未来予想図

 マンション管理会社が配布する生活情報誌の最新号は、「未来予想図のススメ」というものであった。一体、どんなものであろうかと興味を覚えてページを開く。だが、それはモデル家族の一生に関するライフサイクルであった。
 縦軸に、①ご夫婦の未来、②お子さまの未来、③住まいの未来が書かれており、横軸には、取り上げるべき課題として、①お子さまの教育、②お子さまの教育資金、③住宅の補修費用、④リフォームの希望と資金、⑤保険の内容チェック、⑥ご夫婦のシニアライフの夢、⑦ご両親の介護と相続、⑧シニアライフへの準備、⑨ご夫婦の終活、が列挙されている。
 こういう発想は、家族を持っている人を対象にしているから、結婚をしていない人間にはほとんど関係が無い。絵に描いたような家族生活を一生、営み続けることができる人は幸せかもしれないが、なんだか、マンション会社や保険会社に踊らされて生きているような気がしないでもない。
 きちんとした人生計画のもと、死ぬまで完璧さを求めて自分、及び、家族を律するならば、無味乾燥で、なんとつまらないことか。そこに小説は生まれない。
 

ブログ、13年目に入りました!

私のブログは、今日から13年目に入ります! 2002年5月19日から、海外旅行、国内旅行、そして、仕事の関係で書けなかった時を除き、毎日、心して書いて来ました。丁度、干支の12年が1周したことになります。
 元来、書くことは好きです。まだまだ書いていきますよ。書くことは、自分に<喝>を与えることでもありますから。
 先日、或るクラスを代講すると、生徒達がタイ語で作文を書いて来ていました。一人一人に音読してもらいましたが、なんとまあ退屈な文章ばかり….。
 私ははっきりと言いました。「タイ語の文章を書く以前に、文章の構成力に問題が有ります。日本語の文章がまとまっていないまま、それをタイ語に訳しても、決していい文章になるはずがありません。皆さん、せめて、起承転結だけはきちんと考えて書いてください」、と。
 すると、平均年齢70歳位の生徒達3名は、まるで分教場で学ぶ小学生の如く、私の注意事項を素直に聞き入れてくれました。
 外国語の学習もいいけれど、最後はやはり、日本語力です。つくづく、そう思います。

歌舞伎見物

アメリカから親戚が来日している。歌舞伎を見たいということで、私も久しぶりに歌舞伎見物をした。新しく建て替えられた歌舞伎座は初めてであった。新しすぎてすべてがピカピカ。花道などは、昔のほうが味わいがあったように思うが、これから数十年先になると、役者達のいろいろな汗やにおいが浸み込んで、いい味わいを醸し出していくにちがいない。
 印象に残った演目は、黙阿弥の「幡随長兵衛」。昔から、「幡随院長兵衛」という名前が耳に残っているが、本物の舞台を見ると、ものすごく印象に残る芝居であった。いわゆる世話物という部類に入るものだが、わずか1時間足らずの芝居の中に、男の生きざまが描き込まれており、まことに印象的であった。
 幕末明治期に活躍した黙阿弥(1816-1893)。360もの芝居を書いたそうだから、日本のシェークスピアだ。ネットで調べると、彼は65歳の時に、時代風潮に適合できない自分を感じ取り、「元の黙阿弥」という意味で、「黙阿弥」と改名したそうである。それでも77歳で亡くなるまでに作品を書き続けたそうだから、江戸の人間達の生活の機微がよくわかってすばらしい。
 これからは時間を見つけて、歌舞伎見物をしよう。芝居は最高!

お運びさんは東大生

今日はとても忙しくて朝食と昼食を取り損ねた。どうにかオフになったのが夕方の5時半。疲れとストレスを解消するために、いつも行く割烹へ向かった。メニューを見ると、さしみ定食がおいしそうであったので、いつもの通りに注文した。
 ところが、お通しを持って来た人の話し方、及び、声がいつもの仲居さんとは違う。声は男!
 女将に尋ねてみた。「新人ですか?」
 女将は答えた。「そうなの。駒場の大学に行ってる子よ。頭がいいから、教えたこと、全部覚えてくれるの。いつものあのネパール女性は、子供に会いにネパールへ帰ったわ、3ヶ月も。帰る日が近づいて来ると、彼女、もう仕事どころではなくなってしまって….。
彼は弁護士志望の学生さんなの。知らない世界を見て、経験を増やしたいそうよ」
 ネパール女性の代行が東大生とは! 彼の客に対する応対は極めてすばらしく、話し方も丁寧であった。
 私はつい興奮して、「あら、すばらしい! 毎日、食べに来たいわ」と、ついつい言ってしまった。

へんないきもの展

 昨日、サンシャイン水族館へ行った。特別企画として、「へんないきもの展」をやっていたので、どんなに変なのかを知りたくて、覗いてみることにした。
 ところが、予想外に混雑しており、「へんないきもの」とゆっくりご対面することができなかった。彼らは確かに「へんないきもの」ではあったが、うらやましいことに余裕のある面構えをしていた。そして、無駄な動きがなく、この世の時間を存分に呼吸している。その姿を見て、あれもこれも欲張る人間のほうが…….。
 そうだ、彼らから見ると、人間さまのほうが、よほど変な生き物であることよ。そういう感じが彼らの目から感じ取れた。
 時間に追われない彼ら。荷物を持たない彼ら。余分な食べ物を求めない彼ら。ひるがえって人間の行動、そして、欲望たるや、エンドレスだ。
 「へんないきもの」を見て、あらためて教えられた。人間のほうがはるかにおかしな生き物であることを。

