客の出入り・生徒の出入り

昨日、久々にマッサージへ行った。ほんの2~3分待っただけですぐに施術してもらった。中国人の若い男性が担当。中国人女性が担当してくれる場合は、施術後、中国語の単語を1語、必ず教えてもらうことにしている。そして、「発音がいい」と褒められるのを喜びとして店を出る。店は予約でいっぱい。
 次に蕎麦屋へ行った。夕方5時過ぎなので店は混んではいなかったが、一人出ると、次にまた誰かが入って来る。若者は絶対に来ない蕎麦屋。中年以上の客だけがこの店の存在を認めている。
 さらに和菓子店にも寄った。90歳位のおばあさんが店主と話していた。私は「やすべえまんじゅう」を買った。堀部安兵衛の「高田馬場の決闘」に因んだ菓子だ。ここの店も古い。常連客がいるのであろう。
 商売はお客さんがひっきりなしに来てくれないと続かない。おかげさまで泰日文化倶楽部もどうにかこうにか続いている。一人やめるとすぐに一人が入って来る。しかもやめた生徒の名字と同じ名字の方が入会することがある。いや実に不思議。

本の棚卸し

今日は元教え子(上智大学生)が泰日文化倶楽部にやって来ることになっている。私が大学へ出講の折り、タイシルクの洋服を着て行くことが多かったものだから、彼女は私に「タイの服飾史」について質問が有るとのこと。おそらく卒論を書くための参考にしたいのであろう。
 そこで、私は昨日、自宅の本棚を点検し、彼女にとって参考になる本を用意した。本当はたくさん有るが、全部を教室に持ち運ぶことはできない。
 私は、2011年の東日本大震災の後、本棚の本を縦に置くのをやめ、全部横向きにした。そうすれば、本がパラパラと本棚から飛び出すのが遅いであろうと思ったからである。しかし、ぎゅうぎゅう詰めにした本の中から必要とする本を取り出すのは厄介であり、あらためて本の重さを知った。
 いずれにせよ、商店と同じく、年に2回は本の棚卸しをしたほうがいいと反省。ただただ積んどくしているだけでは、どこに何が有るかわからず、探し出すのに時間がかかる。

飛騨往来

先日、白川郷へ行った時、和田家というとても立派な家を見学した。その際、「ご自由にお持ち帰りください」と冊子の中に、タイ語版(2017年3月発行)を見つけたので、帰ってから勉強しようと思い頂戴した。
 その冊子は岐阜女子大学文化創造学部 文化創造学科アーカイブ専修 デジタルアーカイブ研究所が制作・刊行したもので、タイ語版翻訳はタイ人であった。
 冊子のタイトルは、「飛騨おぅらい」。おそらく「飛騨往来」のことであろう。これをタイ人は、「ฮิดะ โอะอุไร」と訳している。最初に表紙を見た時、首を傾げた。しかし、やがて「往来」のことであることが想像できた。
 それに似た例が有る。「京王」は、「けいおう」だが、これをそのままタイ語に訳すととつとつとした音になる。我々日本人も、実際のところは、「けーおー」と発音しているわけだから、タイ語訳にする場合、「เคอิโออุ」ではなくて、「เคโอ」のほうがすっきりとする。

今日の出題

朝夕、冷気を覚えるようになった。頭がすっきりしていい。勉強や読書にもってこいの季節の到来だ。
 そこで、今日の出題は、การเรียน(勉強すること=勉強)、 การศึกษา(教育すること=教育)、 การอ่าน(読むこと=読書)を使った短文を10文、作ってみよう。
 すぐに頭に浮かばない場合は、一番、簡単な文型、すなわち、主語+形容詞だけでもいい。それが物足りないと思うならば、最後に副詞をつけてみよう。。
 例)การเรียนสนุก → การเรียนภาษาไทยสนุกมาก
 もっと長い文章を書きたいのであれば、比較級の文型にすればいいだけだ。
 例)การเรียนภาษาไทยสนุกกว่าการเรียนภาษาจีน

映画鑑賞

昨日、久々に映画館へ行った。茶道の世界を描写した『日々是好日』が私の所属している茶道教室で話題になっているからだ。
 お茶の先生の感想=私は茶道の手前がどのようになされるか、そればかりが気になって仕方がありませんでした。映画の中のお茶は「表千家」。我々の流儀は「裏千家」。かなり違っていましたね。
 中年の生徒さんの感想=私は主人公の生き方に注目。したがって、お茶のことは二の次でした。原作者と同じ世代だから、人生のつまずきに共鳴を覚えたわ。
 一番年上の生徒さん(75歳)=画面がいちいち黒でカットされる編集の仕方が気になって仕方がなかったの。
 私=樹木希林の達観した演技がすばらしかった。彼女は茶道を一度も習ったことがない。しかし、茶道講師としての演技はもはや演技を通り越して、自分のこれまでの人生を在りのままカメラに撮らせ、映像におさまった感がする。眼光がするどかった。
 映画館を出てエレベーターに乗った時、数人が映画の中に出て来た主菓子がどこの菓匠のものかを当てっこしていた。そういう観方もあるのかな…..。

