電話 vs LINE

アメリカの大学に留学していたY子さんが1年4ヶ月ぶりに、再び、タイ語を勉強し始めたので、彼女に聞いてみた。「アメリカ人と電話で話すことで、電話の英語にも慣れたことでしょうね。きっとスピードのある英語が話せるようになったのではありませんか?」
 すると彼女の口からは意外な返事が戻ってきた。「アメリカでは一度も電話で話していません。すべてLINE でした」
 それを聞いて、なるほど、LINEだったのか、と思った。それが世の中の趨勢であれば致し方ない。電話で話すと相手の様子がよくわかり、生の英語を聞くことができるのに…..。
 タイ人との連絡もLINEが主流になってきている。タイ語の文章がタイ語で書けるようになったという話を生徒達から聞くと、それはすばらしいと素直に思う。だが、LINE一辺倒ではなくて、時には電話で話し、口をパクパク動かし、聴力を高め、次は何をしゃべろうかという考えを巡らすのも大切である。生きた会話には、いろいろな話題が飛び出し、それが思わぬ方向に発展していき、おのずから語彙力が問われるからだ。

ゆめ花 と 「和」

「市原ぞうの国」で大活躍している小象のゆめ花(6歳)ちゃんが、21日、来園者の前で「和」という漢字を書いたというニュースを読んだ。来園者達から選ばれた今年の漢字が「和」であったからだ。「平和」とか、「和み」という願いによって選ばれたそうだが、私の場合、「和」は「昭和」の「和」が一番最初に頭に浮かぶ。しかし、昭和は遠くになりけり….。
 いずれにせよ、興味深いのは、ノギ偏の漢字だ。ノギ編は稲をイメージされているそうだから、和という漢字は「米が口に入る」ということかも?。みんなが十分に、そして、満足できる食事をすることができれば、心が落ち着き、優しくなれる。
 ネットで調べると、ノギ編には収穫に関する漢字が多いそうだ。例:秋、穂、稲、等々。そして、それが転じて、お金に関する漢字が生まれたとのこと。例:稼ぐ、税、租、科、等々。
 年末・年始の期間、タイ語の勉強はもちろんだが、漢字の勉強も面白そうだ。暖かい部屋の中で漢字に挑戦し、タイ語とは異なる刺激を脳に与えてみようではないか。

今年、印象に残った生徒さん

今年11月から開講した「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスは、昨日、テキストの第7課まで進んで、楽しく今年の授業を終えた。
 このクラスを募集していた時、なかなか受講希望者が出ず、開講があやぶまれた。ところが、1年半ほどお休みしていたM子さんが、「私、また習いたいです!」とメールして来られた。そこで、彼女の意欲に応えて、開講に踏み切った。生徒一人でもよし。かまへん、かまわん。マイペンライ。
 M子さんとは昨年8月以降、お会いしていなかった。彼女は突如、教室から消えた。消えた理由をうかがって納得。それは、お母様の介護で忙しかったからだとのこと。どうにか勉強する時間が取れるようになったので、タイ語の勉強を復活されたというわけである。
 それを伺い、この世の中、介護の問題が取り沙汰されて久しいが、高齢者の親を持つ中年達で、介護問題を抱えている方達は、好きな勉強に没頭できないことをあらためて知った。諸問題を解決されて、1年半ぶりに復帰されたM子さん、来年も楽しく勉強なさってください!

今年もよく頑張りました!

泰日文化倶楽部の今年のグループ・レッスンは、今日21日(土曜日)で終了いたします。年末年始の休暇は、明日22日から1月6日(月曜日)までです。今年も、皆さん、熱心に通って来てくださり、有難うございました。来年もしっかりとタイ語力をつけてください!
 ところで、昨日のニュースで、外国人観光客が初めて1千人を突破したと報じられました。今朝7時のニュースでも同様のニュースが繰り返し流されましたが、その1千人目の外国人が中年のタイ人夫妻であったことはとても興味深かったです。成田空港のセレモニーでインタビューに答えるタイ人男性のタイ語はとても品が良かったです。「訪れるたびに、日本の環境(สภาพแวดล้อม)に関心が深まっていっております」
 今年7月からのヴィザ無し旅行で、タイからの旅行客が急増しています。我々のタイ語の勉強にも発破をかける必要があります。旅行客とタイ語を話す話さないは別として、彼らの旅行パワーに負けてはなりません。語学というものは、いつ使うようになるかは予想がつかないものなので、体力と気力、そして、財力が有るうちに、しっかりと勉強しておきましょう!

