2月24日午前4時40分、スワンナプーム空港に到着。タラップを降りて、滑走路の端で待っているバスに乗り換える時、「ああ、タイに来た!」という気持ちが押し寄せてくる。この気持ちは40数年来、全く変わらない。
スクムビット通りに面したソフィテル・ホテルに午前7時半、チェックイン。窓のカーテンを開けると、眼下に小さな公園。緑がさわやかであった。バンコクはいつ行っても新しいビルが誕生しており、見せかけの発展は、いまだ留まるところをしらない。次回、来た時には、果たして緑の部分はどのくらい残っていることやら…..。
公園の横にバンコク銀行を見つけた。午前10時半、そこへお金を下ろしに行く。銀行の受付係は女性ではなくて、小柄でなよなよとした若いお兄ちゃんであった。引き下ろす紙に、私の通帳を見ながら私の名前をそのお兄ちゃんが書いてくれる。それって余計なお世話なんだけどなあ….??
片やカウンターの中に居並ぶ銀行員はすべてが威風堂々とした女性達ばかり。日本では全く見かけることのない光景に、つい可笑しさが込み上げて来た。
タイへ行きます!
今日の深夜から、タイへ行きます。帰国は3月1日(土曜日)の夜です。
マイレージが切れるので行くだけですが、行くからには教科書を購入してきたいと思っております。私がいつも行く教科書会社は民主記念塔の前に在りますので、果たして安全なのか否かはわかりません。だめであれば、チュラロンコーン大学の書店を行ってみるつもりです。
私とタイとの出会いは1969年。今年で45年になります。当時は軍事政権でした。その後、民主政権が誕生した時にはタイの将来に明るさを覚えたものですが、今のタイの混迷には憂慮しています。旅行した方達のみやげ話を聞いていると、お祭り騒ぎだと言います。しかし、それは表面的な現象にすぎないでしょう。
タイの混迷はまだまだ続くと思います。その混迷の空気を吸って、タイの今後について、いろいろと考えて来るつもりです。
新しい講師の愛称はヒカル
ミミ先生がお辞めになったので、かねてより紹介されていたカノックポーンさんを代わりの先生として採用することにした。面接をすると、バンコクで日本人に個人的に教えたことはあるとのことであった。
彼女の愛称はヒカル。お母さんが日本人の歌手が好きで、その歌手の名前からつけたそうだ。生徒の皆さんが、一体、どの歌手だろうと詮索した。結局、西田ひかるに落ち着いたが、果たして合っているかどうかはわからない。
ヒカルさんをヒカル先生に仕立て上げるには、少し特訓をする必要が有る。昨晩、彼女に教室に来てもらい、彼女には発音だけ、そして、私は授業展開をはかって90分を無事に終えた。
授業中、ヒカル先生に向かって、生徒の発音で気になった点を尋ねると、「ng と nの発音がはっきりしていません」と答えた。
そこで、私は、ngや nで終わる単語や文章を生徒に言わせた。例えば、「2時間、教える」、「タイ料理をごちそうする」、等々。そして、末子音がnばかりで終わる文章も言わせた。「日本人が日本料理店で日本料理を食べました」
すると、生徒の一人が言った。「よく、そのように、すかさず例題が浮かびますね」
私は自信を持って答えた。「40年以上もタイ語を教えていますから」
フランス語のリエゾン(連音)
そろそろ冬季オリンピックも終わりに近づいた。時差の関係で夜中のTV中継はきつかったが、女子フィギュア・スケートが終わったので、もう普通の日常生活に戻りたいものだ。
今朝は、フランス語の振替え授業が有った。10時半までに着くように急いで教室へ行く。今日の授業も内容が盛りだくさんであったが、単語はなかなか覚えられない。忘れてばかり。だが、タイ語の文字から離れて、アルファベット文字を読むと新鮮な気分になれ、刺激的だ。
ヒアリングの勉強で、26歳のフランス女性が、5日後にシカゴへ向かい、そこでアメリカ人にフランス語を教える予定であるという内容を聴かされた。その中で、「USAに於いて」という単語が出てきたが、フランス語では、aux Etats Unis と表記し、それを連音化して読むと、「オゼタジュニ」となることを教わった。「USAで」が、オゼタジュニ とは! 聞いても想像がつかない。慣れるしかないようだ。
いずれにせよ、リエゾン(連音化)だらけのフランス語は発音もヒアリングも難しい。
サラリーマン川柳
サラリーマン川柳(主催:第一生命保険株式会社)のことはかなり前から知っていたが、昨日、2013年度のベスト10を選ぶ候補作品が発表されていた。その中に、「妻不機嫌 お米と味噌汁 お・か・ず・な・し」というのが、ネットのニュースの見出しとして取り上げられていた。これは、東京オリンピック招致運動の時のあの「お・も・て・な・し」を連想させるものであることは明らかだ。
それにしても、俳句(五七五)や短歌(五七五七七)で、日本人は昔から<五音節>に親しんでいるので、いくらでも単語が作れる。余裕なし、時間なし、気力なし、そして、お金なし、等々。
「~なし」シリーズで句を詠めば、なんだかじわじわっと哀感を覚えるが、それを川柳で面白おかしく持って行くのが、これまたいい。
サラリーマンはサラリーマンで、主婦は主婦なりに、そして、老人は老人として、深い深い哀感に包まれている。哀感を詠んでいるうちに、人間や万物に対して「哀歓」の域にまで達すると、人生の妙味が濃くなり、生きている実感が持てる。
女性の映画監督
