或る美容師さんの話

 昨日、近所の美容院へ行った。美容師さんは短く切るのがお好きなタイプなので、いつもおまかせ。
 「先ほど、半年ぶりにカットにお見えになられたお客様がおられます」と彼は言った。
 それを聞いて、私は昔の美容師さんの言葉を思い出した。「こまめにカットに来てくださると、やりやすいんですがね」
 何事にも言える。こまめさが大事。億劫がっていると、ますます負の方向へと進むのである。
 お盆が近いこともあって、美容師さんが彼の郷里(山形県)の話を始めた。「親戚から言われましたよ。頼むから今年は墓参りに帰って来ないで、と。私の家は、たとえて言えば、テレビ番組[ポツンと一軒家]の状態に近いんです。親父が建てた家はそのうち森の中に埋もれ、森と化すでしょう」
 美容師さんの仕事は髪をカットすること。しかし、ご自分のルーツである家は、人の手が入らぬまま、生い茂る森の中で自然と同化して行く…..。

泰日文化倶楽部の近況

 木曜日の生徒達から、「感染者が増えて来ているので電車が怖いです。教室に行こうか行くまいか、迷っています」とメールで相談を受けたので、木曜日のクラスはグループレッスンも個人レッスンも全て、8月いっぱい、休講にすることにした。
 昨夜も同じことを教室で相談された。そこで、水曜日のグループレッスンも8月いっぱい、休講に決定。何故ならば、皆さん、遠路はるばる通って来られているからである。
 しかし、昨夜707号室に勉強にみえた個人レッスンの女性は「毎週、勉強に来たいです。最初、月に2回のレッスンを考えていましたが、毎週習わないと力がつかないのがわかりました。独学は無理」と言い、ものすごい意欲を示された。
 月曜日の夜にも個人レッスンの女性が楽しく勉強しておられるが、7月に入って入会された二人の女性は西武新宿線の沿線に住んでおられるので、高田馬場は乗換駅として、大変に便利だと喜んでおられる。
 最後にもう一つ、嬉しいニュースが有る。今年の6月にタイの高校へ留学する予定であった高校1年生が今年1月からタイ語を習いに来ていたが、4月以降、ノーコンタクトになっていた。最近、彼女から、留学が来年に延びたので、それまでタイ語を勉強したいという意思表示が有った。彼女は本当にタイ語が勉強したくてたまらないようだ。

今日の宿題

 次は筍料理に関する話題である。日常生活において頻繁に使われる動詞の復習を兼ねて、和訳してみよう。

1. ปลูกต้นไผ่ไว้ริมรั้วกะจะตัดทิ้งเพราะมันไม่สวย 

2.   แต่พอมันโดนฝนแตกหน่อมาเพียบ

3.  เอามาต้มกระดูกหมูอ่อน อร่อยมาก หน่อไม้หวานนิ่มมาก

4.  ตั้งแต่เคยกินหน่อไม้มา รสชาติหน่อไม้ที่หักมาสดๆ

5.   แล้วทำอาหารเลยจะอร่อยมากกว่าหน่อไม้ทั่วๆไป

6.  เพราะเขาเก็บไว้นานจนความหวานจางหายไป

7.   คนไทยชอบเอาไปเองเปรี้ยวเก็บไว้ในปี๊บสังกะสีเพื่อได้กินนานๆ

8.  บางทีมีเชื้อราที่เป็นพิษ กินแล้วถึงตาย

9.  ฉันจึงเลือกกินหน่อไม้สดและหลีกเลี่ยงหน่อไม้ดองค่ะ

V・A・C・A・T・I・O・N

 昨日の昼、官房長官が「これからはワーケーションしましょう」と得意顔で言っていた。私はすぐにピンときた。「work とvacation を合成した和製英語だな」と。
 旅行先でも仕事ができるように、旅館にインターネット環境の向上を勧めたいそうだが、それを聞いて、ますます馬鹿馬鹿しく思われた。政府の行き当たりばったりの指示はもうたくさんだ。
 そして夕方、ネットのニュースで歌手の弘田三枝子さんの訃報を知った。同い年なのでショック。すぐに彼女の歌が思い出された。「V・A・C・A・T・I・O・N」と歌うあの「VACATION」だ。
 この歌は中学の時に聞いた歌だが、VACATION という英語の響きがとても新鮮であった。わくわくした。高度成長を目指し、所得倍増論が流行る昭和30年代中頃、「休みをとって、ヴァカンスに出かけること」は夢のまた夢であった。
 政府から、「ワーケーションしましょう」なんて、指示されたくない。VACATION は個人の自由であり、明るく、楽しく、開放的でなければならない。

蝉 と 禅

 先週の土曜日の午後、個人レッスンをしている時、蝉の鳴き声がとてもうるさかった。だが、よく考えてみれば、今年初めて聞く蝉の声だ。コンクリートのジャングルの中で鳴く蝉がいとおしく思われた。そこで、生徒さんに向かって発破をかけた。
 「私達も蝉に負けないように、大きな声で発音しましょう!」
 帰宅して、禅僧が書いた本を読んだ。「禅の世界では、修業の読み方は、しゅぎょうではなくて、しゅごうと読みます。業(ごう)なのであります」と書いた一文が有った。
 仏教関係の漢字の読み方はとかく難しい。なるほど、そうなのか、とだけ思うことにした。
 しかし、ふと、昼間の蝉を思い出した。鳴いていたあの蝉は、蝉なりに短い数日の夏を生き抜くという修業をしていたのであろうか…..。
 蝉の姿は見ていない。だが、蝉の声はまさしく禅であった。

