最近、招き猫を求めて、都内を歩いている。十条で見つけた染付の招き猫が珍しかったが4千5百円だったので、買うのを保留にした。そして、浅草橋の骨董屋に行くと、貴婦人のような招き猫が有ったが、2万5千円だったので、鑑賞するだけにとどめた。
谷中に猫グッズ屋さんが有るのを思い出したので、さっそく行ってみた。すると、「開店5周年」と書いていたので、店主にお祝いの言葉を述べて、しばらく雑談した。
すると、なんだか騒々しい。店主がその理由を教えてくれた。
「この猫は人の言葉の真似をするんですよ。ほら、あたし達の言葉が聞こえるでしょ」
そう言われてみると、騒々しい音の中に、私の話す言葉がエコーのように聞こえてきた。あらあら、物真似が実にうまい。
それを買って、泰日文化倶楽部の生徒さんにプレゼントしたくなった。自分が発音するタイ語を猫の物真似からもう一度聞き返してみるのも一興だ。
生花 と ミャンマー人のお手伝いさん
昨日、泰日文化倶楽部に於いて、「第92回 アジア女性のための生け花教室」が開催された。残念ながら、外国人の参加は一人も無く、日本人女性だけで、皆それぞれに生けた。用意された花は
角葉アカシア+ガーベラ+レースフラワー。先生のご指導のもと、とても可愛らしく生けることができた。
参加者のお一人にHさんという方がおられるが、彼女の御主人はここ数年、ヤンゴンで日本語教師として、楽しくお過ごしだそうだ。
昨日、そのHさんから伺ったところによると、御主人のアパートにやって来られるお手伝いさんは、毎朝、生まの花をたずさえてやって来て、花瓶に生けてくださるそうである。ミャンマーの女性がいかに花を愛しているかが、この話から一目瞭然だ。毎日、生まのお花を取り換えて、新鮮な空気を取り込むということは、何と素敵なことか!
男性といえども、そのような扱いを受けると、ずっとヤンゴンでいたくなること間違い無し。
タイ国王陛下 祝87歳
今日12月5日はタイ国王陛下の御誕生日であらせられる。
今朝、会ったタイ人に向かって、「今日はナショナル・デーですね」と話しかけると、彼はすかさずこう言った。
「ワン・ポー วันพ่อ 父の日 ですよ」
その言葉の響きに、タイ人は国王のことを、本当に「国父」として敬愛しているのがよくわかった。
1946年6月9日、ラーマ9世として即位されたプーミポン国王陛下は在位68年になられる。即位60周年記念行事が行われた時、エメラルド寺院の傍の沿道で、国王陛下がお通りあそばされるのを私は拝見したが、あれからもう8年が経過したことになる。
どうか、これからも永久(とわ)に御長寿であれかしとお祈り申し上げる次第である。
ทรงพระเจริญ ทรงพระเจริญ ทรงพระเจริญ
民俗学者 宮本常一氏 と 私の実家
先週、新宿西口地下広場で開催された古書市で、『宮本常一 生誕100年記念 <忘れられた日本人>を訪ねて』(別冊太陽 148号 平凡社 2007年)を購入した。理由は、どうしても調べたいことがあったからだ。
それは、『私の日本地図 瀬戸内海 Ⅳ 備讃の瀬戸付近』(宮本常一著 同友館 昭和48年)に、私の実家が写真入りで紹介されていたので、一体いつ、彼は私の実家の写真を撮ったのかを調べたいと、かねがね思っていた。
前出の本には彼の日本全国の調査記録が詳しくまとめられており、彼が塩飽諸島(丸亀市[本島、牛島、手島])に調査に来たのが、昭和46年(1971年)4~5月であることが判明した。長年、気になっていたことが解消されて、とてもうれしかった。
私の実家は旅館をしていたので、おそらく宮本氏は宿泊したに違いない。そう思いたい。宿帳を見ればいいのだが、実家の解体と共に、すべてを廃棄したから、今は何もない。いずれにせよ、調べものをすることは、なかなか面白いものだ。
ラーメンケーキ と S子さん
一昨日、「タイ語入門 月曜日19:30」のクラスに、S子さんがケーキの箱をたずさえて来られた。そして、トン講師に向かって、こう言った。
「先生、少し遅くなりましたが、お誕生日、おめでとうございます。はい、これ、ラーメンです!」
しかし、何故、彼女がラーメンというのか、どうしても解せなかった。ケーキ箱の中にインスタントのラーメンを詰めて来ているのかと思った。だが、中を見ると、本当にラーメンであった。
「あら、本当にラーメンだわ!」、思わず叫ぶ私。
S子さんが説明してくださった。「ラーメンに見立てたケーキですよ」
