孜々として学ぼう

明日からいよいよ仕事始めであるが、私の場合は昨日から仕事が始まった。頭の回転は上々。
 泰日文化倶楽部は7日(火曜日)からスタートであるが、個人レッスンが今日の朝から始まる。寒中稽古のつもりで厳しく教えよう。
 「孜々として」という表現があるが、これに「学ぶ」を足すと、「真面目に学ぶ」ということになる。孜々という漢字には、<子>が入っている。そして、学という漢字にも、<子>が入っている。
 さらに付け加えると、「教える」という漢字にも、やはり<子>が入っている。大人のぼやきはやめて、子どもに戻戻り、学んだり教えたりしよう。
 しかし、それだけでは頭が疲れる。遊びも必要だ。遊ぶという漢字にも<子>が入っている。これまた子どもの如く、楽しい時間を過ごしたいものだ。

孜々として学ぼう

明日からいよいよ仕事始めであるが、私の場合は昨日から仕事が始まった。頭の回転は上々。
 泰日文化倶楽部は7日(火曜日)からスタートであるが、個人レッスンが今日の朝から始まる。寒中稽古のつもりで厳しく教えよう。
 「孜々として」という表現があるが、これに「学ぶ」を足すと、「真面目に学ぶ」ということになる。孜々という漢字には、<子>が入っている。そして、学という漢字にも、<子>が入っている。
 さらに付け加えると、「教える」という漢字にも、やはり<子>が入っている。大人のぼやきはやめて、子どもに戻り、学んだり教えたりしよう。
 しかし、それだけでは頭が疲れる。遊びも必要だ。遊ぶという漢字にも<子>が入っている。これまた子どもの如く、楽しい時間を過ごしたいものだ。

タイ語初め

2000年から3年間余、タイ語を教えに来てくださったメン(เม้ง)先生はバンコクで歯科医をしておられる。カウントダウンが終わり新年を迎えると同時に、彼は毎年必ずメールでご挨拶をくださる。そこで、彼の書いた文章を、今年の「タイ語初め」とするから、声に出して読んでみてください。

เรียนอาจารย์โยชิกาว่าที่เคารพ
  สวัสดีปีใหม่ครับ ขออาราธนาคุณพระศรีรัตนตรัย
และสิ่งศักดิ์สิทธิ์อำนวยพรให้อาจารย์มีสุขภาพแข็งแรง
คิดหวังสิ่งใดสมความปรารถนาครับ
  ที่โรงเรียนเป็นอย่างไรบ้างครับ ถ้าผมไปเที่ยวญี่ปุ่น
จะแวะไปสวัสดีอาจารย์ครับ

年賀状いろいろ

年賀状を出すのを自主卒業してから3年。しかし、今年も大勢の方達から年賀状が届いた。元生徒達の新たなる近況に接し、感慨深いものがあった。
 Aさんの場合=「2019年8月からヴィッセル神戸で働いております。元旦は天皇杯決勝!! 25年前、震災の日に生まれた神戸にとって初のタイトルです。応援よろしくお願いします。4人の子供たちも今年から全員社会人、家族全員健やかに迎えられましたこと感謝致しますとともに、皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。」
 私は新国立競技場での試合をテレビで見た。そして、ヴィッセル神戸が天皇杯を勝ち取った。素晴らしい。
 Bさんの場合=築50年経過した家をマンションに建て替えました。70歳です。妻がバンコクでピアノを教えているので行ったり来たりしています。
 Bさんの奥様も元生徒さんだ。ピアノを習うタイ人のお子さん達がどんどん増えて、東京にはなかなか戻って来られないとのこと。なかなかにいいお話である。

謹賀新年 2020

明けましておめでとうございます。
 本年も泰日文化倶楽部を何卒よろしくお願い申し上げます。

 今年は子年。小回りをきかせて、コツコツと頑張りましょう。
 ขื่อ と ชู の発音にも注意して、チューチューと言いましょう。

 私の友人が2名、還暦を迎えます。経験豊かなネズミさんです。
 いろいろと教えていただいております。
 他者から教わることは成長の証しです。
 素直に学ぶ姿勢を持って、2020年を楽しく送りましょう。

