先週の土曜日の午後、個人レッスンをしている時、蝉の鳴き声がとてもうるさかった。だが、よく考えてみれば、今年初めて聞く蝉の声だ。コンクリートのジャングルの中で鳴く蝉がいとおしく思われた。そこで、生徒さんに向かって発破をかけた。
「私達も蝉に負けないように、大きな声で発音しましょう!」
帰宅して、禅僧が書いた本を読んだ。「禅の世界では、修業の読み方は、しゅぎょうではなくて、しゅごうと読みます。業(ごう)なのであります」と書いた一文が有った。
仏教関係の漢字の読み方はとかく難しい。なるほど、そうなのか、とだけ思うことにした。
しかし、ふと、昼間の蝉を思い出した。鳴いていたあの蝉は、蝉なりに短い数日の夏を生き抜くという修業をしていたのであろうか…..。
蝉の姿は見ていない。だが、蝉の声はまさしく禅であった。
今日の宿題
誰かが書いていた。「一日5分、自分のための時間を新たに確保すれば、一年で30時間になります」
30時間は大きい。有意義に使おうと思えば、何かができる。
そこで、これにならって、以下の文章をタイ語に書いてみよう。
1.一日につき、タイ語の単語を新しく5語、覚えれば、1ヶ月では150語、そして、1年では1,800語になる。
2.一日につき、タイ語の文章を5文、書けば、1ヶ月では150文、そして、1年では、1,800文になる。
3.一日につき、500円を節約すれば、1ヶ月では1万5千円、そして、1年では、18万円になる。
4.一日につき、5分間、瞑想すれば、1ヶ月では2時間半、そして、1年では30時間になる。
5.しかし、30時間は1日と6時間にしかすぎない。
6.そうであるならば、瞑想しても効果は求められそうもない。
7.従って、瞑想するかしないかは、本人の考え方次第だ。
子はかすがい
先日、30歳代後半の元生徒さんと電話で話している流れで、「子はかすがいだから」という表現を私が使うと、彼はすかさず訊いた。「かすがいって、何ですか?」
そこで、「建築に使われるものですよ。あえて分かりやすく言うならば、扉と扉をつないでいる蝶番みたいな役目をするものとイメージしてください」と、私は答えた。
電話の後、私は<かすがい>という単語を調べた。まず驚いたのは、漢字が難しい。<鎹>という字なんて書いたことがない。柱と柱をつなぐ金具で、[ のような形をしている。
今日の結論=高齢者と一緒に住まなくなった人達には、昔よく使われていた表現を聞く機会が無い。新しい時代に押し寄せて来る単語で暮らしている。それもありかなあとは思うが、小説等を読み、昔の表現を少しは知って、残していってほしい。
胡麻新月
昨日、青森から「胡麻新月」という菓子が届いた。見た目は南部せんべい。いや、南部せんべいそのものだが、豪華版だ。ちらしの説明にはこう書いてあった。
「噛めば噛むほど甘みがお口いっぱいに広がります。特殊製法の生地に厳選された胡麻を表とそして、裏にもぎっしり贅沢につけました。今までに食べたことのない食感と味に仕上げた堂々の商品です」
早速、頂戴したが、私には塩味しか感じとれない。そこではたと思い当たった。私は都会の甘い菓子に慣れ過ぎていたのではあるまいか、と。
あらためて、せんべいを噛んでみた。しかし、やはり塩味だ。3度目の正直だと自分に言い聞かせつつ、またせんべいを噛む。だが、そのようにして無理矢理に甘さを感じようとするのはよくないと思った。
よくよく考えてみれば、雪国の人達と私とでは生活リズムが全く違う。彼らはゆっくりと噛んで、塩味の中からじっくりと甘さを味わうのであろう。
或る禅僧の生活
或る禅僧が書いた本を読み始めたが、なかなかに興味深い。彼は次のように書いておられる。そして、105歳で天寿を全うされた。
1.私の現在の生活は三分の一生活です。
2.すなわち三分の一は宗教者としての深奥にひそむ任務、三分の一は雑用(遊びと称している)、三分の一は体を横にする。
3.一日をこのように三つに分けてくらしている。
4.朝は茶粥二杯、梅干し一つ、菓子半分、薄茶一服。
5.昼はうどんのみ。 夜はあり合わせのもの。いただきもので五勺の酒とめし一椀、みそ汁一椀半、あり合わせのジュース一杯。
