今日の翻訳

 タイの民俗学者であるアヌマーンラーチャトン氏のお子様3名が著した『พ่อของลูก』(สำนักพิมพ์แม่คำผาง刊 พ.ศ.๒๕๓๐)の本の中から、長女(สมศรี สุกุมลนันทน์)が書いた「บ้านของพ่อ」一部抜粋して出題する。人間関係がややこしいかもしれないが、主語の使い方(ลูก=私/ ท่าน=お父様)に気をつけて訳してみよう。

1.พ่อเคยพูดว่า บ้านที่ไม่มีเด็ก ไม่มีหมา ไม่ใช่เป็นบ้าน เป็นแค่ที่อยู่อาศัย

2.บ้านของพ่อ มีอายุกว่าหกสิบปี ไม่เคยขาดเด็กและหมา จำนวนมากบ้าง น้อยบ้าง บางเวลา เคยมีเด็กมากกว่าสิบ และมีหมาคราวหนึ่งแปดตัว

3.พ่อตายมาได้๑๖ปีเต็ม เดี๋ยวนี้บ้านของพ่อมีเด็กคนเดียว หมาสาม เด็กคือเหลนของพ่อ หมดสมัยครอบครัวมีลูกเก้าคน

4.เด็กในบ้านของพ่อมีอายุเปลี่ยนแปลงไปตามลำดับของอายุลูก

5.ระหว่างสงครามโลกครั้งที่สอง ลูกอยู่มหาวิทยาลัย มีเพื่อนมาอยู่ด้วยหลายคน เพราะไม่มีหอพักที่จะอยู่ได้โดยปลอดภัย

6.ท่านบอกว่าท่านนึกถึงลูกของท่านเองว่า ถ้าตกอยู่ในสภาพแวดล้อมระหว่างสงคราม ท่านคงจะยินดีที่มีผู้ให้ความอบอุ่นคุ้มครองแก่ลูก

7.เพื่อนคนไทยของท่านมีความจำเป็นต้องส่งลูกให้เข้ามาเล่าเรียนในเมืองหลวง ท่านก็รับไว้ให้อยู่ในบ้าน

三猿

 三猿と言えば日光の猿が有名だ。私の書棚にも誰かから頂いた三猿を飾っている。ところが昨日、そのガラス入りの書棚を見ると、三猿が二猿になっていた。残っていた猿は、「見ざる、聞かざる」。消えた猿は「言わざる」。
 私の仕事は声に出して大いに話すことだから、「言わざる」が遠慮してどこかに消えたようである。御主人思いの猿だ。
 「見ざる、聞かざる、言わざる」は人間関係をスムーズにするための昔の人の知恵。しかし、情報手段がこれだけ飛躍的に発達した21世紀に於いては、三猿はもう通用しない。否が応でも情報が飛び込んで来るからだ。
 時には、「見る、聞く、言う」で対抗しよう。それには日本語と外国語の両方のレベルアップが必須である。

雨水(うすい)

 今日は二十四節気の「雨水」。立春から数えて15日が経過し雪解けが始まる頃を言うそうだ。テレビで見ると、伊豆の河津桜も水戸の偕楽園の梅ももうきれいに咲いている。
 昨日、目白駅を利用すると、駅のコンコースに立派な雛壇が飾られていた。調べてみるとお雛様を飾るのは雨水の頃からだと書いてあった。目白駅の気配りに感嘆した。
 タイで長期滞在をしている日本人は日本の細やかな季節感を忘れてしまっている。タイはタイの良さがあるから甲乙をつけることは不要。だが時には日本のことも思い出してほしい。タイ在住の元生徒達に季節の写真をラインで送信すると、「あら、もうそんな季節?」という反応が多い。
 もう一度、寒気が来て、そして三寒四温を繰り返しながら春が来る。タイ語の勉強は三歩後退・四歩前進で根気よく続けよう。

今日のタイ語作文

1.ソム(みかん)先生には同じく女医である親友がいる。

2.その彼女の愛称もソム。したがって、後輩のソム先生と区別するためにソム・ヤイと皆は呼ぶ。

3.私はスコータイ・ホテルで二人と会食したことがあるが、ソム・ヤイ医師はとても快活であった。

4.彼女が今年7月から半年間、渋谷区内の病院に研修を受けに来るそうだ。

5.コロナが蔓延する前まで開講していた火曜日19:00のクラスの生徒達はソム・ヤイ先生を知っているから、皆さんに連絡をして、是非とも歓迎会を開催したいと思っている。

