神田川日記(32)

毎朝6時起床。熱いおしぼりで顔を拭く。7時40分頃にお茶が来て、8時に朝食。ゆったりとした時間が過ぎる。7時頃、廊下の奥にある窓まで行って、新しい空気を吸った。神田川の水面(みなも)に水鳥が一羽泳いでいる。そこへもう一羽がやって来た。つがいであろう、と思った。ところがまた次なる水鳥がやって来た。子どもかしら?
 そう思いながらしばらく見ていると、鳥の数がどんどん増えて行った。理由はパンくずを投げる赤いジャケットのおじさんがやって来たからである。鳥達は生きる術(すべ)をよく知っている。
 午後3時頃、同じ窓に立つと、水面がきらきらと輝いている。少ししか開かない窓に立って、ひなたぼっこをすると、急に元気になるのを覚えた。太陽は有り難い。ビタミンDを体に取り入れて、骨を早くくっつけようと思った。

神田川日記(終)

33日間、入院していたので、この神田川日記も33回目で終了とする。
 私には病気も怪我も関係ないと思っていた。だが、筋力不足から骨折を招いてしまった。帰宅後、ご心配いただいた皆さんに退院をお知らせすると、尾道にいる元生徒さんから驚きのラインが返信されて来た。彼女のお母様(65歳)が家の中の階段で転倒し、頭蓋底骨折と脳挫傷をおこして入院中だというのである。彼女のお父様(67歳)は実の父親の介護もしておられるとのこと。もはや老老介護はそこかしこで始まっている。
 私は骨折した時、ビルの管理人さんの手を借りてタクシーに乗ったので、退院した旨を伝え、そしてお世話になった感謝の気持ちを伝えようと思い、管理人室に電話をかけた。だが、聞き慣れぬ声の方が電話を取った。事情を説明したところ、臨時の管理員さんは言った。「彼は入院しています」
すぐに管理会社に電話をすると、管理員さん(75歳)の復帰はもう無理であると言われた。川の流れは戻らない。それぞれの人生も川の如し。どこかへと流れて行く……。

神田川日記(追記)

追記したい項目が出てきたので追記する。入院中、獅子文六(1893-1969)と吉行淳之介(1924-1994)を読み、昭和の時代を回顧した。カトリック信徒の高橋たか子(1932-2013)のエッセイでは彼女の観想生活に触れることができた。阿部龍太郎の『等伯』では、安土桃山時代の絵画や茶道の流れを知った。
 考えようによっては、重病でなければ入院生活も悪くはない。何か文章が書ける。そう思った。
 私が入院していた病院は1950年(昭和25年)に開業しているので、建物は極めて古い。だが、ノンフィクション作家である澤地久枝さん(87歳)の昔の随筆を読んでいた時、彼女が若い頃に心臓の病気でこの病院に長く入院していたことが書かれてあったのを思い出した。彼女と同じ空気を吸ったこと、これを機縁に私にも文才よ、甦れ。

神田川日記(12)

入院して16日目にギプスカットが有った。リハビリの先生から「ギプスが無くなれば、右足に半分くらいの体重をかけられるようになりますから、かなりラクになりますよ」と言われていたので楽しみに待っていた。だが、医師はすぐにまたギプスを巻いた、踵(かかと)の部分だけを除いて….。
 期待がはずれた途端、後半の入院生活をどのように乗り切ればいいのかと思案した。腰を痛めた老女達にはベッド脇にポータブルトイレが置かれている。24時間、誰かがそのP-トイレを使って用を足すので、臭いと音がとても気になりだした。私がお見舞いをお断りしていた最大の理由は、このP-トイレにあった。
 だが、健康のバロメーターとして、毎朝6時起床とともに看護師が前日の大小便の回数を聞いて回る。したがって、他人の臭いや音を茶化してまぎらわすために、「あいうえおの歌」を作った。

神田川日記(13)

