ピンクの口紅

 還暦を過ぎてから早くも8年。タイ人講師からピンクの口紅をプレゼントされた。1本の口紅を買えば3年近く持つから、まだまだ今のものでいけるのだが、新しいものを化粧ポーチに入れると気分が変わる。早速、今日からピンクにしよう。
 目下、『福縁伝授』(福原義春著 集英社 2011年)を読んでいる。元資生堂社長で、現在は名誉会長をしておられる著者の文章は内容が濃くて、実にお洒落である。銀座のこと、そして、資生堂の来歴がよくわかって面白い。
 「私の祖父に当たる資生堂創業者・福原有信は、もともと幕府の医学所、明治維新後に大学東校で薬学を学び、海軍病院の薬局長を務めていたが、粗悪な薬品が市場を席巻していることを憂い、民間で自由に商売しながら質の良い薬品を市民に提供したいと考えて独立した。軍閥や薩長の派閥争いに嫌気が差したこともあっただろうと思うが、ともあれ開明主義者で在野精神の持ち主であったことは間違いない」
 日々、仕事に追われているだけの生活では思考が止まったままだ。<開明>、そして、<在野>。これらの言葉がとても新鮮に思われる。
 

個人レッスンの大学生

 昨日、大学生が個人レッスンを受けに来られた。申込みのメールを頂いたのはほんの2日前。速攻なる彼の姿勢に感服した。
 高いお金をかけて個人レッスンを受けに来た理由を尋ねると、バンコクにある大学に1年間、留学していたこと、そして、来年、就職する会社の支社がタイに在るので、もう少しタイ語の学力をつけておきたいとのことであった。
 担当されたボン先生の感想は、「彼は非常に丁寧な言葉を知っていますね」
 彼のノートを見ると、単語がぎっしりと書き込まれていた。自習で頑張っている様子がよくわかった。
 このまま個人レッスンを受け続けるのはきついので、グループ・レッスンを勧めた。
 彼は明るく言った。「お金を貯めて、また来ます!」
 久しぶりに爽やかな青年を見た。彼の視線はタイへまっしぐらだ。

101歳の看板娘

 昨晩、「タイ語初級 火曜日19:00」のクラスの生徒さんが、招き猫のもなかを買って来られた。豪徳寺に因んだ招き猫として、有名な和菓子だそうだ。
 私の場合は、先日、立ち寄った北区の甘味屋のおばあちゃんが忘れられない。店の御主人に「おばあちゃん、何歳ですか?」と尋ねると、「101歳。昔は看板娘だったんですけどね…」という返事。
 そうはいうものの、ものすごくシャキシャキしている。むしろ、息子である御主人のほうがよぼよぼに見えた。
 101歳のおばあちゃんの仕事は店頭販売をしている赤飯やおいなりさん、そして、団子や草餅を買いに来るお客さんが来ると、店の奥にいる家の者に対して、「お客さん!」と言って、いち早く知らせることである。彼女の一点を見つめる集中心たるや、いやはやすごいの一言である。彼女の気迫にあやかろうと思って握手をさせてもらった。
 午前中にそのおばあちゃんを見たが、同じ日の夕方もその店に寄ってみた。おばあちゃんは相も変わらず虎視眈々と店番をしていた。

泰日文化倶楽部卒業生の在タイ第1回交流会

 昨日、バンコク在住のK氏からメールが有った。「今晩、泰日文化倶楽部の卒業生達で食事会をします。題して、第1回交流会です。先生、スカイプをするようでしたら、スカイプでお話ししましょう」
 私はスカイプをしないと返信すると、今度はLINEが入ってきた。かくして、皆さんと次から次に無料電話ということになった。
 いやもう、実に嬉しかった。皆さんが元気に活き活きと生活しておられるのがよく伝わってきた。そして、皆の声をまとめれば、こうである。
 「タイに来る前に泰日文化倶楽部でタイ語を勉強しておいてよかったです!」
 昨晩、集まった方達はいずれも皆、日本大使館関係の面々であった。
 ここで少々、自慢させていただくとするならば、タイの日本大使館へ赴任される前にタイ語を習いにみえる外交官を泰日文化倶楽部は永きに亘りご指導してきている。彼らが喜んで下さると、私も非常に嬉しい。

バッグのデザイナー

 泰日文化倶楽部に1年前から入会されたKさんはバッグのデザイナーである。ロンドンの芸術大学で学び、帰国後は、TOMOO というブランドを起ち上げ、感性豊かなバッグを創作し続けておられる。タマサート大学からの招聘を受けて、講師として5年、バンコクにも住まわれた経験がお有りなので、タイ語はかなりおできになる。
 先週、彼女のバッグを級友が買ったらしく、それを見る機会が有った。日本の着物の生地と、タイの少数民族が愛用している生地の両方を使ったバッグを見て、その発想に感心した。見事な融和であった。
 着物だけだと地味めだ。そこにエスニックを取り入れると、可愛くなる。そして、日本で縫製しているから仕上げが非常に丁寧である。このバッグだと、街の中でも一目置かれること間違いなし。

