กร(ゴーン)& ชน(チョン)

 タイ語ではサンスクリットやパーリ語から由来する「人」や「者」に関する合成語がたくさん有る。今日は、その中から「กร(ゴーン)と「ชน(チョン)」が組み込まれた単語を以下に列挙するので、意味を書きなさい。
 A. กร  
 1.กรรมกร  2.กสิกร  3.จิตรกร  4.ประชากร  5.พิธีกร  
  6.เภสัชกร  7.วิศวกร   8.ศิลปกร

 B. ชน
 1.กลุ่มชน  2.ชนกลุ่มน้อย  3.ชนชาติ  4.ชนชั้นผู้ดี  5.ประชาชน
 6.มติชน   7.พุทธศาสนิกชน  8.เอกชน

紫色のシクラメン

 昨日は知人の誕生日(วันเกิด)。そこで花屋へ行った。店頭はすでにクリスマス用の花ばかり。出来上がっている花束は赤や黄色の色が強すぎていまいちしっくり来ない。ピンクも知人には無理。何故ならば彼女は71歳だから….。鉢植えのシクラメンにしようかなあとも思ってみたが、立派な花と葉をつけたものは持ち運びが無理。
 というわけで、ピタリと来るまで花屋を転々とした。そして、4店舗目にして気に入った大きさの花が見つかった。それはこれまでに見たことがない新種の紫色(สีม่วง)のシクラメンであった。
 「真綿色したシクラメンほど清々しいものはない」と布施明が歌ったのは1975年のこと。今やいろいろな色のシクラメンが出ているが、古稀を無事に終えた友人には紫が一番似つかわしい。何故ならば、紫は古稀の色だから。
 花屋を4店舗もまわることで、いつのまにか目の保養をしている自分に気づいた。あと10日もすればいよいよ師走。時間に追われる毎日だが、目の保養、そして、心への潤いだけは忘れたくない。

東京女子大学創立100周年記念募金

 我が母校である東京女子大学は今年(2018年4月)、創立100周年を迎えた。その記念として、3年半前から「VERA募金」を募集開始し、目標額である10億円のうち約9億円(2018年7月末現在)が集まったという中間報告書が、昨日、送付されて来た。
 創立100周年記念事業の内容にじっくりと目を通すと、「山岳少数民族の子どもたちを支援するタイワークキャンプ」というものを実施していることを知った。
 約20年前、東京女子大学大学院に在籍していたタイ女性が泰日文化倶楽部で教えていたことがある。現在はバンコクの大学で教鞭をとっておられ、まさしく日タイの架け橋になっている。
 私は東京女子大学を1969年3月に卒業した。あと数ヶ月すれば50年になる。

眼鏡入れに付けられたタグ

 シンガポール在住のゆかりさんから送られて来た品物は、ペンケースではなくて、眼鏡入れであった。タグを読むと、「กระเป๋าใส่แว่นตาปักจักร(ミシン刺繍の眼鏡入れ)」と書かれてあったからである。タグには、次なるタイ語も表記されていた。判読をわかりやすくするために箇条書きにするので、頑張って訳してみてください。
(1)จากภูมิปัญญาแผ่นดิน สู่การทำกินที่พอเพียง
(2)กลุ่มพัฒนาอาชีพบ้านศาลาใหม่ จว.นราธิวาส
(3)โครงการส่งเสริมอาชีพตามพระราชดำริสมเด็จพระเทพรัตนราชสุดาฯสยามบรมราชกุมารี
 
 (1)にはラーマ9世の精神を受け継いだ人気の高い王女様のお言葉が書かれている。頭と心の隅に、常にとめておきたいと思う。

คนแข็ง

昨日、翻訳をしていたら、「คนแข็ง」という表現が出て来た。 คนは人、แข็งは硬い、だから、単純に「硬い人」と訳せばいいかもしれないが、それではどうしてもしっくり来ない。
 そこで、『簡約タイ語辞典』(松山納著)で、แข็งを引いてみると、いろいろと書いてあった。
 ①固い、硬い ②固まった、凝固した、固定した ③強固な、強健な、勇敢な ④頑固な、強情な、愚鈍な 
 これだけ書かれると、一体どういう訳をしていいのか、ますますわからなくなった。文章が有れば類推することができるが、たとえ有ったとしても、人間の特徴をぴたりと言い当てることは難しい。
 辞書にはさらに、次なる合成語が列挙されてあった。意味を書いてください。
 ①แข็งกระด้าง  ②แข็งกร้าว  ③แข็งแกร่ง  ④แข็งกล้า   ⑤แข็งข้อ
 ⑥แข็งขยัน    ⑦แข็งใจ   ⑧แข็งตัว    ⑨แข็งมือ   ⑩แข็งแรง  ⑪แดดแข็ง

