今年3月からタイ人のP氏に日本語を教えているが、先週の土曜日、第14回目の授業が実施された。私の授業方針は、P氏にとにかくしゃべらせることを第一としている。しゃべる自信をつけさせるためである。したがって、テキストはあくまでも補助教材だ。
この間、P氏がぼやいた。「なかなか覚えられません」
そこで、私は「覚える」という漢字を白板に書き、「覚えるという漢字の中に、<見る>という漢字が入っているでしょ。日本に住んでいるのですから、たくさんのものを見て、頭の中にしっかりと焼き付けていってください」
そして、「百聞は一見にしかず」という格言(สุภาษิต)を教えてあげた。
すると、彼はすぐ理解し、タイ語で言った。「สิบปากว่าไม่เท่าตาเห็น」(直訳は、10の口は目で見ることにあたらない → 10人の人から聞いても、自分の目で直接、見るほうがはるかによい)
英語では”One eyewitness is better than many hearsays”だ。とにもかくにも、〝Seeing is believing”の態度をもって、五感を働かせながら、単語や表現を叩き込む訓練をしよう!
お遍路ブーム
最近、四国遍路ブームだそうだ。2ヶ月前の番組でNHKが「お遍路で自分探しをする若者」を特集していた。日本全国から四国に来ることは歓迎する。自分探しをする若者も良し。定年後の生き方を求めてお遍路さんをする初老の人もまた良し。
番組ではゲストとして或る札所の御住職が遍路に関して解説した。そして、もう一人のゲストである心理学者の女性教授が若者達の心を分析した。それを聞いていて、「お遍路さんのことを分析してもつまらん」と、私はすかさず思った。
何故、そのように言い切るかというと、私が生まれ育った環境による。幼い時から真言宗の中で育ち、弘法大師は<お大師さん>と親しく呼んでいた。お遍路の話は日常茶飯事であった。
私の家は宿屋をしていた。親の話によると、開業して最初に泊まった客が、なんと、泥棒であったそうだ。そのことは警察からの知らせでわかったとのこと。
そして、第2番目の客がお遍路さん。「お世話になりました」と言って出て行った客が、しばらくすると戻ってきたそうだ。「何か忘れものでも?」と親が尋ねると、彼はこう答えた。「先ほど脱いだスリッパの向きを、次の客人のために、きちんとそろえておくのを忘れました」
彼は自分の行状に徹底した人物であった。お遍路ギャルやら、外国人遍路やら、いろいろなお遍路ブームが軽々につくられているようだが、遍路とは、自分の一挙手一投足と共にあるのである。
古書店 と 三婆
昨日、所用で練馬へ出かけた。練馬駅内の柱に「一信堂書店」という大きな宣伝が目にとまったので、用事が終わった後、覗いてみることにした。
入口傍に老婦人がどっかりと座って店番をしていた。店は古本屋と古書店の中間くらいの雰囲気を醸し出していた。客は全く入っていなかった。
初めて入った店なので、全部の本を一通り見わたし、本を物色。すると、一人の女性客がいつのまにかいた。ものすごく小柄な老婆であった。老婆という言葉は失礼だが、腰がかなり曲がり始めていた。天井に近い上のほうの書棚は彼女の目には到底、見えそうにもない。
だが、彼女は熱心に古本漁りをしていた。私も内心、負けてはいられないと、自分を鼓舞した。
腰の曲がった彼女が先に本を古書店の女主人に差し出した。そのあとに続く私….。
古書店の店番もなかなか面白そうな仕事だ。座っているだけで、知らず知らずのうちに知的になれそうだから。購入する本によって、客人の知的レベルを見透かすこともできる。
昨日、東京は暑かった。古書店での三婆(女主人、腰の曲がった老女、そして、私)の戦いも熱かった。
目白新聞
目白駅構内に「目白新聞 第12号特別号 7月14日」(発行:目白新聞発行委員会)が置かれてあったので、1部いただいた。
一面のトップ見出しは、<目白駅からの名所めぐり>。そして、紙面左上には、小見出しで、<花子とアン ゆかりの白蓮のいた街>と書いてある。モデルとなっている柳原白蓮は、大正天皇の生母を叔母に持つということだから、現天皇家とも血のつながりがあるということだ。
白蓮の家は目白駅から北西に歩いて徒歩10分。住所は西池袋だが、目白駅のほうが近い。白蓮の娘さんは88歳。御健在である。
NHKの朝のドラマがヒットすると、御当地を見ようと観光客が増える。嬉しくもあるが、そっとしておいてほしいとも思う。
ところで、この「目白新聞」の一面下に、<駅長日記>というコラムがある。今年の6月から駅長になった女性が自己紹介をしておられるが、「生まれは香川県丸亀市で、小学校まで丸亀市で育ちました」と書いてあった。いや、びっくり。同郷ではないか!
