枯れと緑

 昨日、茶道教室に出席した。御軸は「時雨洗紅葉」。香合はたわわに実った稲穂。そして、生けられた花はすすきと小菊。茶碗は織部。茶杓は奈良公園の鹿の角を切る季節に因んで鹿の角製。銘は「千秋」。御棗は、気彫り(注:極細の鏨で微細に彫られている)。茶菓子は、私が金沢から買って来た生落雁。名前は「万葉の花」。いずれも、いや、もう見事なり。
 茶道講師が説明をしてくださった。「ものみな枯れゆく季節に入りました。ですから、葉先が枯れつつあるすすきを意図して使っております。枯れてゆくということは、色が無くなるということです。しかし、それでは寂しいですね。ですから、織部の茶碗で緑を演出しています」
 枯れの中に緑を取り入れるということ、そこに希望が有り、蘇生を感じさせる。これから寒さに向かう折柄、日常生活においても、そのような考えを取り入れていきたいものである。