枯れと緑

 昨日、茶道教室に出席した。御軸は「時雨洗紅葉」。香合はたわわに実った稲穂。そして、生けられた花はすすきと小菊。茶碗は織部。茶杓は奈良公園の鹿の角を切る季節に因んで鹿の角製。銘は「千秋」。御棗は、気彫り(注:極細の鏨で微細に彫られている)。茶菓子は、私が金沢から買って来た生落雁。名前は「万葉の花」。いずれも、いや、もう見事なり。
 茶道講師が説明をしてくださった。「ものみな枯れゆく季節に入りました。ですから、葉先が枯れつつあるすすきを意図して使っております。枯れてゆくということは、色が無くなるということです。しかし、それでは寂しいですね。ですから、織部の茶碗で緑を演出しています」
 枯れの中に緑を取り入れるということ、そこに希望が有り、蘇生を感じさせる。これから寒さに向かう折柄、日常生活においても、そのような考えを取り入れていきたいものである。

ฆ(ระฆัง)を使った単語

辞書を引くと、ฆ(ระฆัง)を使った単語は極めて少ない。以下に列挙する単語を知っていれば十分である。
1)殺す(ฆ่า)、 殺人(ฆาตกรรม)、 殺人者(ฆาตกร)
2)鞭打つ(เฆี่ยน)
3)宣伝(โฆษณา)、 アナウンサー(โฆษก)
4)雲(เมฆ)、曇り(มีเมฆ)
5)鐘(ระฆัง)、銅鑼(ฆ้อง)
6)万仏節(มาฆบูชา)
7)在家、俗人(ฆราวาส)
 最後の単語である「在家、俗人」(ฆราวาส)は、ฆร(家)+ อาวาส(所有者)から成立するとのこと。即ち、家を所有する者=俗人というわけだ。所有すれば雑念にさいなまれる。俗人の域を脱するのは凡人には難しい。

今日の宿題

週末なのに宿題を出すのはいかがなものかと思うが、勉強に平日も週末も関係ない。一年365日が勉強だから。
 天気予報士によると、東京における9月と10月の日照時間はきわめて少ないそうだ。そういえば、「曇り時々雨」というのが多かった。異常気象とすっきりしない天候で、健康を害してはいないだろうか?
 健康というタイ語は、สุขภาพ(スッカパープ)。 สุข(スック=幸福な)+ ภาพ(パープ=状態)の単語から構成されている。
 では、ภาพという単語が使われたタイ語を10語、書き出しなさい。出題の意図としては、接尾辞(=状態を表わす)としての単語を要求するが、このภาพはそもそも「絵」という意味を有するから、「~ภาพ」でも、「ภาพ~」でもよい。
 最初は辞書を使わずに、自力で頑張ってみよう。10語を列挙するのはなかなかに難しい。すらすら書けるようであれば、タイ語の底力がついて来ていると言えよう。

鋳物師(いもじ)の町

金沢からどこにも寄らずに帰京するのはもったいないと思い、在来線(石川鉄道線)に乗って高岡市へ行った。目下、JRのコマーシャルで、吉永小百合さんが高岡市金屋町のお店からのれんを押して出て来る映像が繰り返し流されており、それがインプットされていたことは否めない。だが、この決断はとてもよかった。
 富山県高岡市は日本一の銅器(銅合金鋳物)の産地であり、4百年も綿々と続いているそうだ。鋳物師と書いて、「いもじ」と読むとのこと。
 最初に、金屋町の鐵瓶屋に入った。茶道で使う茶釜や鉄瓶がずらりと並んでいる。いずれの品々も精緻で、歴史を感じた。じっと見ていると、江戸時代の鋳物師の頭に見えてきた。暑さ寒さに関係なく、一年中、そして、己の一生を鑿とともに渾身の鐵瓶を造り上げた精神に心打たれた。

白川郷とタイ人

10月15日、金沢駅から観光バスに乗って白川郷へ行った。白山白川郷ホワイトロードを通って行ったので、現地に着いたのは11時45分。現地での観光時間は昼食も含めて、わずかに1時間半。展望台へ行くミニバスは超満員。したがって、乗るのはあきらめた。
 さてどうしようかと思っていたら、タイ語が聞こえて来た。7名くらいの若いタイ女性がコスモスの写真を撮り合っている。タイは目下、休みが取りやすい時期だ。大勢のタイ人が日本に来ているから、人気の白川郷にタイ人がいるのは納得。
 トイレにタイ語で併記されていた。女性専用トイレ ห้องน้ำเฉพาะสำหรับสุภาพสตรี
そして、駐車場にもタイ語が書かれていた。 ที่จอดรถนี้ปิดเวลา17:00 กรุณานำรถออกก่อนเวลาปิด