6.家にはよけいなものはいっさいおかない。必要具のみ。
7.訪問客があればお目にかかるが、こちらからはよほどのことでない以上伺わない。
8.テレビ、ラジオはいっさい見ない、聞かない。
9.うっかりすると、朝から晩までひと言も言わない日もある。
情報の海で
昨日、古本屋で、『半眼訥訥』(髙村薫 文藝春秋刊 2000年)を購入。この本は1993年から1999年に発生した事件や事象について新聞に書いた記事をまとめたものである。本の帯に<著者初の雑文集>と書いてあるが、決して雑文ではない。
「情報の海で」という記事(読売新聞 1995年10月7日夕刊)では、著者は母親のことを書いている。
== わたくしの七十四歳になる母は、実はわたくしよりも先にインターネットを楽しんでいる自由人だが、その母が手元にいつもメモ用紙を置き、テレビや新聞で出会う新語を書きとめては、あとで辞書を引いている。そうしなければ、夥しい情報に取り残されるからだが、当人はそのつど、自分が年をとったという悲哀を、ことさらに味わうらしい。<中略>
情報の海を泳ぐのは現代人の宿命だが、それも有限の人間の営みの一つだと思えば、インターネットの時代も、余裕を持って迎えられるのではないだろうか。==
私がインターネットの存在を知ったのは、1995年の阪神淡路大震災の時である。髙村薫は<情報の海>と表現しているが、あれから25年(4半世紀)後の2020年は、もはや情報の激流であり、濁流である。
今日の宿題
もしも東京在住の人間が地方へ出かけて行くことをあまり歓迎されないのであれば、都内で美味しい食事をし、美しいものを鑑賞して、新たなる人生の歓びを看取するしかない。
今日は以下の仮定法の文章に、自由な発想にもとづく結末をつけて、タイ作文をしなさい。
1. もしも激辛料理を食べすぎると、
2. もしも酒を呑みすぎると、
3. もしも冷房の部屋で長時間、寝すぎると、
4. もしも徹夜で働き続けると、
5. もしも無計画のまま浪費しすぎると、
6. もしも悲観的に考えすぎると、
語学学習に向いた人
昨日、仕事先でとても明るい性格の男性に出合った。私が発音するタイ語を、彼はすぐに物真似、いやもとい、口真似をし、タイ語に関心を示したのである。
最初は冷やかしで言っているのかなあと思ったが、そうではなかった。外国語の音を真似するのが、心底、好きそうであった。そういう方であれば、タイ語の学習にはとても向いている。
とにかく素直に、そして、すかさず発音するから、タイ語の声調がぶれる時間すらなかった。ちょうど子供が真似をする姿と同じだ。
その彼を見ながら、語学学習に向いた性格には、明るさと素直さが必要であることを久しぶりに認識しなおした。
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今日の宿題
タイ語作文
1. 日曜日といえども、宿題をやらなければならない。
2. 最近のタイ語作文は難しすぎるという生徒が多い。
3. コロナの影響で、親戚関係が疎遠になりつつある。
4. 職探しはしているが、条件が良い仕事はなかなか見つからない。
5. コロナが終息したら、人々の考え方はどのように変わっているであろうか?
創意工夫の料理
昨夜、姪の娘と一緒に近所のイタリア・レストランへ行った。客は我々2人だけ。シェフもスタッフも優しく応対してくださり、心がなごんだ。このコロナ禍における経営の厳しさをおくびにも出さず……。
私は「大三島のレモンとからすみのパスタ」を注文。これまでに食したことがない組み合わせだったから、珍しくて食が進んだ。
長梅雨で日照不足。この憂鬱さを吹き飛ばすには、楽しい食事をすることである。レストランで覚えた味をいつか自分で作ってみる。しかも創意工夫した組み合わせで頭も目も動かしてみることはいいことだ。
そのイタリア・レストランのオーナーはとても有名な女性である。食事が終わって帰ろうとすると、たまたま店にやって来られた彼女からほおずきをプレゼントされた。今年は浅草寺のほおずき市が中止されたので、思いもかけぬプレゼントに夏を感じた。