紹興酒の「女児紅」

昨夜、神田須田町に在る上海料理店へ行った。連れて行って下さったのは、湯島聖堂の前で、「ダブルエイジア・パニック」というアジアとアフリカの雑貨店を営業しておられるY子さん。
 彼女は常連なので、中国人店主との会話がポンポンはずむ。私もついつい会話に惹き込まれてしまった。
 Y子さんは紹興酒をボトル・キープしておられた。その紹興酒の名前は「女児紅」。店主の説明によると、女の子が生まれると、紹興酒を造り、それを土中に埋めておき、その女児がお嫁に行く時にお祝い酒として飲む習慣があることから名付けられた紹興酒だそうだ。長く地中に埋めて置かれた酒は大変に香りが良い酒に仕上がっているとのこと。
 我々が昨夜飲んだ「女児紅」は、希少な15年ものであった。昔の中国では、女の子は13歳でお嫁さんになったそうである。

英会話を習っているデパート店員

 アメリカから遊びに来ている親戚は今日、離日する。昨日、買物につきあった。デパートは高いが、品物が揃っているので、短時間で気に入ったものを選ぶには便利だ。
 親戚達の英語を聞いて、店員も片言英語で応じてきた。そして、言った。
 「あら、発音がちがいますね。本当の英語だわ」
 そこで私はすかさず応じた。「ネイティブの英語ですから」
 彼女は目下、英会話教室に通っているとのこと。しゃべる機会ができたわけだから、大いにしゃべればいいのにと思ったが、恥ずかしそうにしていた。
 外国語を習っている場合、文法的な質問は後回しにして、「話す」ということに集中したほうがいい。そして、恥ずかしさをかなぐり捨てて、しゃべればいいと思う。だが、日本人はその壁がなかなか突きやぶれない。
 いずれにせよ、デパートの店員さんは明るい女性であった。おそらく、きっと、彼女は英会話の勉強にますます精進することであろう。

『ホテルからアジアが見える』という本

昨日、午後から全く自由な時間ができたので、早稲田の古本屋街へ出かけた。買った本は3冊。その中の1冊が、『ホテルからアジアが見える』(青木保・編著、海竜社 2001年)だ。青木保氏の次なる文章が気に入った。
 「時の移り変わりはホテルにおよぶ。ときを超えるホテルというものは、例外はあってもアジアでは存在するのがむずかしい。あまりにも変化が激しいからだ。また生活文化にも持続性が乏しい。ホテル資源の豊かなバンコクであるが、これらの課題の最たるものは文化の深みをどのように感じさせるかにあると思う。これはタイ社会全体の問題であるといってもよいであろう」
 青木氏は1965年に初めてタイへ行かれたようだが、彼は「ホーテン・チン(シナ宿)」のことにも言及しておられる。私が1972年からタイ語を教え始めた頃は、ホテルのことを、「ローングレェ-ム」以外に、「ホーテン」とも教えていたので、とても懐かしい感じを覚えた。
 いずれにせよ、私にとってのバンコクのホテルは昔のエラワン・ホテルだ。そして、現在、サイアム・パラゴンになっている場所に建っていたインターコンチネンタル・ホテルが思い出深い。低層階で、孔雀が羽根を広げたみたい。庭が広かった。日本のビジネスマン達にとって、ODAのビッグなプロジェクトを獲得するためには、このホテルに宿泊し、朝、このホテルから出発するのが吉祥願いの願かけであった。

ワサナ先生のタイ料理教室

昨日、生徒さんの邸宅で「ワサナ先生のタイ料理教室」が開催された。エプロン持参で張り切って出かけたが、到着してみると、もうほとんどの料理が並べられていた。
 料理名とデザート名を列挙すると、① ชนมปังหน้าหมู ② ยำมะเขือ ③ ปอเปี๊ยะญวนนึ่ง ④ สเต็กลาว ⑤ ซุปบ๊วย ⑥ วุ้นกะทิ
 参加者が中年・高齢者であったため、激辛ではなくて、上品な味付けになっていた。これなら胃腸にやさしいので、いついつまでもタイ料理を楽しめそうだ。
 84歳の方がおっしゃられた。「私はもうそんなにいただけません。お金も時間もたっぷり有るのに、病気なので旅行には行けません。皆さん、借金をしてでもいいですから、若い時に、どこへでも行ってらっしゃい」
 なるほど、そうかもしれない。私の隣りに座ってらしたその方は、そうおっしゃりながら、結構、タイ料理を楽しんでおられた。たくさんの女性達に囲まれて、きっと楽しかったに違いない。

タイ語はマイナー言語?

今年のタイ・フェスティバルも大盛況であったようだ。そのタイフェスに、郡山在住の元生徒T氏がやって来られたということで、泰日文化倶楽部にも寄ってくださった。3年ぶりの再会であった。
 昨日、その彼から礼状のメールが届いた。語学好きの彼はいろいろな言語に挑戦されたことがあるが、今は中国語を学んでおられるそうだ。耳も慣れてきて、かなりわかるようになっているとのこと。
 彼は私の教室運営に関する苦労話に同調してくださったようで、メールの一部にはこう書いてあった。
 「特にマイナーな言語は学習者が少ないので、教室の運営がより大変だと思います。生徒さんも少なくて、長続きしないのかもしれませんが、マイナー言語だからこそ勉強する価値があると思うのですが…..」
 使用人数が多い言語をメジャー言語、少ない言語をマイナー言語とするならば、タイ語は確かに後者に属する。
 しかし、最近はテレビのニュースでもタイ語を聞くことが多くなった。昨夜のクーデターは、トップで報じられた。タイ語の音に緊張感を覚えた。