2019年の思い出

2019年もついに大晦日を迎えた。泰日文化倶楽部はタイ人講師達にも生徒達にも恵まれて、今年一年、順調に授業を展開することができたので全く言うことなしであった。
 今年、知人が5名、鬼籍に入られた。しかし、友人2名のところに男のお孫さんが生まれ、前中国人講師が玉のような大きな男の子を産んだ。5名から3名を引くと2名。2名マイナスだ。ニュースによると、死亡者数が134万4千人。それに対して新生児が90万人を切ったとのこと。私の知人関係の死亡数と誕生数のプラマイもどうやらこれに比例している。
 令和元年の初日、私は中国山地を縫って走る電車の中にいた。自然を眺めて落ち着きを取り戻した。そして、10月、青森市へ仕事に行った折り、仕事が早く終わったので八甲田山に登った。登ったといってもケーブルカーでだが…..。散策コースを30分歩き、いろいろな植物を眺めた。今頃は雪の下でひっそりとしていることであろう。
 冬に耐える。この精神を学んだ。

今年最後の宿題

またしても『世紀末からの出発』(山崎正和著 文藝春秋刊 1995)から出題する。引用する章のタイトルは「自由と安定の新しい調和」である。

 1.人間の本性として、われわれには二つのたがいに矛盾し、対立する欲望がある。一つは個人として自由でありたいという欲望であるが、しかし、もう一つ、生物として安定した生活を守りたいという欲望も抜きがたく強い。

 2.安定への欲望は、具体的には個人がある定まった集団に属していることによって支えられる。暮らし方としては、なるべく長く同じ土地に安住すること、先祖からの伝統と習慣に従って、常識的な生活を送るということが無言の安心をあたえてくれる。

 3.もうひとつの自由の喜びは、もちろん、個人が他人に煩わされず、自分の意志によって生きていくことからあたえられる。好きなところへいつでも移動すること、日々の勤勉よりは冒険を求めること、何か新しいものを発明、発見すること、そういう行動によって人びとは自由を味わう。

道行コート

先週、谷中の夕焼け段々の横に在る着物の古着屋へ行った。母親が50年前にあつらえてくれた道行コートはあまりにも小さくて、さすがに外に着て出かけることがはばかれる。古着屋のHPを見ていたら、私のサイズにぴったりの品物が紹介されていたので、早速行ってみたというわけだ。
 HPで見たよりも色目は違っていたが、試着してみたところとても着やすかったので、即購入。
 何よりも嬉しかったのは裏地の模様であった。小粒の唐辛子がたくさん散りばめられており、なんだかピリピリ感が伝わって来て、縁起の良さを覚えた。
 着物の世界を覗くと、日本古来のいろいろな知恵が授けられる。四季にも敏感になるし、色の組み合わせにも関心が行くようになった。それが、見える表側だけではなくて、見えない裏側にも……。

スルー と ブルー

今月、「忘年会スルー」という言葉をよく聞いた。その気持ちはよくわかる。そして、「年賀状スルー」もわかる。行きたくなければ不参加、そして、書きたくなければ書かない。それでもいいと思う。
 今週のテレビは、「帰省ブルー」をテーマにしている話題が多い。年末年始にご主人の実家へ行くのがうっとおしいというわけだ。毎年のことだと、経済的にも精神的にも肉体的にも大変である。
 ところで、日本語でブルーやスルーと書くと、もはや和製英語になっているが、英語で書くと、blue であり、through である。同じ「ウー」という母音でも、英語の綴りは全く異なる。
 タイ語を習っている生徒達はタイ語の綴りが難しいと言う。しかしながら、英語の表記のほうがはるかに多岐にわたっているから、もっと難しいのである。
 1.you (ユー あなた)  2.who(フー 誰) 3.crew(クルー 乗組員) 4.cruise(クルーズ 客船の旅) 5.moon(ムーン 月) 6.canoe(カヌー)7.music(ミュージック 音楽) 8.humid(ヒューミッド 湿っぽい) 9.glue(グルー 接着剤) 10.pooh(プー 熊のプーさん)

今日の宿題

『世紀末からの出発』(山崎正和 文藝春秋刊)は1995年10月に発行された本である。山崎氏が諸新聞に書いた文章に加筆した内容であるが、4半世紀前の世相、特に世紀末に対する欧米をも含めた彼の総括を読んで、当時のことが鮮明に思い出される。
 以下はこの本の冒頭部分である。タイ語に訳してみよう。

 一九九五年は、日本にとって、「戦後五十年」を記念する年になるが、これはたまたま世界にとっては二十世紀の終わり、二十一世紀まであと五年を残す年にあたる。日本人にとっては、独特の感慨をおびて思い出される半世紀であるが、はたしてそれは世界の地平の上で、どのような意味を持っているのだろうか。「戦後五十年」という関心のあり方そのものが、ひょっとすると、またしても日本人の閉鎖的な心理を表しているのかもしれない。