前の駅長も女性であったが、またしても目白は女性の駅長だ。今度、駅でお見かけしたら、是非とも声をかけさせていただこう。
留学生のタイ人講師達
泰日文化倶楽部では、現在、4名のタイ人主婦と4名のタイ人留学生がタイ語を教えている。今日は4名のタイ人留学生達の近況をご紹介したい。
①アイス先生=愛称の由来はアイスクリーム。おそらく彼女のお母様がアイスクリームが大好きだから、そのように命名されたのであろう。アイス先生はすでに夏休みをとって、目下、タイに帰省中。泰日文化倶楽部では、ここ10数年、東京医科歯科大学に留学しているタイ人にお願いしてタイ語を教えに来ていただいている。彼女も歯医者さんの卵だ。非常に理論的な頭脳の持ち主だから、男性の生徒達の評判はすこぶるいい。
②ペー先生=愛称の由来はフランス語のプペー(人形)から。バンコクに在るアジアホテルの創始者のお孫さんだ。東京海洋大学で研究を続けておられるが、今年は博士論文をまとめなくてはならないので、とても忙しそう。泰日文化倶楽部では、東京海洋大学のタイ人留学生にも長年にわたり講義を依頼している。理科系の学生はさっぱりしていて非常にいい。
③アン先生=愛称の由来は、英語の<earn 稼ぐ>。「日本人の皆さんは発音できません。ですから、アンと呼んでください」と、彼女はいう。日本のアニメーションが大好きなので、アニメーションの専門学校に通っている。昨晩、電話が有った。「就活をするので、9月まで休ませてください」、と。
④トン先生=愛称の意味は、「木」ではなくて、「元」。万事の元、始まりという意味だ。泰日文化倶楽部で唯一の男性講師である。タイでは英語教師も経験したことがあるとのことで、授業態度には熱いものが感じとれる。外資系の会社を休職して、今年4月に来日し、目下、日本語を勉強中。主に「タイ語入門」を担当していただいている。彼は8月中も授業を担当してくださるとのことなので、一安心だ。
タイの大学に留学する女子学生
昨日、上智大学で期末試験を実施した。書き終わった答案用紙を持って私のところに提出してくる学生一人一人に、私は声をかけた。「夏休みはどこへ行きますか?」、と。
ブラジルへ行く学生もいれば、スペインへ行く学生もいた。カンボジアへボランティア活動で行くという学生は今度が2度目だそうだ。
もちろん、国内旅行をする学生もいた。W子さんは沖縄出身のS子さんについて、沖縄へ遊びに行くとのこと。
そして、一番驚いたことがあった。それは、受講生22名のうち、4名の女子学生がチュラ大やタマサート大に留学すると聞いた時だ。これまでは年間1名くらいであったのに、4名とは!