福引き

先週の1週間、高田馬場4丁目の商店街では福引きが行われた。私は最終日の最終時間10分前に福引券をもって並んだ。私の前に並んでいた男性は23枚の福引券を持っていたので、彼がガラガラポンをするのを私はじっと観察した。ところがいつまで経っても赤い玉が出てこない。そこで、その男性はいらいらし始めた。「なんだよ、これは」
 すると、世話係のお年寄り連中が彼に言った。「もっと早く来ればよかったのに。特等はもうすでに出てしまっていますからね」
 それを聞いて、私は思った。「なあんだ。残っているのは5等ばかりなんだな。期待するのはやめた。福引きに参加するだけでよしとしよう」
 昔の人は言った。「残りものには福あり」 だが、違った。幸運はいつやって来るのかわからない。もしかすれば早めにやって来る人もいるのかも。人によりけり。タイ語では、これを「แล้วแต่ レェーオ・テェー」という。この表現は言い得て妙だ。何故なら、レェーオは「それから」、そして、テェーは「しかし」という意味で、いずれも接続詞から成っているからだ。人生とは、「それから」&「しかし」の繰り返しなり。

一休さんの訪問

バンコクから休暇で帰って来られたばかりの一休さんが、昨晩、泰日文化倶楽部を訪ねて来てくださった。9ヶ月ぶりの再会である。いらっしゃることは彼のお仲間からあらかじめ聞かされていたが、実際に教室でお会いすると、まるで現役の生徒さんのように見えた。
 授業後、級友達と居酒屋「青龍」へ。一休さんの頼んだ料理は刺身の盛り合わせ、それに、ひややっこ。バンコクでも日本食の店はいっぱいあるが、東京で食べるひややっこには独特の味わいがあるはず。ほとんどタイ料理で生活しておられるそうだから、えらい。だが、私は言った。「味付けが濃いタイ料理ばかりを食べていると、健康に悪いので控えめにね」
 タイ語力について尋ねてみると、一休さんは謙虚に答えた。「聞き取りでは問題がありませんが、あまり語彙が増えません」
 確かにそうかもしれない。毎日、同じパタンで仕事や生活をしていると、会う人も限られてくるので、使用する語彙に限りがある。それを打開するにはどうすればいいかを考えて、日々、ちょっとした意識転換をはかれば、新しい語彙が身につくことであろう。それは、日本で勉強している人にも同様のことが言える。勉強には意識改革と工夫が必要なり。

韓国語クラスの忘年会

昨晩、韓国語クラスの忘年会が高田馬場にあるイタリア料理店であった。前回は中華料理、前々回はミャンマー料理を楽しんだが、果たしてタイ料理の会合はいつになることやら?
 以前にも書いたことがあるが、「韓国語クラス」は泰日文化倶楽部が運営しているものではなくて、教室をお貸ししているクラスである。末席に座って、私も参加すること、すでに1年9ヶ月。レベルが高いので、10%くらいしか理解できていないが、それでも参加することに意義有りと自分に言い聞かせている。
 忘年会では幹事さんと隣り同士に座ったので、いろいろなお話を聞くことができた。彼女はサッカーの大ファンということで、大会が行われる開催地には必ず出かけて行っておられるとのこと。「来年のブラジル大会に向けてポルトガル語が必要だけど、スペイン語とイタリア語とドイツ語ができるので、まあ、何とかなるでしょう。問題は2018年にロシアで行われる大会よ。来春からロシア語を勉強する予定にしているの。4年かけて勉強すれば間に合うはずだわ」
 彼女の計画的な学習意欲に私は感心した。なるほど、ワールドカップに合わせて外国語を勉強するのはいいことだ。少なくとも4年は継続学習をする意欲が支えになって、かなりのことが学べる。タイでの開催はいつになることやら? 決まれば、彼女、きっとタイ語を勉強してくださることであろう!