高田馬場2丁目に在る古本屋が閉店するらしく、本の大バーゲン・セールをやっている。日曜日の午後の授業が終わり、散歩がてら歩いて帰宅する時の途中にある店だが、いつ行っても人が入っていない。ああ、ついに廃業か…..。
この店にはなかなかいい本が置いてある。そこで、『映画をつくった女たち』(松本侑壬子著・シネマハウス刊 1996年)を購入。副題として、「女性監督の100年」と書かれてあったので、興味を覚えた。映画史の中で、女性の初代映画監督は、フランス女性で、1896年であったことが<まえがき>に書かれてあった。従って、著者は100年を機にこの本を書いたとのこと。
日本女性が数人ほど紹介されているが、私が知っているのは、左幸子と田中絹代だ。現役では河瀬直美が大いに活躍している。私の出身大学の先輩が映画を撮っていたことも初めて知った。
ところで、私は田中絹代の講演会に行ったことがあるので、直接、彼女のオーラに接した。そして、感じたことは、「凛」。小柄な体格なのに、きりりとした態度。彼女の履歴を読んで、67歳で他界したことを知り、考えるところがあった。
タイ僧侶の法話
今月、タイへ行かれた生徒さんからタイのカレンダーを頂いた。それには、ランパーン県在住の高僧(หลวงพ่อเกษม เขมโก)の法話が書かれてあった。とてもいい内容なので、生徒の皆さんの勉強のために、以下にご紹介させていただきたい。
ป่าเป็นธรรมชาติ ธรรมชาติไม่ได้บอก ให้เราคิดเพ้อเจ้อ ฟุ้งซ่าน แต่มนุษย์ ไม่ได้ทำตามหน้าที่ ตามธรรมชาติ คิดเก่ง คิดชอบ คิดไร้สาระ คิดเอาแต่ใจตัวไม่รู้จบ มนุษย์ทำเกินหน้าที่ของตัว ไม่ทำตามธรรมชาติ เมื่อใจมนุษย์ถือมั่น (ธรรมชาติ) ความทุกข์ก็ไม่มี มีแต่ประโยชน์
宿題にします。翻訳して来てください。
金メダル & 銀メダル
羽生選手の金メダル、そして、葛西選手の銀メダルで、テレビは一日中、その話題でもちきりだ。
ところで、アナウンサーやレポーターの発音を聞いていると、私には銀メダルが金メダルに近いように聞こえる。聴力が鈍ってきているのかなあと心配になったが、その理由は、タイ語のせいかもしれない。
タイ語を教える際、無気音のkaa,kii,kuu,kee,koo と有気音のkhaa,khii,khuu,khee,khoo を指導するが、日本人にはその違いを聞き取るのがものすごく不得手である。聞き取れないから、正しく発音することができない。
無気音のkaa を説明する時、私は、「ガー」と「カー」のカタカナを白板に書き、濁音の「ガ―」の点を一つとり、生徒には、「ガ-」と「カー」の間ですよと言うことにしているが、彼らには発音が極めて難しいようだ。
タイ人が発音すると、「長野」も、「中野」もほとんど同じに聞こえる。ということは、タイ人にとっても、日本語の「ガ-」と「カー」がよく分かっていないと言えよう。
金メダルを狙ってきたスポーツ選手に対して、「金でも銀でもいいじゃないですか」と言うと、失礼になるかもしれないが、「金」に限りなく近い「銀」も有るはずだ。
義務(หน้าที่) vs 責務(ภาระ)
昨日、「タイ語中級 土曜日14:00」のクラスの生徒さんが、タイ人講師に質問した。
「หน้าที่ と ภาระ の意味の違いを教えてください」
タイ人講師は丁寧に説明した。横でいた私も実例を挙げて、分かりやすく説明した。「หน้าที่(ナーティー)は、子供の義務、社会人としての義務、職務は何であるか、というように使われます。それに対して、ภาระ〈パーラ)は、子供を育て上げて、親としての責務、任務、すなわち、親としてのつとめが終わった、というように使います」
辞書を引いても、よく似た意味の場合、使い方がわからないことが多い。例題を伴って、使い方を覚える必要がある。
そういう意味では、タイの小学校の教科書を何度も繰り返して読むといい。そして、話の内容を覚えると、類似性のある単語の用法が自然に身についていくこと、請け合いだ。
雪かき という単語
昨日は、朝から夜の授業を休講にすべきか否かでずっと迷っていた。午後になって、金曜日のクラスを担当されているボン先生に教室に来ることができるかどうかを電話でたずねると、「大丈夫です」という元気な返事をもらった。私もスタンバイするつもりであったので、普段通り、授業を実施することにした。あとは、生徒それぞれの判断にまかせ、夜を待った。
生徒達の中で、神奈川県や埼玉県に住んでおられる方達は、「帰りの電車がなくなると困りますので、休みます」というメール連絡をしてくださったので、欠席であることは了解した。しかし、高田馬場1丁目や落合に住んでおられる超近隣の住民である生徒達は絶対に休むはずがないので、彼らを待った。
ボン講師の授業を横で聞いていると、この1週間は雪の話が多かった。中でも、「雪かき ตักหิมะ」という単語を頻繁に取り上げていた。「ตัก すくう」という単語は、「御飯をよそう ตักข้าว」、「水をすくう ตักน้ำ」、「スープを椀に入れる ตักซุป」 そして、「托鉢 ตักบาตร」の中で使われる動詞だ。(注:托鉢の場合は、タイでは善男善女が僧侶の鉢の中にご飯を掬って入れることであって、日本語の使い方とは逆である。)