6月の企画 「絶対に通じる旅のタイ語」

早いもので、5月も半ばを迎えた。タイが大好きな方達は、すでに夏休みの切符を取っておられるが、タイ語をもっとたくさんしゃべりたいと思うのは誰しも同じである。
 そこで、6月の土曜日11時から12時半まで2週間にわたって、「絶対に通じる旅のタイ語」という企画を組んだ。タイ旅行を楽しく、思い出深いものにするには、タイ語が重要な役割を果たす。タイ語をタイ人と話すということ自体が楽しい。そういう方達は、ぜひともこの企画に参加し、タイ語を少しでも覚えてから出かけてもらいたい。
 5年ほど前に「ワンコイン講座」を開催したことがあるが、その時に受講された方が、その後、泰日文化倶楽部に入会され、こつこつ勉強された結果、3年でかなりのタイ語力をつけられた。
 習い事は、何かのきっかけが肝心である。是非、やる気を起こして、刺激を求めて、まずは、「絶対に通じる旅のタイ語」に参加しよう!

救世主のトン君

昨日は一日中、大変な思いをした。心臓がつぶれそうであった。いきさつを言うと、こうである。
 午前9時半過ぎ、H先生からSMSが入った。内容は、「他のアルバイトが見つかったから、今日からもう教えに行きません」、というものであった。この先生にはいつも振り回されてきたが、ついに堪忍袋の緒が切れた。しかし、相手はすでに離れて行ってしまっているわけだから、とにかく夜の授業の講師を探さなければならない。幸いにも、27年ぶりに再会したS先生が急場を救ってくださることになった。
 だが、もう一つのクラスが有る。私が教えればいいのだが、見学者の対応でいつも忙しい。ゆっくりと授業をしていることができないのである。
 ところが非常に不思議なことが起きた。夕方5時前に、私の窮状を全く知らない生徒のR子さんから、「あのー、私の友人がタイ語を教えたいと言っているのですが….。先生のところで雇ってくれませんか?」と言われた。私はすぐにOKを出した。そして、その彼と何とか連絡がつき、19時きっかりに彼は706号教室に現れた。 
 名前はトン君。「木」かと思ったら、そうではなくて、もう一つの意味である「元」とか、「始め」という意味であった。
 トン君はとても利発な顔をしており、英語も得意だ。4月に来日したばかりなのに、日本語も上手である。彼は誠実な態度で、夜10時まで、しっかりとタイ語を教えてくださった。

ホーチミンからカード

「4月からベトナムへ取材に行きますので、しばらくお休みさせてください」と言っていたアナウンサーのE子さん。その彼女から、先日、泰日文化倶楽部に可愛いカードが届いた。
 「お元気ですか?ベトナム生活もあとわずかです。毎日、元気に施設を回って取材をしています。あの時教わったベトナム語ですが、やはり値段交渉での使用頻度が非常に高く、日々<値切り>に精進しています(笑)。帰国して仕事が落ち着いたら、お土産を持って教室に伺いますね。6月からタイ語も復活しますので。Mさんにもよろしくお伝えください」
 とても活発なE子さん!彼女の奮闘ぶりが十分に想像できる。
 ところで、カードの最後に書いてあるMさんであるが、彼は泰日文化倶楽部のベトナム語クラスでめきめきと学力をつけた優等生である。E子さんがベトナムへ行く前に、2回にわたり、ベトナム語の特訓を彼女にしていただいた。それがとても役に立ったようで、私も嬉しく思う。

母の日の光景

昨日は「母の日」であった。元韓国語講師のY氏は、数日前に私にサプライズを与えようとして教室にプレゼントを持って来てくださったが、あいにく私は外出中であった。韓国の方の律義な態度には毎年、感銘を覚えている。
 福岡在住のI氏からも電話が有った。「先生、母の日なので電話をしました」 声を聞いただけでもう十分と思っていると、「娘と話してください」と言うではないか。その娘さんは小学校3年生。ものすごくはきはきとした話し方に、語学教師である私も負けじと頑張って話した。
 そのあと、教室の前にある定食屋へ行った。隣りに座っているのは、若いお母さんと小学1年生らしき娘。ところが、そのお母さんは娘と全く話すこともなく、スマホとIパッドの両方をいじりながら、何かを入力することに没頭している。時間にして、20分。私が食べ終わっても母子の間に会話はなかった。
 娘が一言、言った。「食べ過ぎて、お腹が苦しい」。だが、その母は娘の言葉に反応することもなく、スマホとIパッドに夢中であった。

現在と記憶のあわい

高田馬場駅前にあるFIビルには芳林堂書店が入っている。その芳林堂の4階の隅っこには「古本横丁」というコーナーが設けられている。新刊専門の書店が古本も、とは! とても懐かしい装丁の本が並んでいるので、私にとってはタイムスリップした気分を味わわせてくれる一角だ。
 先日、『書庫の母』(辻井喬著・講談社 2007年)を買ったが、帯の文句にこう書いてあった。<生と死、現在と記憶のあわいを描いた珠玉の作品集>
 この中で、<あわい>という言葉に惹かれた。これは、形容詞の<淡い>ではなくて、名詞形で使われている。なんだか分かったようで分からない単語だ。そこで、ネットで調べると、次なる意味が書かれていた。
 「物と物、時間と時間、人と人など、それらの距離や時間的な相互の関係性や隔たりを、<あわい>という」
 どうやら、仏教的なとらえ方のようであるが、殺伐とした昨今、あふれかえる情報に振り回されるのをやめて、少々、この単語の深さを味わってみたい。