インドラ神の智慧

トン先生が旅行中なので、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスを代講した。生徒さんから経済用語を知りたいという要望が出たので、「契約する ทำสัญญา タム サンヤー」という単語を教えてあげた。
 「สัญญา サンヤー」というタイ文字を見ると、見るからにパーリ語から由来していることがわかる。そこで、ついでに、「ปัญญา パンヤー 智慧」という単語をホワイト・ボードに書いた。タイ文字表記がきわめて似ているからだ。
 すると、一人の生徒さんが反応した。「私がよく行くタイのゴルフ場の名前が、パンヤー・インドラといいます」
 そこで、私は言った。「ああ、それはインドラ神の智慧という意味になりますね。すばらしいネーミングです!」
 インドラ神は、「金剛杵を武器として悪者を退治する神であり、武勇の神である」と辞書には書かれている。そのゴルフ場でプレーすると、しっかりとした戦略、そして、聖者の智慧が湧き出てきて、きっといいスコアが出ることであろう。

信仰と長命

私の大学時代の先生(学寮の舎監)が90歳を迎えられたので、お祝いの電話をかけた。お声ははっきりとしておられたが、車イス生活になっているとのこと。
 「私の入っているホームは千葉県で最高にすばらしいところです。女子大卒の方達が全部で8名。そのほかに、高校時代の先輩や、私の従妹も入居しているので、誕生日にはお茶とケーキでお祝いしていただきました。私が体調をこわすと、皆さん、代わる代わる顔を見せてくださるので助かります。入居しておられる最高齢者は106歳の男性。102歳の女性もおられます」
 先生と20分ほどお話して、私は安心した。そして、考えた。先生が何故、さわやかにお過ごしであられるかを。先生は敬虔なるキリスト教徒であられる。筋金入りの信者だ。祈るお姿を何度も拝見したことがあるが、そのたびに我が身を恥じた。
 いずれの宗教でもかまわない。信仰は言葉の神髄を深めることができる。それを追及して日々、研鑽を積めば、100歳までは生きられると思う。

塾とは

昨日、『人間の生き方、ものの考え方』(福田恆存著 文藝春秋刊 2015年2月)を購入。著者の福田恆存氏(1912-1994)の講演は聞いたことがある。今から48年前に、東京女子大学で。彼の奥様が東京女子大学の卒業生であったから、その縁で講演を引き受けてくださったものと私は勝手に解釈していた。なにせ、彼は当時、超有名な評論家であったのだ。
 この本は副題が、「学生たちへの特別講義」となっているから、とても読み易いし、わかりやすい。まだ読み始めたばかりだが、次なる文章が気に入った。
 「教育ということですが、今日の教育というのは全部集団教育を意味しているようです。学校教育というものはみなそうなのです。この合宿教室で行われているのは塾というものに近いと思いますが、教育の本来のあり方は塾なのです。学校では本当の教育など行われていない、そこで行われているのは、教育の一分野である知識の伝達ということなのです。<以下略>」
 学生との合宿は昭和37年(1962年)に行われている。すでに53年が経過しているが、この文章はとても新鮮だ。

元生徒さんの帰国報告

泰日文化倶楽部でタイ語を学び、タイへ駐在に行かれた方達は多い。昨日、5年半の駐在生活を終え、1月末に本帰国されたK氏が上京がてら、教室にご挨拶に見えた。
 K氏は仕事の関係で静岡県にお住まいだ。東京までの交通費は新幹線を利用すると、往復約1万円もする。したがって、泰日文化倶楽部に復帰することは無理。
 「帰国する前にタイ人達が開いてくれた送別会では、タイ語でスピーチしました。ですから、なんとかしてタイ語の力をキープするため、毎日、独学してます」
 それは立派な心がけだ。何故ならば、タイにいる時はそこそこタイ語ができたのに、日本に帰って来て時間が経つと、驚くほど早くタイ語が抜けていっているのがわかるという方達が大勢いらっしゃるからだ。
 私はK氏に言った。「東京にいらっしゃる時は、是非ともビジターとして、泰日にタイ語を習いにいらしてください。グループ・レッスンも楽しいですよ」

街頭インタビュー

昨日、霞が関界隈を歩いていると、テレビ制作者がマイクを私に向けてきた。私は無視してその場を急ぎ足に立ち去った。
 テレビを見ていると、街頭インタビューに気軽に応じてしゃべっている方達が多いが、顔や姿まで全国に流されるわけだから、誰が見ているかわからない。よほど容姿に自信がないと、そして、ちゃんとした服装でないと…..。そう思うのは私だけかも。
 断った第一の理由は、霞が関という場所柄、そして、たまたま財務省前であったから、政治的、経済的な意見を求められると思った。ほんの30秒程度でまとまった意見を言えるはずはない。「えーと」、「あ~」、「ウーン」と言っているうちに、終ってしまいそう。
 街頭インタビューをテレビで見たり聞いたりしていると、賛成派と反対派を必ず登場させている。なるほど、どちらの意見ももっともだなあと思っているうちに、結局はわからなくなる。

