フェスティバル & ドレスコード

昨日、「タイ語中級 土曜日12:15」のクラスを代講した。このクラスの生徒はわずかに2名。途中に抜けた期間はあるが、足かけ20年も習いに来てくださっている。彼らにとっては、昼間のこの時間帯に泰日文化倶楽部にやって来ないと、土曜日が始まらないようだ。
 「今日、タイフェスに行きますか?」と尋ねると、さすがに飽きたとみえて、「行かない」という返事が返ってきた。
 ところで、昨日は天候に恵まれて、第20回目のタイフェスティバル(เทศกาลไทย)が盛況であったとのこと。行かないという生徒達に、「フェスティバル」をタイ語で書かせたところ、なかなか難しそうであった。
 授業がどんどん進み、話題が「ドレスコード」へと展開していった。ドレスコードはタイ語で「กาลเทศ kaala-theesa」という。よく見ると、フェスティバルの「เทศกาล theesa-kaan」と単語の組み合わせ方が、丁度逆である。フェスティバルは無礼講でよいが、ドレスコードを強いられる場所は緊張する。やはりお祭りのほうがいいなあ。

トルコ至宝展

昨日、六本木にある国立新美術館へ行った。「国画会」に所属している友人が今年も大作を発表していた。彼女は大学卒業以来50年間、ずっと油絵を描き続けている。
 時間が余ったので、2階で行われている「トルコ至宝展」にも行ってみた。最近、海外旅行をしていないので、トルコに行った気分になろうと思ったからである。
 展示は、第1章 トプカプ宮殿とスルタン、第2章 オスマン帝国の宮殿とチューリップ、第3章 トルコと日本の交流、から構成されており、非常にわかりやすかった。いずれの美術品も精工に出来ており、日本人の匠の精神と類似しているように思われた。
 実際にトルコへ行っても、これだけまとまった美術品をしっかりと見ることは体力的にも時間的にも不可能であろうから、こうした美術展はやはり行ってみるものだ。

ポーランドのテレビ局

一昨日の午後、大塚へ行った。仕事は短時間で終わったので、人気のおにぎり屋に寄ってみることにした。午後3時を過ぎていたので、並ばずに入れた。客は次から次に入って来る。
 この店は1960年に創業された店だそうだ。もう59年もおにぎりをにぎり続けているとは!
 私にとってはまだ2度目であったが、外国のテレビ・カメラが入っているのに気がついた。店の人にどこのテレビ・クルーかと尋ねると、「ポーランドです」とすかさず返事。
 私は顔を隠すためにうつむいて食べた。私のようなおばさんがポーランドのテレビに放映されては失礼。おにぎりを食べている15分5間だけでも若い娘に戻りたかった。食べ終わると、インタビューを求められた。テレビに出る顔ではないのでお断りした。
 昔、タイのテレビ局と一緒に数回、取材に行ったことがあるが、それは外務省がらみの仕事であった。外務省が世界のテレビ局を招聘して、日本を紹介してもらうのが目的であった。東京オリンピックに向けて、外国人の観光客を誘致する作戦はすでに始まっている。

令和最初の宿題

黄金週間が終わりましたので、そろそろ勉強に集中しましょう。そこで、令和最初の宿題を出します。以下の文章をタイ語に訳しなさい。
(1)目下、北海道は桜が満開です。
(2)青森県の特産品はりんごとまぐろです。
(3)願わくば秋田犬を飼ってみたい。
(4)岩手県の三陸海岸の景色は抜群。うにも食べたい。
(5)山形県の紅花で染めた着物を買いたい。
(6)仙台は東北第一の中心地です。
(7)栃木県は高原や温泉が有り、夏に行きたいところだ。
(8)新潟市から東京まで新幹線に乗ると2時間もかからない。
(9)聞くところによると、金庫が一番よく売れるのは群馬県とのこと。
(10)千葉県の魅力は何ですか?

まおの石頭シュークリーム

黄金週間に郷里へ帰った時、宇多津駅のそばにある菓匠兼喫茶店に寄ってみた。本当はうどん店に入って本場の讃岐うどんを食べたかったのだが、長蛇の列を見て断念。
 その喫茶店に入るのは2度目。前回来た時よりも盛況であった。珍しいネーミングに惹かれて、私は「まおの石頭」というシュークリームを注文。名前通り外側はやや硬かった。しかしサクサク感が有って新鮮。中からは丁度いい甘さのクリームが登場。一緒に頼んだアイスティーはアールグレーの香りが何ともいえず文学的。お茶をしている客は40歳前後のママ達。おしゃべりに屈託がない。
 この店が在る辺りは、昔、塩田であった。60年後は素敵な洋菓子店に変身。渋谷文化村の中にある有名な店よりも美味しかった。そして、そこの店の菓子のネーミングがとにかく面白い。「こでぶのチーズタルト」、「でぶのもとチョコタルト」、等々。
 私は思う。地方再生は美味しいお菓子からはどうだろう。女性達が溌剌として頑張ってくれるはずだ。

