牛首紬

着物の一つに「牛首紬」がある。石川県白山市白峰地区で織られている紬だ。最初、名前を聞いて気味悪がったが、この地区の旧名が「牛首」であることに由来していることを知り安堵した。2018年10月、私は金沢から白川郷へ行く観光バスに乗った時、白山市を経由して行ったから、この辺りの地形が頭に残っている。
 あらためて歴史を調べてみると、平治の乱(1159年)に敗れた源氏の落人の妻女が、この山間部に於いて機織りを始めたことがわかった。耕地には向かない豪雪地帯に於いて、春から秋まで山小屋暮らしをして養蚕を生業としたらしい。そして、冬はせっせと機織りを…..。
 しかし、ここの蚕は独特で、2匹の蚕が共同で一つの繭をつくり、それが「玉繭」と呼ばれた。玉繭はものすごく強靭なため、日本の着物の中でも一番強い紬となった。普通の着物は釘にひっかけると破れてしまう。しかし、牛首紬は違った。反対に釘を引っこ抜くほど強かった。従って、別名を「釘抜紬」と言うそうである。
 結論:何も無い地は無い。悪条件の中から生業を見い出し、ひたすら励む。それこそが人生を紡ぐことだ。

「牛」の詩

高村光太郎の「牛」の詩に出合ったのは中学生の時。確か、国語の教科書にその詩の冒頭部分が紹介されていた。その時は何の共感も覚えなかった。身近に牛を見る機会が無かったからだ。というか、牛を馬鹿にしていた。いかにものろそうに見えたから。
 115行に及ぶ詩を全部、読み直した。なんと示唆に富んだ詩であろうか。この詩に共感を覚えるのに60年もかかったとは…..。しかし、コロナ禍で翻弄されることによって、この詩の深みに気がついた。

 牛ハノロノロト歩ク
 牛ハ野デモ山デモ道デモ川デモ
 自分ノ行キタイトコロヘハ
 マッスグニ行ク
 牛ハタダデハ飛バナイ、タダデハ躍ラナイ
 ガチリ、ガチリト
 牛ハ砂ヲ堀リ土ヲ堀リ石ヲハネトバシ
 ヤッパリ牛ハノロノロト歩ク
 牛ハ急グ事ヲシナイ

謹賀新年 2021

明けましておめでとうございます。。
本年も楽しく勉強しましょう!

 今年は「丑年」。そこで、牛の部首がつく漢字を調べてみると、そこそこ有った。普段、よく使い、見慣れた漢字は以下の通り。

1.「物」=無駄な買い物はやめて節約しよう。ただし、栄養のある食べ物を食すのは大切。

2.「特」=特別なことは狙わず、普通に思慮深く暮らそう。

3.「牧」=牧場で寝ころがりたい。遊牧民族のように移動してみたい。

4.「牡・牝」=牡牛も牝牛も頑張れ。高村光太郎の「牛」を読み返したい。

5.「犠牲」=災害や事故の犠牲者にはならないように要注意。いわんや、コロナをや。

今日の作文

タイ語に訳しなさい。

1.今日は大晦日。大晦日であれ、掃除後は平常心で勉強しよう!

2.勉強する時間が有るということは幸せなことである。

3.2021年も上手に時間配分して勉強し、何等かの成果を得たいものである。

4.いずれにせよ、勉強するには健康であることが望ましい。

5.健康を維持するためには、バランスのとれた食事と適宜な運動が必要である。

タイの少年

 毎年、クリスマス頃から年始明けまで、私のところにタイ人一家が泊まりに来ていた。しかし、さすがに今年は叶わなかった。
 おとなしいパパ、抜群のビジネス力を持つママ、そして、可愛い一人息子さんのいるこの一家は、私のところでその一年を終え、そして、私のところで新しい一年のスタートを切るのが習慣になっていた。
 昨夜、ママからラインが有った。“Merry X’mas”。それを見て、私は苦笑した。クリスマスはもう終わっているのに…..。タイ人は時間を気にしないから、「まあ、いいか。ไม่เป็นไร」 それだけかと思ったら、「息子が次のように言っている」という文面がすぐに続いた。
 น้องณรรชบ่นถึงบ้านอาจารย์ค่ะ ถามว่าตอนนี้เราต้องอยู่ที่ญี่ปุ่นที่บ้านอาจารย์โยแล้วใช่ไหม คิดถึงอาจารย์โย คิดถึงญี่ปุ่น ไม่รู้เมื่อไรจะได้มา

 これは生きたタイ語である。少年の頭の中では、「もうすでに今頃は日本に行っているはずなのに」という気持ちが、コロナに対する不満といらだちとなって点滅している。

鬼子母神裏の割烹

昨日、池袋のデパートへ歩いて行く途中、久しぶりに鬼子母神裏に在る割烹で昼食をとることにした。注文したのは「麦とろ定食 920円」。お膳いっぱいにたくさんの小鉢がついており、ひじきと大豆の炊き合わせもあった。鮪のぶつ、野菜のかき揚げ、そして、味噌汁には麩が浮いていた。とても体に良い食材ばかりで、「和」を感じた。
 料理が出て来るまで時間がかかった。そこで、その間、同じ部屋に居合わせた4組の客達を観察することにした。
1.大学院生らしき若者が二人、大学のことを喋っていた。近くには東京音楽大学が在る。音楽関係の学生だとすると、オンラインの授業はやりにくいだろうなと私は思った。一人がご飯をおかわり(無料)した。
2.若い母親が女の子(2歳くらい)とゆっくりご飯を食べている。喋るのが大好きな娘。母親はきちんと答える。すると、娘はさらに喋る。会話はこうでなくちゃと思いながら、私は二人を観察した。母親はご飯をおかわりした。
3.若い夫婦がスマホをいじりながら、料理を待っている。二人は黙っていた。食事が終わって部屋を出て行く時、女性のお腹が見えた。少しふくらんでいる。来年は元気な赤ちゃんを産んでほしい。
4.私の横のテーブルには、老夫婦が豪華な膳に箸をつけている。ご主人は耳が悪いようだ。だから奥さんは部屋中に響く声で話す。テーブルの真ん中の透明な仕切りなんか全く意味をなしていない。またまたステイホームをしろと政府や都知事が言っているが、あれでは家の中も危ない。

