96歳におなりになる。一人暮らしを選び、歩いて2分のところに住む娘さんが運んで来られる食事を楽しみにしておられる。「老老介護なのよ」と彼女。でもその声は明るい。
友人は水彩画を得意とする。プロ級である。「最近、描いてる?」と私が尋ねると、「描いてます。2ヶ所に習いに行ってます。ただし、1ヶ所は授業料が無いところ。絵っていうものは、やめたらだめなの。いつも描いてないと…….」
それを聞いて、どんなことにも通じる話だと思った。やめたらおしまい。