啓蟄

 今日は二十四節季の「啓蟄」。冬眠していた動物達がそろそろ穴から出て来て動き出す頃…..。確かに、三寒四温の中にも、草木虫魚は確実に活動を始めている。人間様もコートを脱いで、軽やかに歩き始めたいものだ。
 「啓」という漢字は、「拝啓」でお馴染みであるが、あまり手紙を書かなくなった昨今、いささか疎遠になりつつある漢字である。以前は「啓」を使った漢字の名前をよく見かけたが、最近のキラキラネームに押されてフェードアウト気味。
 キリスト教徒であれば「神の啓示」という言葉が浸透しているが、無宗教に近い者にはやはり身近な漢字ではないと思う。
 では、「啓蒙」はどうか。昔、「啓蒙主義」という言葉が歴史の本に出て来た。ものすごく難しそうなイメージを受けたが、その意味するところは、「自然の光を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促す」という意味だそうである。
 情報が溢れ過ぎの社会において、自身に対する啓蒙をはかること、それは肝要なり。

気合がいいおにぎり屋

昨日は寒かった。雨が降り、しかも、風が斜めから吹いて来たので、土地勘が無い場所でバスを待っているのがつらかった。しかし、高齢者の多くが静かに待っていたので、私も10分ばかり、自分の忍耐度をためすために立っていた。
 仕事は2時間で終わり。寒いので早く帰宅したかったが、時間が中途半端なので、大塚駅で降りて、行列ができるおにぎり屋へ行ってみた。店に入るやいなや、年齢差にばらつきがある店員4名が一斉に大きな声をかけてきた。気合十分だ。
 初めて入った店だが、おにぎりを握るのは80歳くらいのおじいさん。握りながら、「どうぞ、何でもご注文くださいよ」と言いっぱなし。鮨屋なら黙って握るが、おじいさんはその反対。彼は一日につき、いったい何個のおにぎりを作るのであろうか?
 ほかの従業員達も心からの声で客をもてなしながら、自分たちにも気合を入れる。午後4時頃の中途半端な時間帯であっても、彼らは元気いっぱいで店を盛り上げる。気合が大事。そして、大きな声は元気の素なり。

「タイ語入門 金曜日18:30」 新規開講!

3月1日より、「タイ語入門 金曜日18:30」を開講した。生徒はわずかに女性2名だけ。彼女達の強い希望を聞き入れての開講である。
 お二人は高田馬場に在る日本語学校の教師だ。タイ人の生徒が在籍しているからという理由でタイ語を習うのではなくて、単にタイが好きだからという理由で入会された。とても教えやすいという印象を受けた。彼女達が語学教師であるからであろう。
 第一課の「発音と声調」をわかりやすく指導すると、ぐいぐいとついてきた。見学に来られた時、『タイ文字練習帳』をお渡しし、「点線で書かれたタイ文字をなぞって書いてみてください」と言ったところ、興味を持って書いて来られた。勉強意欲たるや満々。
 タイ語の単語も少しばかりご存知であった。単語+単語で新しい意味の合成語になることを教えると、「おもしろい!」と声を上げた。
 語学の上達度は興味や関心の度合いによって決まる。そして、持続する情熱が肝心。

今日の宿題

昨日、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスを見学すると、生徒の皆さんは、[ตั้ง]を使ったいろいろな表現を発音するのに四苦八苦していた。タイ人講師はゆっくりと発音して聞かせるが、いくら聞いても生徒達はできない。
 そこで、もう一度、[ตั้ง]を使った表現を以下に列挙するので、和訳後、発音を数回、繰り返してほしい。
1)ตั้งใจขยันเรียนภาษาไทยตั้งแต่บัดนี้เป็นต้นไป
2)ต้นเดือนธันวาคมปีที่แล้ว ก่อตั้งบริษัทใหม่ในเขตซินจุกุ
3)เขาฝากเงินไว้ที่ธนาคารตั้งร้อยล้านบาท
4)ลูกเขยได้รับการแต่งตั้งเป็นผู้จัดการใหญ่
5)ติดตั้งเครื่องใหม่
6)ตั้งโต๊ะเร็วๆซิคะ
7)ตั้งชื่อว่าสมบูรณ์
8)ตั้งนาฬิกาปลุก
9)จะตั้งต้นอย่างไรก็ต้องมีที่สิ้นสุด