タイ語とベトナム語の合同クラス

泰日文化倶楽部では、月曜日の夜、806号教室で「タイ語初級 18:00-19:30」、そして、707号教室で「ベトナム語入門 19:00-20:30」を開講している。ところが、何としたことか、私が806号教室の鍵を忘れてしまった。家に取りに帰るには寒い。そこで、生徒達にお願いして、707号教室で合同授業をすることにした。ただし、タイ語とベトナム語の授業時間がかぶるのは、19:00から19:30のわずか30分だけである。したがって、生徒達も、そして、講師達も、快く了承してくださった。
 教室は広いし、イスはたくさん有るので全く問題が発生せず、安心した。面白かった点は、早めにいらしたベトナム人講師がタイ語の発音に耳を傾け、聞いたタイ語を小さな声で鸚鵡返しに発音していたことだ。彼女の語学に対する飽くなき姿勢を見て、彼女が何故、日本語が格別に秀でているのかがよくわかった。
 タイ語とベトナム語の同じ教室内に於ける30分対決。このようなことは、今後、2度とは無いであろうが、実に興味深かった。判定者としてクラスの盛り上がり度を採点するならば、ベトナム語が85点、タイ語が80点。すなわち、ベトナム語のほうがややリードしていた。タイ語の生徒達、頑張れ!

タイの小学校に上がる前に読む本

 以前、生徒さんがタイから改訂版の小学校教科書や副読本を買って来て下さったことがある。最近、それらの中から一冊をテキストとして使用しているが、内容がとても道徳的だ。昨日の授業で読んだ課の内容を簡略にまとめると、次のようになる。
 おじいさんが農民に服を売るため舟に積み込み、竿をさしながら舟を進めた。だが、舟に穴が開き、水が入ってきた。なんとか応急処置を試みたものの芳しくない。急いで川岸まで向かったが、今度は川の水が少ない浅瀬に乗り上げてしまったので、舟が全く動かなくなってしまった。そのうち竿をさす体力も気力も無くなってしまっている自分に気がついた。つまり、自分の老いを自覚したわけだ。夕闇が迫ってきている。ますます元気を無くしていった。そこへ田んぼから帰る兄妹が水牛の背中に乗って通りかかった。困り果てている見知らぬおじいさんを見て、舟の舳にある鎖を水牛の首に結びつけ、水牛に舟を引っ張らせた。舟は無事に動いた。幼き者は年寄に対して、すかさず思いやり(ความเอื้อเฟื้อเผื่อแผ่)のある行動に出た。
 タイの教科書は、低学年用の教科書から、「思いやり」、すなわち、ความเอื้อเฟื้อเผื่อแผ่ という単語が登場する。この単語の発音が、日本人にはあまりにも難しすぎるので、教える側は大変である。昨日、使用した副読本の表紙に書かれている副題を見て驚いた。何故なら、「小学校に上がる前の準備のために」と書かれてあったからだ。幼稚園児から「思いやり」という言葉を習うとは……。

「女子会」のように楽しいタイ語クラス

昨日の「タイ語入門 土曜日11:00」のクラスには、珍しく男性の生徒が一人も出席されなかった。タイ女性講師と私、片や生徒は30代の女性達3名。したがって、「女子会」のような雰囲気が醸し出され、それはそれは楽しかった。「皆さん、この際だから、大いに盛り上がりましょう!」と、私も発破をかけた。
 3人の生徒達はいずれも働き盛り。仕事に真摯に取り組んでおられることが、彼女達の意欲的な言葉からよく伝わってきた。天職だと思う仕事を見つけておられることはとてもいいことだ。そして、タイ大好き人間でもある。そのような方達にタイ語を教えることができ、私も幸せだ。
 それに比べ、男性はいまいちよくわからない。何故ならば、授業中でも表情が硬いからである。もっと面白おかしく勉強すればいいのにと思う。あるいは、教室の外に出れば違うのであろうか。ましてや、タイへ行くと、かなり変わるのであろうか。
 語学の勉強をする際、表情も大切な要素である。楽しそうに、明るい表情を浮かべると、タイ人講師もテンションが上がる。語学の勉強には表情が必要だ。明るく、振る舞うことを心がけよう!