ลายというタイ語

 タイ人講師が「品川駅は人が多すぎて目がくらくらする(ตาลาย)ので羽田へは浜松町からモノレールで行きます」と言った。確かにテレビで品川駅の通勤者がよく報道されているのでそうかもしれないが、東京駅や新宿駅と比べるとそれほどでもない。
 それよりも、「ตาลาย 目がくらくらする」という表現に私は興味を持った。「ลาย」の意味は模様とか縞柄だ。辞書で調べてみると、「ลายตา まばゆい」というのも有った。
 そこで、「ลาย」を使った単語や表現を列挙する。
๑.ม้าลาย / ๒.ทางม้าลาย / ๓.ลายมือ / ๔.ลายเซ็น / ๕.ลายนิ้วมือ
๖.ลายไทย / ๗.ลายไม้ / ๘.ลายเสือ / ๙.สิ้นลายเสือ / ๑๐.เป็นลายลักษณ์อักษร

律儀なソム先生

 一昨日の夕方、6年前に本帰国されたソム(みかん)先生が、寒空の中、スカートとソックスだけでお土産を持って教室に来てくださった。2日前に彼女のことを思い出していた矢先だけに、ご本人が現れたことにびっくり。テレパシーが通じた!
 1時間ばかりおしゃべりをしたが、日本語でOK。マヒドン大学病院やサミッティベート病院に日本人の患者が来るので日本語は忘れていなかった。
 6年前に東京医科歯科大学で博士号を取得した彼女は、同期生のタイ人7名と共に「博士同窓会日本旅行」を計画し、北陸地方でスキーを楽しんだそうだ。
 近い将来、東京医科歯科大学が東京工業大学と統合し、医科歯科の名前が消えることをとても残念がっておられた。だが、そこはタイ人。マイペンライだ。
 ソム先生はとても律儀である。東京に来ると必ず私に挨拶に来る。そして生徒達のことを思い出しながら話す。バンコクでも多忙の中、私を歓迎してくれる。彼女に素晴らしい伴侶が現れることを願って、卓上用のお雛様をお土産に渡した。
 
 

今日の翻訳

 6年前にタイへ帰られたソム(みかん)先生が、昨夕、寒い中、わざわざ教室にあいさつに来てくださり、干しマンゴーのお土産をくださった。その袋に書かれたタイ文から出題する。

1.มะม่วงอบแห้ง คัดสรรมะม่วงสีเหลืองทอง

2.ผลิตผลของเกษตกรไทย ในพื้นที่ใกล้โรงงานหลวงฯที่๓

3.อบแห้งอย่างพิถีพิถัน

4.ผงสีขาวที่เห็นเป็นน้ำตาล”ไอซิ่ง” ไม่อันตรายต่อการบริโภค

5.ข้อมูลสำหรับผู้แพ้อาหาร:มีซัลไฟต์

6.ไม่เจือสีและไม่แต่งกลิ่นสังเคราะห์

丁寧な仕事

 昨今、昔の着物を洋服に仕立て直すことが流行っている。デザイナーのおかげでデザインが良くなっているので、一点物としてお気に入りになりそうだ。
 そこで私も親が作ってくれた50年以上も前の着物を時間があればせっせとほどいている。そしてほどきながら気づいたことがある。
 それは、着物の作り方がわかることはもちろんだが、縫った人達の丁寧な仕事ぶりが実によくわかるということ。見えない部分まで針が均一間隔できちんと運針されているのは見事といえよう。
 伝統の仕事というものはその場限りで終わるものではない。長く積み重なり、浸透し、そして後世にその技術が伝わってこそ、息長く光を放つ。

理論と実践

 先週、次期日銀総裁候補の名前が挙げられ、関係機関の反応は「サプライズ」であった。理由は戦後初の経済学者から選出されたからだ。いろいろな観方が有るが、同時に発表された副総裁候補2名と共に何とか期待できる布陣であるならば、素人の私が口をはさむ余地はない。
 だが、失われた30年を取り戻す庶民のための経済政策だけは切にお願いしたい。国民はおとなしく黙っているが貧富の差がつきすぎた。「粛々と」という表現下、ベクトルが果たしてどの方向へ向かっているのかわからない。学者の理論も必要だが、現実の速度は速い。どのくらい効果的に実践できるかが肝心。
 ひるがえって語学の勉強にも同じことが言える。文法の習得は必須だが、とにかく話して聞く能力を鍛えるべく、使う場を求めて積極的に出て行こう。
 

今日のタイ語作文

 毎日新聞(ネットニュース)から出題する。長文の作文に挑戦することで、少しずつ慣れて行こう。

1.トルコ南部を震源とするトルコ・シリア地震の被災地では、2月6日の地震発生から100時間以上が経過した今も、がれきの中から生存者が多数救出されている。

2.トルコと各国の救助隊が協力し、成果を上げているようだ。

3.10日午後8時過ぎ、市の中心部の現場から15歳、12歳の少年と母親が救出されると、集まった市民から大きな拍手がわき起こった。