今年から上智大学の交換留学生制度が充実し、非常に条件がよくなったので、希望者がたくさん出たようだ。
彼女たちはいずれも優秀である。タイ語はもちろんのこと、タイ事情や文化を会得するのは早いであろう。
国際弁護士
一昨日、或る食事会に参加した。その家の御主人は鮨職人。あいにく御主人は鮨屋の仕事があったため不在であった。しかし、奥様の話によると、彼は朝から魚市場に行ってとびきり新鮮な魚を仕入れ、刺身と鉄火巻きをつくっておいたとのこと。
ところでその食事会に、一人のアメリカ人が加わっていた。私はたまたま彼の隣りに座ったものだから、彼の日本語が一語一語、よく聞こえた。完璧であった。どうしてそんなに完璧なのか、感嘆しながら、その理由を考えてみた。
彼の職業は国際弁護士だそうだ。日本に来て14年。鉄火巻きよりも納豆巻きが大好きな44歳。やはり弁護士だから、言葉に対する食らいつきが一般人とは大いに異なる。文章の組み立ても非常に理論的であった。日本語を相当に勉強したのであろう。
食事中に、その弁護士さんの奥様から電話が入った。どうやら4歳になる坊やがパパと話をしたいらしい。息子と話す彼の日本語が非常に丁寧すぎて、私としては少々、おかしく感じられた。
いずれにせよ、外国語を習う場合は、意識と努力で、レベルを上げていく必要があることを国際弁護士から学んだ。
日本語をレベルアップしたい台湾青年
去年10月からタイ語の個人レッスンを受講している台湾青年は、最近、仕事が忙しそうだ。だが、それでもなんとか時間をみつけてはタイ語の勉強に来ている。『タイ語入門』の本が終わったので、一昨日から2冊目の本である『タイ語初級』に入った。
彼は自分で勉強するタイプだから、全く手間がかからない。「私は自分で単語を読みます。発音を直してください」という彼。『タイ語初級』の本は文型練習がすべてタイ文字に切り替わっているが、勘がいい彼はもう読めた。音がよく頭に入っているからである。
語学の勉強が大好きな彼。日本語も上手である。ところが、彼は言った。「日本語がもっと上手になりたいのです」、と。
私は答えた。「そうですね。あなたの日本語は理解できますが、まだ難解な言葉は知らないようですね。日常会話ではなくて、さらにその上を極めてください」
会社に勤めていると、静かに仕事をするだけで一日が終わる。日本語を磨く時間も機会も無い。
私は提案した。「あなたがタイ語を習いにみえた時に、20分ほど追加して、日本語を教えてさしあげます。是非ともレベルアップしてください」
高校生、タイへ留学
今年の4月から昨日まで、「タイ語入門 土曜日12:30」のクラスで勉強していたK君が、昨日をもって退会し、いよいよタイの高校へ交換留学することになった。出発は2週間後である。
学校の関係で、彼はいつも30分ばかり遅れて来ていたので、タイ人講師の授業が終わった後、私がその30分、補講をおこなってきた。
彼は17歳。若いから発音もいいし、覚えも早かった。タイ文字も読めるようになったから、全く問題なし。
タイ人講師が言った。「あなたが留学する高校は有名ですよ。男子校なのでゲイがいっぱい」 それはよく聞く話なので、私も「さわられないようにね」と、つまらない助言をした。
いずれにせよ、吸収力の旺盛な時期にタイへ留学することは貴重な体験である。以前にもタイへ留学する女子高生の面倒を見たことがあるが、その彼女は帰国後、大学に進学し、今は社会人として、アイディアあふれる仕事をしている。
K君の今後が楽しみだ。なお、彼がホームステイする家の高校生が、反対に日本に留学して来るそうだ。これぞまさしく交換留学なり!
木目込み人形師
昨日の午後、高田馬場駅から西に向かって早稲田通りを散歩した。小滝橋まで行って引き返したが、途中、閉店したとばかり思っていた毛糸屋がいつもながらに店を開けていた。中に入ってみたところ、おばさんではなくて、おじさんが店番をしていた。前回もそこでレース編みのベストを買ったことがあるので、今回も何か買おうと思った。
店主は不愛想に言った。「うちは新しい糸の宣伝をするために作品を展示していますから、編んだものを売る目的で飾っているわけではありません」
しかし、2坪ほどの狭いところで御商売を持続させるということは、並大抵の精神力が無いとそうは続くはずがない。店内を見渡すと、毛糸が半分を占めていたが、あと半分は木目込み人形の原型がたくさん置かれていた。
「木目込み人形ですか。素敵ですね。お作りになられるのですか」と私が尋ねると、店主はさきほどとはうって変わって、ものすごく乗ってきた。そして、ある一つの人形を箱から大事そうに出してきた。
「この着物の布はどうしても使ってくださいと頼まれたものです」と言いながら、人形の顔を覆っていた紙をとると、初老の女性が現れた。小太りの人形だったので、まるで私かと思った。
俳優になってもいいくらいの風貌を持った店主は木目込み人形師であった。仕事に対する愛着が彼から感じ取れた。