新しい習い事

昨日、着付け教室へ行った。昨年2月から始めて第20回目であった。センスのいい女性であれば、そんなに習わなくても、あとは自分でパッパと着られるようになるというのに…….。
 ところが、私は一度習い始めるとすぐにはやめない。何もわからないまま、中途半端でやめるのは教師に失礼だ。教える側には蓄積された知識がお有りだからである。
 着付けに関していえば、少しずつわかるようになった。すると、先生はさらに細かな注意をしてくださる。それが有難い。何故ならば、さらなる奥深い色彩世界に入っていくことができ、和の美を覚えるからである。
 昨日、着付けが終わり、レジで稽古代を支払おうとすると、一人の中年女性が不安そうな表情で店主と話をしていた。着付け教室に入会したいらしい。私は心の中で彼女に言った。「お始めになられたほうがいいですよ。時は金なり!」

白川郷ではぐれる

昨日、公衆電話から電話がかかって来た。新しい見学者かしらと思って電話に出ると、タイ人元講師からであった。
 「今、白川郷にいるんですけど、息子とはぐれました。吉川先生は息子の電話番号を知っているはずですから、私がアウトドア・ミュージアムで待っていると伝えてくださいませんか?」
 そこで、私はすかさず息子さんに電話をかけ、お母さんが待っている場所を教えた。どうやらお母さんのWi-Fiが壊れて使えなくなっていたらしい。
 白川郷と聞くと、昨年10月に行ったので、込み具合は十分に想像できる。普通、迷子は子どもと思っていたが、外国人もはぐれてしまうようだ。
 ラインでの連絡方法は簡単だが、やはり、息子さん(日本に留学中)の携帯番号だけはメモしておいたほうがいいと思う。

情熱

昨日、泰日文化倶楽部の教室に中国女性が次々にやって来られた。
 1番目の中国女性は「アジア女性のための生け花クラス」に参加されたT女史。この方は私と年齢が近いが、私よりも10倍パワフルだ。目下、ロシア舞踊を習っていると伺い、華道講師と一緒に驚いてしまった。
 2番目の中国女性は、「旅の中国語 土曜日14:30」の中文講師である。とても美しい漢字をお書きになる。生徒達も以前にもまして、大いに頑張るようになった。
 3番目の中国女性は、昨日から「タイ語入門 土曜日18:00」に入会されたばかりであるが、帰る方向が同じであったので高田馬場駅のホームで一緒に電車を待っていると、彼女は私に訊いた。「30年間も長い間、タイ語塾をやって来られた理由は何ですか?」
 私は数秒後、答えた。「情熱です!」
 すると、彼女はすかさず反応した。「情熱を持って生きている人生、すばらしい! 私もそうありたいです」

流しのタイ人と生徒さん

昨夜、タイへ旅行中の生徒さんからラインで動画が送られて来た。そして、次のような文面が添えられてあった。
 「流しのお兄さん、初めて見ました。サナームパオの駅前のシーフードレストランでした。思わずリクエストしました」
 流しのお兄さんは、40歳半ばに見える。人生の酸いも甘いもわかる年齢に達しているせいか、哀感がこもった歌い方だ。生徒さんは、すかさず、「うまいね」と言う。ただし、それは日本語。
 共感を覚えた生徒さんは、途中から一緒に歌い始めた。それを聞いた彼の音程に私はびっくり。うまい!
 教室では毎回、彼に対して声調の間違いを注意しているが、彼の歌を聞いていると、うまくリズムに乗っているではないか!そして、流しのお兄さんに共感しているから、彼も乗り乗り。
 その乗り乗り感を日本でも発揮してもらいたいと、再度、動画を見ながら思った次第である。

清張さんの優しい教え

『清張さんと司馬さん 昭和の巨人を語る』(半藤一利 2001年 NHK人間講座)を読み返していると、それはそれは示唆に富んだヒントが盛りだくさん。だから捨てずに長らくしまっておいたのであろう。昨日は、次なる段落に興味を覚えた。
 「清張さんの優しいお人柄については、すべての編集者が口を揃えて言うことでしょう。こんな話を聞いたことがあります。これは女性編集者です。銀座で待ち合わせたとき、なんと、この女性は四十分くらい清張さんを待たせたらしい。″ごめんなさーい″と甘えて言ったら、無言のまま、清張さんはさっさと勘定を払って店を出ると、件(くだん)の女性を和光へ連れていった。そして時計を買って与えたというんですね。そして、″編集者は時間を守らなきゃいけない″と、ただ一言。いらい、その女性編集者は時間には決して遅れないようになったとか。厳しくも、また優しい教えなんですね。清張さんは、失礼ながら、あの風貌からは想像できないかもしれませんが、それくらい優しい人なのです」
 携帯が無かった頃の話とはいえ、いろいろと考えさせられる。