私は毎朝6時半から7時の間に、歌を作った。ただし、かなりこじつけの感があるのは否めない。気をまぎらし、自分を鼓舞するために…..。
あいうえおの歌
頭は空っぽ入れ歯探しといびき うんち メンメン(臭い臭い) 永久にまだらボケおむつとおならで はい、さよおなら
かきくけこの歌
感情まだらで勘定は無理 きのうのこと すでに忘却のかなた 食い気だけはまだまだお盛ん 倦怠感 日増しにつのり これから先の希望無し あら、いと悲し
さしすせその歌
淋しさも感じず 死の怖れも無く すでに彼岸へ向かうのみ 生も活も今は昔 そうなの 心はすでにおだやかなりけり
 姥捨て山軍団の中にいて、なんだか暗いムードになって来た。次からは明るいムードの歌を作ることに切り替えよう。

神田川日記(14)

たちつてとの歌
楽しいこと まだまだ有るよ地球の果てまで行ってみようつくづく思う 人生の妙天の恵みに感謝しつつとうとう到達 よわい90歳
なにぬねのの歌
七十歳(ななせ)の坂越えに入院坂が立ちはだかるぬくぬくとした毎日念仏を唱えるにはまだ早い望みを持って 今日もリハビリ
はひふへほの歌
はるかなる海原広々とした碧空ふと我が人生をふり返り平安なるかな本当の人生の仕上げにいざ入らん
まみむめもの歌
まだまだ入院 カーテンの中みんなそれぞれの苦痛に耐える日々むなしいとは思うものか目指すは退院もうすぐ社会復帰だあ

神田川日記(15)

やいゆえよの歌
辞め時 退き時いろいろと考えるがゆとりある人生にはエンドレスで働かざるを得ないよーし 吉川 もうひと踏ん張りだあ
らりるれろの歌
ランランランと歌いながらリズミカルに過ごせる日はいつかしらルンルン気分に早くなりたいなあ連日のリハビリ 労多くして遅々たる効果
 五十音の歌が終わった。さて、どうしよう。そうだ、今度はアルファベットの歌にしよう。

神田川日記(16)

The Song of ABCDE
Ability is still within me Being strong is important Changes must be done for future Days of damages are also meaningful Energy may come back and leads me to joyful life
The Song of FGHIJ
Fullfillment should be done in the last stage Grace and generosity are always required Health helps human being happy Intelligence makes me aware the meaning of life Joyness is coming soon with light
The Song of KLMNO
Knowing is necessary for better life Living should be kept on with highly mind Meeting various matters would be null Nothing is desired more than now One thing unforgettable is my presence on the earth

神田川日記(17)

The Song of PQRST
Punctuality leads perfect pace of life Quality must be required for nice living Recovery is assured day by day Sensitivity and stability are also demanded always Toughness of mentality is my treasure absolutely
The Song of UVWYZ
Uncertainty appears unknowingly Various trials should be overcome Who can fight is the winner in the end Yesterday is yesterday Zenith of my life is still ahead
アルファベットの歌もあっというまに終わってしまった。次はタイ文字順(例:กขคฆง)で詩歌を作ってみよう。

神田川日記(18)

 タイ語の文字配列順はサンスクリットやパーリ語と同じである。日本語のア行を一番うしろに回せば、あとはカ行、サ行…..といったふうに、日本語と同じ配列になる。これは明治時代の国語学者が、<いろはにほへと>から、<あいうえお>に変換させる時、参考にしたのが梵語(サンスクリット)だったからだ。
บทกวี ของ กขคฆง (カ行の歌)
กำลังกายกับกำลังใจสำคัญมาก(体力と気力はとても大切)
ขอให้มีเพียงพอสมควร(どうか十分に与えたまえ)
ความเป็นอยู่ย่อมมีความหมายมากมาย(生活には当然多くの意味を持つべし)
ฆ่าเชื้อฆ่าศัตรูให้ได้(菌を殺そう 敵をやっつけてしまおう)
งานคือเงิน เงินคืองาน งานกับเงินเป็นพี่น้องกัน(仕事=お金 お金は仕事と直結 仕事とお金は兄弟なり)