今日の宿題

 誰かが書いていた。「一日5分、自分のための時間を新たに確保すれば、一年で30時間になります」
 30時間は大きい。有意義に使おうと思えば、何かができる。
 そこで、これにならって、以下の文章をタイ語に書いてみよう。

1.一日につき、タイ語の単語を新しく5語、覚えれば、1ヶ月では150語、そして、1年では1,800語になる。

2.一日につき、タイ語の文章を5文、書けば、1ヶ月では150文、そして、1年では、1,800文になる。

3.一日につき、500円を節約すれば、1ヶ月では1万5千円、そして、1年では、18万円になる。

4.一日につき、5分間、瞑想すれば、1ヶ月では2時間半、そして、1年では30時間になる。

5.しかし、30時間は1日と6時間にしかすぎない。

6.そうであるならば、瞑想しても効果は求められそうもない。

7.従って、瞑想するかしないかは、本人の考え方次第だ。

子はかすがい

 先日、30歳代後半の元生徒さんと電話で話している流れで、「子はかすがいだから」という表現を私が使うと、彼はすかさず訊いた。「かすがいって、何ですか?」
 そこで、「建築に使われるものですよ。あえて分かりやすく言うならば、扉と扉をつないでいる蝶番みたいな役目をするものとイメージしてください」と、私は答えた。
 電話の後、私は<かすがい>という単語を調べた。まず驚いたのは、漢字が難しい。<鎹>という字なんて書いたことがない。柱と柱をつなぐ金具で、[ のような形をしている。
 今日の結論=高齢者と一緒に住まなくなった人達には、昔よく使われていた表現を聞く機会が無い。新しい時代に押し寄せて来る単語で暮らしている。それもありかなあとは思うが、小説等を読み、昔の表現を少しは知って、残していってほしい。

胡麻新月

 昨日、青森から「胡麻新月」という菓子が届いた。見た目は南部せんべい。いや、南部せんべいそのものだが、豪華版だ。ちらしの説明にはこう書いてあった。
 「噛めば噛むほど甘みがお口いっぱいに広がります。特殊製法の生地に厳選された胡麻を表とそして、裏にもぎっしり贅沢につけました。今までに食べたことのない食感と味に仕上げた堂々の商品です」
 早速、頂戴したが、私には塩味しか感じとれない。そこではたと思い当たった。私は都会の甘い菓子に慣れ過ぎていたのではあるまいか、と。
 あらためて、せんべいを噛んでみた。しかし、やはり塩味だ。3度目の正直だと自分に言い聞かせつつ、またせんべいを噛む。だが、そのようにして無理矢理に甘さを感じようとするのはよくないと思った。
 よくよく考えてみれば、雪国の人達と私とでは生活リズムが全く違う。彼らはゆっくりと噛んで、塩味の中からじっくりと甘さを味わうのであろう。

或る禅僧の生活

 或る禅僧が書いた本を読み始めたが、なかなかに興味深い。彼は次のように書いておられる。そして、105歳で天寿を全うされた。

1.私の現在の生活は三分の一生活です。

2.すなわち三分の一は宗教者としての深奥にひそむ任務、三分の一は雑用(遊びと称している)、三分の一は体を横にする。

3.一日をこのように三つに分けてくらしている。

4.朝は茶粥二杯、梅干し一つ、菓子半分、薄茶一服。

5.昼はうどんのみ。 夜はあり合わせのもの。いただきもので五勺の酒とめし一椀、みそ汁一椀半、あり合わせのジュース一杯。

6.家にはよけいなものはいっさいおかない。必要具のみ。

7.訪問客があればお目にかかるが、こちらからはよほどのことでない以上伺わない。

8.テレビ、ラジオはいっさい見ない、聞かない。

9.うっかりすると、朝から晩までひと言も言わない日もある。
 

情報の海で

 昨日、古本屋で、『半眼訥訥』(髙村薫 文藝春秋刊 2000年)を購入。この本は1993年から1999年に発生した事件や事象について新聞に書いた記事をまとめたものである。本の帯に<著者初の雑文集>と書いてあるが、決して雑文ではない。
 「情報の海で」という記事(読売新聞 1995年10月7日夕刊)では、著者は母親のことを書いている。
  == わたくしの七十四歳になる母は、実はわたくしよりも先にインターネットを楽しんでいる自由人だが、その母が手元にいつもメモ用紙を置き、テレビや新聞で出会う新語を書きとめては、あとで辞書を引いている。そうしなければ、夥しい情報に取り残されるからだが、当人はそのつど、自分が年をとったという悲哀を、ことさらに味わうらしい。<中略>
  情報の海を泳ぐのは現代人の宿命だが、それも有限の人間の営みの一つだと思えば、インターネットの時代も、余裕を持って迎えられるのではないだろうか。==

 私がインターネットの存在を知ったのは、1995年の阪神淡路大震災の時である。髙村薫は<情報の海>と表現しているが、あれから25年(4半世紀)後の2020年は、もはや情報の激流であり、濁流である。