タイ料理のレシピの勉強

昨日の午後、久しぶりにマダムTが個人レッスンを受けに来られた。
「今日は何の勉強を希望されますか?」と伺うと、「ワサナ先生が明日から来日されて、いつものようにタイ料理の講習会を開きます。ですから、タイ料理のレシピを勉強したいです。そして、数字の復習をしたいと思っております」と、彼女はすかさず答えた。
 そこで彼女が持参されたレシピのタイ語訳が始まった。ココナツミルク150cc、大さじ2杯、小さじ1杯、きゅうり1本、玉ねぎ1個、唐辛子2本、パックチー2本….。
 タイ語には類別詞がいっぱい有り、材料や形状によって数え方が変わるので、いちいち覚えるのは大変である。だが、女性の生徒さんなら楽しんで勉強してくださるような気がする。
 4年位前までは、泰日文化倶楽部で「ワンコインのタイ料理教室」を開講していた。タイ人講師が書いた絵入りレシピはとても可愛かったので、今もちゃんと取っておいてある。

中国人留学生の見学

昨晩、「タイ語入門 火曜日19:00」のクラスには、女性の見学者が来る予定であった。しかし、19時10分を過ぎてもその方は現れない。先週、メール予約が入っていたが、結局、キャンセルになったため、ああ、今週も同じだなあと思い、806号教室で行われている「タイ語初級」のクラスの様子を見に行った。
 そして、再び、「タイ語入門」のクラスに戻ると、知らない女性が座っていた。私はてっきり予約の女性だと思って話しかけたところ、ちがっていた。聞いてみると、中国人だと言う。突然、見学に来たらしい。
 授業中、及び、授業後、少しだけ話をすると、19歳の女子留学生であった。タイのドラマが好きで、中国語の字幕無しで理解できるようになりたいそうだ。日本語はすでに上手であった。高校3年の時から勉強しているとのこと。
 「私、毎日、ここに通って来て、タイ語を勉強したいんです」 彼女のその熱き思いに私は気圧されそうであった。
 「途中から入会しても、没問題(メイ ウェンティ)」と言うと、彼女がほめてくれた。「中国人よりもきれいな発音です!」
 私は彼女の名前を漢字とピンインで書いてもらった。そして、発音すると、「完璧です」と、またしてもほめる彼女。6月から入会するそうだ。

未来予想図

 マンション管理会社が配布する生活情報誌の最新号は、「未来予想図のススメ」というものであった。一体、どんなものであろうかと興味を覚えてページを開く。だが、それはモデル家族の一生に関するライフサイクルであった。
 縦軸に、①ご夫婦の未来、②お子さまの未来、③住まいの未来が書かれており、横軸には、取り上げるべき課題として、①お子さまの教育、②お子さまの教育資金、③住宅の補修費用、④リフォームの希望と資金、⑤保険の内容チェック、⑥ご夫婦のシニアライフの夢、⑦ご両親の介護と相続、⑧シニアライフへの準備、⑨ご夫婦の終活、が列挙されている。
 こういう発想は、家族を持っている人を対象にしているから、結婚をしていない人間にはほとんど関係が無い。絵に描いたような家族生活を一生、営み続けることができる人は幸せかもしれないが、なんだか、マンション会社や保険会社に踊らされて生きているような気がしないでもない。
 きちんとした人生計画のもと、死ぬまで完璧さを求めて自分、及び、家族を律するならば、無味乾燥で、なんとつまらないことか。そこに小説は生まれない。
 

歌舞伎見物

アメリカから親戚が来日している。歌舞伎を見たいということで、私も久しぶりに歌舞伎見物をした。新しく建て替えられた歌舞伎座は初めてであった。新しすぎてすべてがピカピカ。花道などは、昔のほうが味わいがあったように思うが、これから数十年先になると、役者達のいろいろな汗やにおいが浸み込んで、いい味わいを醸し出していくにちがいない。
 印象に残った演目は、黙阿弥の「幡随長兵衛」。昔から、「幡随院長兵衛」という名前が耳に残っているが、本物の舞台を見ると、ものすごく印象に残る芝居であった。いわゆる世話物という部類に入るものだが、わずか1時間足らずの芝居の中に、男の生きざまが描き込まれており、まことに印象的であった。
 幕末明治期に活躍した黙阿弥(1816-1893)。360もの芝居を書いたそうだから、日本のシェークスピアだ。ネットで調べると、彼は65歳の時に、時代風潮に適合できない自分を感じ取り、「元の黙阿弥」という意味で、「黙阿弥」と改名したそうである。それでも77歳で亡くなるまでに作品を書き続けたそうだから、江戸の人間達の生活の機微がよくわかってすばらしい。
 これからは時間を見つけて、歌舞伎見物をしよう。芝居は最高!

ブログ、13年目に入りました!

私のブログは、今日から13年目に入ります! 2002年5月19日から、海外旅行、国内旅行、そして、仕事の関係で書けなかった時を除き、毎日、心して書いて来ました。丁度、干支の12年が1周したことになります。
 元来、書くことは好きです。まだまだ書いていきますよ。書くことは、自分に<喝>を与えることでもありますから。
 先日、或るクラスを代講すると、生徒達がタイ語で作文を書いて来ていました。一人一人に音読してもらいましたが、なんとまあ退屈な文章ばかり….。
 私ははっきりと言いました。「タイ語の文章を書く以前に、文章の構成力に問題が有ります。日本語の文章がまとまっていないまま、それをタイ語に訳しても、決していい文章になるはずがありません。皆さん、せめて、起承転結だけはきちんと考えて書いてください」、と。
 すると、平均年齢70歳位の生徒達3名は、まるで分教場で学ぶ小学生の如く、私の注意事項を素直に聞き入れてくれました。
 外国語の学習もいいけれど、最後はやはり、日本語力です。つくづく、そう思います。