推薦状

 『見えないものを大切に』(澤田昭夫著・聖母文庫 2001年)の中に、推薦状のことが書かれてあった。
 「四十年近く大学で教えている間に、沢山の推薦状を書いても来ましたし、読まされても来ました。ひとつ気がついたのは、日本で通用する推薦状には長所しか書いてないもの、また、熱心で温厚だという抽象的なきまり文句しか書いてないものが圧倒的に多いということです。私が学んだり教えたりして知っている外国の大学では、こういう推薦状は信用されません」
 私も最近、元生徒さんから依頼を受けて推薦状を書いた。もちろん長所しか書かなかった。いかにも日本的といえば日本的である。
 私が格闘したのは、封筒の表に書く「推薦状」という漢字であった。特に、「薦」という字は手書きをすることが滅多にないので、何回も書き直した。「薦」には、「この人を特にすすめる」という意味があるとのこと。なるほど、字画が多くて書くのに手こずるはずだ。

篝火

 昨日、十条の町を歩いていたら、「篝火(かがりび)」という小料理店を見つけた。「篝」という漢字は滅多にお目にかかることがないだけに、しばらくこの一字を見つめた。だが、数本の木を横に幾層にもわたって組んでいく様子が「篝」の漢字には十分に表現されており、実に面白い。普段、よく使う漢字の「構成」とか「構築」の「構」に似ているので、何事であれ、きちんと計画して、しっかりと取り組んでいかなければいけないなあという思いに至った。
 ランチは何回か行ったことのある鮨屋にした。そこへ行く理由は老犬がいるからである。店主に尋ねると、「今年15歳。もうおばあちゃんですよ」 彼女が生きていることを知って、安堵した。
 鮨屋の近くには延命地蔵がある。姥犬は、そのお地蔵様に守られて、マイペースで一日一日を過ごしているようだ。

果物が嫌いなタイ人講師

 6月から開講した「タイ語入門 木曜日19:00」のクラスは、テキストでは第17課まで終わった。第16課にはタイ料理名や果物の名称が出てくるので、復習を兼ねて、好きな料理や果物、そして、飲み物を列挙するように生徒達に言ったところ、発音が難しいらしく、彼らの発音ではいずれもタイ人に通じる様子がみられなかった。
 ミカンの「ソム」もだめであった。そこで、たまたま買って持っていたミカンをみんなに1個ずつ配った。すると、タイ人講師がこう言った。「僕は果物を食べません」 
 それを聞いた生徒達は全員がびっくり。「タイは果物の王国なのに、食べないのですか?」
 このような会話がなされると、これから先、生徒達は果物の話に敏感になるであろうと私は思った。私が演出したミカン効果も授業の一環として役に立ったはずである。

霜降

 今日は二十四節季の「霜降」。今朝の温度は今年一番の冷え込みとか。道理で寒いはずだ。
 さて、<霜>というタイ語は何と言うのであろうか? タイ人が編纂した日タイ辞書を見ると、次のように書いてあった。
① น้ำค้างแข็ง
② ละอองไอน้ำที่กลายเป็นเกล็ดน้ำแข็งตามพื้นดิน
 どちらを使えばよいかと言えば、①のほうが簡単でいい。②は説明調だ。
 しかし、チェンライやチェンマイの山間部を除けば、このような単語は滅多に使うことはないのではなかろうか。したがって、タイ語のテキストにも<霜>という単語は出てこない。ただし、<雪>という単語ならタイ人にも馴染みがある。ヒマラヤのヒマは雪という意味であり、ヒマラヤのカイラス山をタイ人は天国だと思って、大変に崇めているからだ。

大分旅行(終)

 臼杵の町ともそろそろお別れだ。臼杵藩の上級武士の屋敷へ行ってみた。タクシーの運転手から、「開放していますが、誰もいませんよ」と言われた。だが、中に入ってみると、着物を着た女性がいっぱい。午後から裏千家の御茶会が催されるとのこと。お茶の先生は私を丁重にあつかってくださった。これぞ、お茶の精神なり。屋敷の中を一通り見てまわると、<雪隠>と書かれた板が廊下奥に置かれてあった。時代を感じた。
 土産物店に寄った時、お勧めの喫茶店の場所をたずねてみた。すると、「啄木茶房」を紹介された。大分で啄木? 店に入ってみて、その理由がわかった。昔、そこの家の亭主が女性であると偽って啄木に手紙を出したため、啄木からの恋文がたくさん送られてきたらしく、それらが壁に飾られていた。地方の文学青年の熱き思いが伝わってきた。