私はラーメンケーキを考案した菓子職人のすばらしいアイディアに感嘆した。そして、S子さんの優しさにも打たれた。彼女は私にも何かにつけて心づかいをしてくださるのでいつも深謝しているが、タイ人講師にも優しい姿を見て、とてもすばらしい生徒さんだと感心している。
会話が上手になる方法のひとつ
新聞を読もうと思って、行きつけの喫茶店に行った。中央の大きなテーブルに座った。すると、すぐ近くに老人と若い女性が会話をしていた。新聞を読むよりも、二人の会話を聞くほうが面白くなったので、ずっと聞いてみることにした。
女性は中国人であった。日本語がうまい。口が重い老人の口を、彼女の話術でどんどん開かせていく。
「来週、郷里で同窓会があるんだ」
「郷里はどこ? 私、車で連れて行ってあげるよ」
「宮城だ。福島の先だ」
「秋田よりもむこう? 連れて行ってあげる」
老人の淋しさをくすぐるのが実にうまい。明日も会う約束をしていた。
老人はひまだから、老人をさがして老人とおしゃべりすれば、日本語がどんどん上手になる。
彼女は髑髏の絵がたくさん入った服を着ていた。バッグの模様も髑髏。それを見て、空おそろしくなった。
100人いれば100通りあり
チェーン店のカフェにはもう飽きた。最近は、本格的な喫茶店でコーヒーを飲むことにしている。そのほうが時間が豊かに感じられる。
雑誌『BRUTUS』(2014年6月15日号)には「喫茶店のAtoZ」というテーマが特集されており、日本全国のこれはという喫茶店が紹介されている。いやもう知らない喫茶店ばかり。
南青山で、27歳から65歳までの38年間、喫茶店をやっておられたという大坊勝次氏の言葉が気に入った。
「コーヒーを作る人が100人いれば100通りの作り方がある。で、飲む人が100人いれば100通りの飲み方があり、当然店も100通りの店のやり方がある」
この言葉をタイ語の勉強にも転用させていただくとするならば……
「タイ語を教える人が100人いれば100通りの教え方がある。で、習う人が100いれば100通りの習い方があり、当然、教室も100通りの教室のやり方がある」
オーストラリア女子留学生の感想
今年はオーストラリアから来た女子学生がタイ語を習っている。彼女に尋ねてみた。
「あなたの眼に東京はどのように映っていますか?」
彼女は短く答えた。
「忙しいところです」
それを聞いて、タイ語に訳すとするならば、どう言えばいいのかと考えてみた。単純に「東京はとても忙しい โตเกียวยุ่งมาก」と訳したところで、そんなに忙しくしていないタイ人には通じないであろう。
今日から12月。師走だ。何が忙しいのかわからないまま、時間が過ぎている。特に東京は….。ああ、忙しい都市だ。
2015年まであと31日。自省の時間を確保したい。
赤ちゃん と 携帯電話
都電鬼子母神駅の近くにメロンパン屋が開店したのは先月。店の前にはいつも行列ができている。そこで、昨日、私も並んでみた。
私の後ろに並んでいる人は6ヶ月くらいの赤ちゃんをだっこしたお母さん。何やらさかんに携帯で話しまくっている。それを聞いている赤ちゃん。
その光景を見ながら、これからの赤ちゃんの言語感覚を想像してみた。昔の赤ちゃんは母親の背中にくくりつけられ、すやすやと眠っているのが普通だった。だが、現代….は。母親の胸元でいながら母親の話しをよく聞いている。口の開け方もよくわかるであろう。
かつて、次なる話を聞いたことがある。或る母親が子供にテープを聞かせてばかりいたところ、4歳まで話すことができず、失語症になったことを。
昨日、見た赤ちゃんにはそのような心配はいらないであろう。しかし、携帯で友人と話しまくっている母親には少しばかり気になった。
実の母娘の会話
郷里の友人から訃報が届いたので、何度か電話をした。しかし、彼女はなかなか電話をとってくれない。昨日、やっと通じた。
「旅行にでも行ってたの?」
彼女は答えた。「91歳になる母が近くに住んでいるので、ときどきおかずを届けてるのよ」
そして、彼女はさらに続けた。「母はひとり暮らしが一番と言って、絶対に同居しようとしないの。おかずを届けても、あなたがつくったおかずの味、いまいちだから、自分で味をつけなおしたわ。あんな料理を食べてるご主人、かわいそう。と、母は言うの」
それを聞いて、実の母娘だから成立する会話だと思った。お嫁さんなら、そんなこと言われたらもう絶対におかずを届けないであろう。
いずれにせよ、彼女のお母様はとびきりの美人であったそうだ。しかし、それは昔の話。今は口が冴えている。長生きするなら、息子や娘に毒舌を吐くにかぎる。