澤田美喜 と エリザベス・サンダース・ホーム

旧岩崎邸のサンルームには、そこで撮影された岩崎家の家族写真が置かれてあった。真ん中に立っているのは、岩崎久彌氏(御当主・三菱財閥第3代目総帥)の長女である美喜。外交官と結婚してからは澤田美喜。
 彼女が戦後まもなくしてエリザベス・サンダース・ホームを開設し、米軍兵士との間にできた混血児を引き取り、混血児救済に精魂を傾けた彼女の活動には、私も戦後生まれだけによく耳にした。
 外交官夫人としてイギリスにいる時、彼女はロンドン郊外にある孤児院の施設を訪問し、「すべての子ども達が人として生きる権利を擁護する働き、<中略>、子ども達が貧困や虐待、差別から解放されること、逆境や障害に出会っても立ち向かい…<以下割愛>」という理想を学んだことが、エリザベス・サンダース・ホームの設立につながったそうだ。
 澤田美喜は東京女子師範(注:現在の御茶ノ水女子大学)を退学し、津田梅子女史に直接、英語を教わったとのこと。それは外交官夫人の時、大いに発揮され、錚々たる友人を得た。外交の場所で視野を広げ、血となり肉となった精神を、46歳から78歳で亡くなるまで孤児救済に向けた。彼らの学ぶ学校まで創設し、働く場所としてブラジルに農場まで開いた。
 Wikipediaでは、彼女の肩書を社会事業家と書いてある。彼女の精神は今も継承されている。新聞紙上をにぎわしているタイの代理出産ビジネスとは、そもそも理念が異なるのだ。