「タイ語入門 火曜日15:00」 新規開講

今日から授業を再開します! 次なる夏期休暇(8月8日~21日)までの3ヶ月間、マイペースでタイ語の学力を伸ばしましょう。
 令和最初の新しいクラスとして、「タイ語入門 火曜日15:00」を今日から新規開講いたします。
 3月から開講した「タイ語入門 金曜日18:30」のクラスは極めて快調です。生徒2名は高田馬場に在る日本語学校の教師達。一人は外国生活が豊富であり、もう一人はアジア通。したがって、非常に教えやすいです。
 教科書だけでは前進なし。自らの関心の度合いが肝心。アンテナを張り巡らせて、語学の勉強を面白がりましょう。

子供の耳

昨日、元教え子の真珠さんと渋谷の文化村で昼食を一緒にした。彼女は尾道在住だが、黄金週間の間、家族と一緒に横浜の実家に遊びに来ておられた。
 真珠さんは長女(小学2年生)を連れて来た。長女を飽きさせてはいけないと思い、会話には気をつけたつもりだが、長女は次から次に初めて聞く単語の意味をたずねてきた。その中の一つに[コンプレックス]が有った。
 すると、母親は電子辞書を長女に渡し、「自分で調べてごらん」と言った。しばらくすると、長女は単語の意味を読み始めたが、「精神的って、なあに? よくわからない」といらだち始めた。
 私もスマホで調べてみた。「精神分析で、感情の場合、現実の意識に反する感情が抑えつけられたまま保存され、無意識のうちに現実の意識に混じり込んでいるもの。脅迫観念や夢はこの複合が象徴的に現れたもの。特に[インフェリオリティーコンプレックス(劣等感)]の略」
 これでは、難しすぎる。私は母親である真珠さんに言った。「電子辞書を与えるのではなくて、易しくて、短い言葉を適格に選んで、子供にすぐわかるように教えてあげるようにしたほうがいいわ。そうしてくださいね」

令和元年初日

令和元年初日(5月1日)午前6時45分、私は鳥取駅のホームにいた。「スーパーいなば2号」で岡山まで行くために自由席の列に並んでいたら、すぐ前にタイ人らしき若い女性が3人。耳を傾けて彼女達の会話を聞いたが、タイ語ではなかった。ベトナム人であった。「シンチャオ!」と声をかけると、とても喜んでくれた。
 令和の初日、私は来た時と同じく、再び中国山地の峠越えをした。新緑の世界に幸せを覚えた。そして、岡山から松山行の「しおかぜ5号」に乗り、瀬戸大橋を渡って丸亀下車。両親の先祖の墓参りが目的であった。眠っている先祖の皆々に新しい御代になったことを知らせたかった。
 宇多津に在る母方の寺ではご住職が境内の掃除をしておられた。少しだけ立ち話をして、日頃からお世話になっている御礼を述べる。祖父母の墓の草取りに90分。さすがに疲れた。すると、境内のどこかから玉砂利を掻き清める音が聞こえてきた。見ると、中学生らしき少年だ。ご住職の息子さんと思われる。それを見て、この寺は永遠に続くと思われた。

恩師と生徒

4月29日午後3時34分、鳥取駅到着。48年前に初めて観光で来た鳥取駅舎は昔の国鉄時代のものであったから、暗くて寂しい感じがしたのを今でも鮮明に覚えている。現在の駅はどこにでも見られる駅になっていた。
 2度目は18年前、元生徒A氏の結婚式に参列のため、飛行機で鳥取へ。そして、今回は3度目。だが、悲しいかな、元生徒B氏の奥様(享年47歳)のご葬儀に参列。
 通夜の時、導師(浄土真宗)は次なる話をされた。「私は10年前まで高校の教師をしておりました。仏は私の教え子であります」
 それを聞いて、そのようなかたちの再会という因縁について私には深く思うところがあった。
 恩師が導師として元生徒を読経で葬送する。棺の中の彼女は安心しきったお顔をしておられた。

智頭急行

4月28日13時43分、岡山駅から「スーパーいなば7号」に乗って鳥取へ行った。津山を通過するものと思っていたら、そうではなかった。JRの因美線山郷駅から智頭(ちず)急行と若という路線で行くということを初めて知った。
 調べてみると、智頭急行は1986年にできた第三セクターであった。中国山地の山間(やまあい)の新緑とせせらぎが美しかった。そして何よりも興味を覚えたのは、「宮本武蔵」という駅を通過したことだ。宮本武蔵の生誕地とのこと。
 智頭急行の路線の駅名の中には「恋山形」というのが有る。これは若いカップルに似合いそうだ。
 ところで、智頭急行の智頭駅は、「ちず」と表記し、智頭町の町名は「ちづ」と表記することになっていることを知り、どことなく奇異を覚える。
 「ず zu」と「づ du」は、発音上、区別がつかない。「じ ji 寺」と「ぢ di 痔」を区別して発音できないのと同じかな?