シンガポールのゆかりさん

 昨日、シンガポール在住のゆかりさんから誕生日プレゼントが送られて来た。最近、彼女は休暇を利用してバンコクへ行ったので、タイ製のペンケースが封筒に入れられ、象と森が書かれたカードにはこう書かれてあった。
 「今日がバンコク最終日です。物価が上がって以前の金銭感覚が全く通用しなくなりました。シンガポールドルに換算しないと高いのか安いのかわかりません。友人の車であちこち連れてってもらって見覚えのある建物や通りの景色を見ると、なつかしいような悲しいような気分になりました。住んでたのはもう20年前です。いろんなとこ行ってたんだなあ~と思ったりして」
 彼女はバンコク週報の記者としてバンコクで6年間頑張ったのち、より飛躍を求めてシンガポールへ。時々バンコクへ息抜きに行っているようだが、今回の彼女の文章はいつになく本音が出ていたので、引用させていただいた。

アジア女性交流史の研究家 山崎朋子さん

 アジア女性交流史の研究家である山崎朋子さんの訃報(享年86歳)をニュースで知った。彼女が書いた『サンダカン八番娼館』(1972年)は、翌年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。熊井啓監督による映画『サンダカン八番娼館望郷』(栗原小巻、田中絹代 出演)も見た。衝撃的であった。<からゆきさん>という言葉が耳について離れなかった。
 15年ほど前、マレーシアへ旅行した時、思い切ってボルネオ島まで飛んだ。現在の州都はコタキナバル。だが、1947年までの州都はサンダカン。サンダカンまで行く時間が無かったので断念したが、キナバル山へ行くためにチャーターしたタクシーの年老いた運転手が教えてくれた。
 「ほら、あそこ! 日本から来た女性の墓だ。みんな日本を向いてるよ」
 そのように教えてもらわないと車で通り過ぎてしまいそうな場所であった。コタキナバル(昔の呼称はジェッセルトン)でも日本女性は働かされていたというわけだ。何故ならば、1942年から1945年まで日本軍の占領下に置かれていたから……。

今日の出題

 今年もあと1ヶ月半となった。12月に入ると気ぜわしくなるから、出来得るならば、今日から少しずつ掃除や片付けを始めたいものだ。しかし、ちょっとした「ちょい勉強」は気分転換になると思うので、次なる文章をタイ語で書いてみよう。今日は「二」に関する出題である。
1)今年の授業は12月22日までです。
2)あなたの家は平屋ですか、それとも、二階建てですか?
3)新しく任命された社長には二面性があります。
4)両者とも優秀なので、甲乙つけがたいです。
5)二者択一しろと言われても、私にはできません。
6)試合の結果は2対2でした。
7)後輩が双子のパパになりました。
8)教え子が警察中尉になりました。
9)タイの旧暦2月という単語はもうほとんど使われておりません。

雅叙園の百段階段

 昨日、目黒の雅叙園へ行った。「いけばな 百段階段 2018」の招待券をもらっていたからである。招待券には<過去最大、いけばな57流派が集う、花の祭典>と書かれてあった。
 3年前にも百段階段を上がったことがあるので部屋の配置状況は覚えていたが、90年前に建てられた和風のお屋敷は風情があって実にいい。戦後の建築資材で出来上がったビルとは雲泥の差だ。
 階段には一段ごとに数字がつけられている。50段までなんなく上がれた。あと半分だと思って、残りの階段を見上げた。そして、最上階まで上がったが99段しかなかった。
 最上階の広間に説明書きが有った。1)日本人は昔から奇数を縁起がいい数字と思っている。2)1月1日(正月)、3月3日(雛祭り)、5月5日(こどもの日)、7月7日(七夕)というように、同じ数字を重ねることがめでたい。3)百まで達すると、あとは終わり。したがって、欠けているほうがいいのである」

凡人 & 聖人

  生徒さんが毎週、翻訳して来られる文章の添削をしていたら、「ปุถุชน 凡人」と「พระอริยบุคคล 聖人」という単語が出て来た。小学校2年生の教科書に書かれた釈迦に関する話だが、使われている単語が極めて難しい。教師に教わりながらタイの小学生は小さい時から仏教の言葉に自然に触れていることになる。さすがは仏教国タイだ。
 「ปุถุชน」を辞書(『タイ日辞典』冨田竹次郎 1987)で引くと、「まだ多くの煩悩を棄て切れぬ人、まだ悟り切れぬ人、凡人、凡夫、普通の人」と書かれてあった。
 『Thai English Dictionary』(Bertha B. McFARLAND 1944)で「ปุถุชน」を引くと、「บุถุชน」へと誘導され、「a man of the lower classes or of low character; a common or ordinary man; one who is yet unconverted, as opposed to one who has entered the Eight-fold Path; a worldly, natural or unsanctioned man; a sinner」と説明されてあった。
 英語によるこの説明をキリスト教徒である多くの欧米人は果たして如何ように理解するのであろうか?