高円寺の書店

コロナ禍で閉店するところが加速しているのではないかと思い、ネットで「開店閉店」をチェックしてみた。すると、開店するところも有れば、閉店するところも有り、悲観的な見かたをしなくてもよいようだ。だが、大雑把な感触では、その比率は1対3。やはり多い、閉店数が。
 閉店する店の中に、「都丸書店」が入っていた。これにはびっくり。高円寺駅北口のすぐそばに在るこの書店は大晦日に閉店するそうだ。シャッターに貼られたお知らせの写真を見ると、「この地、高円寺にて、88年間、営業してまいりましたが….」と書いてある。嘘ではなかった。
 かつて高円寺のガード下には、たくさんの古本屋が在り、楽しみな場所であった。そして、いつしかそれらが消滅し、残るは都丸書店だけとなった。専門書の古書が、いろいろなジャンル毎に揃っていた。たくさん書いたかったが、買いすぎると重くて持てないので、数冊ずつ買った。ああ、高円寺に行く楽しみが無くなる….。

今日の翻訳

次なる文章を和訳しなさい。そして、文型を参考にしましょう。(出典=タイ国小学校5年生国語の教科書)

๑. การเลือกซื้อสินค้า เด็กๆควรพิจารณาอย่างรอบคอบ จะต้องเลือกซื้อสินค้าที่มีคุณภาพดี และราคาไม่แพงนัก

๒. ไม่เลือกซื้อสินค้าเพราะหลงเชื่อคำโฆษณา หรือขาดการพิจารณาไตร่ตรอง จะต้องเลือกซื้อสินค้าที่ไม่เกินฐานะและเกินความจำเป็น

๓. โดยเลือกซื้อสินค้าราคาไม่แพง แต่มีคุณภาพดีและใช้ได้นาน จึงจะได้ชื่อว่าเป็นผู้บริโภคที่ฉลาด

๔. การใช้สิ่งของเครื่องใช้อย่างคุ้มค่านั้น หลักสำคัญก็คือ ต้องใช้อย่างถูกวิธีและรู้จักถนอมของใช้

๕. หมั่นตรวจตราดูแลรักษาสิ่งของเครื่องใช้ไม่ให้สูญหายหรือชำรุด

๖. หากสิ่งของเครื่องใช้ชำรุดเสียหายก็ต้องซ่อมแซม

๗. การใช้สิ่งของเครื่องใช้ต่างๆ เมื่อเลิกใช้แล้ว จะต่องทำความสะอาดและจัดเก็บให้เข้าที่เข้าทางเป็นระเบียบเรียบร้อย

๘. ดังคำที่กล่าวว่า “หยิบก็ง่าย หายก็รู้ ดูก็งามตา”

インド洋津波から16年

今朝、NHKのニュースで、2004年12月26日にインド洋津波で被害をこうむったパンガー県の現在の様子が伝えられた。16年前に津波を体験した小学校教師が子供達に津波の際の逃げ方を訓練しているのを見て、その若い教師の熱意がひしひしと伝わって来た。
 だが、いかんせん、子供達は津波を知らない。海岸の木にロープを結んで、ブランコ遊びをしている景色はくったくなくて可愛い。
 災害はいつ襲って来るかわからない。場所も選ばない。災害に遭遇するということは、願わくば有ってはほしくないが、もはや運命だ。日頃からの訓練や心構えで、非常事態に対処するしかない。
 一方、コロナは日常化し始めている。延々と自粛生活を強いられるのは楽しくない。自分で愉しみをみつけないと、生きる力が湧いて来ない。「自粛」という暗い言葉を、「自愉」に変えて、プラス思考で過ごしたいものだ。

土佐の言葉

『歴史を紀行する』(司馬遼太郎 文春文庫 1976年)の中に、「竜馬と酒と黒潮と(高知)」という章が最初に出てくる。土佐の古名は、『古事記』の中では[建依別(たけよりわけ)の国]と書かれているということを初めて知った。この命名の由来には、「剽悍でたけだけしいひとびとの棲む地帯という印象がすでにあったのであろう」と司馬氏は評している。
 さて、土佐の言葉であるが、本居宣長の『玉勝間』の中には、土佐人の発音の正確さについてほめて書かれているとのこと。これまた驚きだ。土佐の人は、水を<midu>と発音し、<づ>と、<ず>の違いができるそうだ。<ぢ>と、<じ>の違いもできるとのこと。
 「維新後、奥州会津の小学校で発音矯正教育がおこなわれたとき、その教師は東京から呼ばれず、僻地の土佐からよばれたという。こういうことから考えても土佐弁の明快さは世間の常識になっていたのであろうし、幕末の土佐系志士たちが田舎からいきなり政論の中央舞台に出ておめず臆せずに罷り通りえたのも、また維新後自由民権運動の中心的存在になり、荘士たちが各地を演説してまわれたのも、こういうことがかれらを大きく力づけているようにおもわれる。東北人にとって生涯つきまとう自己差別の意識から、土佐人は最初からあかるく開放されていたのである」
 引用が長くなったが、我々も明確に発音することをこころがけ、相手に伝わりやすい発声をしよう。