牛舌餅

 台湾の土産といえば、パイナップルの入ったお菓子が通常だが、先日、「牛舌餅」というお菓子をいただいた。餅と書いているがクッキーだ。「猫の舌」という名前のクッキーなら昔からよく知っているが、「牛の舌」は初めて。大きな形をしていて、ややグロテスク。やはり、猫の舌のほうが可愛くていい。
 タイの動物園で、キリンに餌を上げたことがある。キリンの舌はこれまた巨大。長い舌を出してきて餌をねだられると、手まで巻き込まれそうで少々怖かった。
 舌の話ばかりしているが、ここらで本題を。実は発声するにあたっては、舌の動かし方、そして、舌の位置が重要である。L音とR音の相違は舌の動かし方で決まる。末子音の~t音、~k音、~n音、~ng音は、舌の位置によって明瞭に発音できるわけだから、舌の使い方はまことに重要である。

言葉のとらえ方

 昨日、信号待ちをしていたら、子犬を連れて散歩するご高齢の女性がやって来た。子犬は私を見ると、私に近づきたそうにして、しっぽを振りながらぐるぐると動きまわった。私は飼い主に「さわってもいいですか?」と許可を得てさわった。子犬は興奮して、じっとしていない。よほど私のことが気に入ったとみえる。
 すると、飼い主が言った。「この子、勘違いしているんですよ。知り合いの方だと思ってるのだわ」
 私はあらあらと思い、「どうしてかしら?」とたずねると、「体型がそっくりだから」と、彼女は答えた。
 なになに、体型? 太っているってこと? 犬は臭覚で人を見分けると思っていたが、体型とは! だが、聞きようによっては、むかつく人もいるのではなかろうか?
 昨今、たった一言の言葉で人間関係がぎすぎすして、裁判沙汰にまで発展している。私は笑って済ませる訓練をしよう…..。

天職

昨晩、NHKの番組で、岐阜市内の駐車場で行われている「夜市」のことが放映された。客達から<やっさん>と呼ばれている80歳のおじいさんが取り上げられていたが、彼の言葉、そして、行動に感銘を覚えた。
 やっさんは50年間の長きにわたり、その駐車場で野菜を売り続けて来たそうだ。父親の残した畑で野菜を栽培し、それを軽トラで運んで来ては売り続けること50年。健康でないと、そうそう続けられるものではない。背中は曲がっているものの、客との応対はしっかりとした口調で通している。
 「天職です。ですから、まだまだ頑張りますよ」
 自分で作ったものを、仲介業者を通さずに、待ちわびている客のもとに運んで来て、そして、対面販売をする。客それぞれに優しい。
 彼の口から出た「天職」という言葉は、まさしく本物である。

もみじ(鶏足)

昨日、ひょんなことで、鶏足のことを業界用語では「もみじ」ということを知った。なるほど、形状から見て紅葉の形をしている。日本人のネーミングの絶妙さ! ひどく感心した。
 鶏を使っての料理と言えば、アジア・アフリカ語学院で中国語を教えておられた李先生という中国女性をいつも思い出す。
 彼女は中華料理の先生でもいらしたので、私が研修生達と一緒にタイ料理を作っている時に、鶏の胸肉の皮をはいで、それを捨てていると、きつく言った。
 「あら、一番おいしいところを捨てるの? 捨てちゃだめよ。ゼラチンがいっぱいあるんだから」、と。
 日本人は鶏足をあまり食べない。いや、それは私だけかもしれない。40年前にバンコクで、タイ人から鶏足が入った水たきをごちそうになったことがあるが、気持ち悪くて敬遠した。
 しかし、大分県日田市のほうでは昔から食べており、今は通販していることをネットで知った。
 まだまだその道の業界用語はたくさん有りそうだ。必要性が無ければ知らなくてもいい。だが、新しい単語を知るということは、それはそれで面白い。

今日は目白駅130周年

山手線目白駅構内には、「めじろ mejiro news 第14号」が置かれている。<目白駅は130周年をむかえました>という赤字の見出しが目に飛び込んできた。
 タブロイド版の新聞を読むと、目白駅の開業が1886年3月16日であることを初めて知った。そして、「本来の山手線は品川駅から渋谷新宿を通り、板橋から赤羽までだ。品川線ともよばれた。ほぼ直線にできている」、「目白駅は、品川から赤羽の開通後2週間たってから開業している。しかも目黒駅とおなじ日に開業している。不動の語呂合わせなのだろうか。目白駅開業時は品川赤羽間は一日四往復だった。汽車がひっぱって、一日八回停車したことになる」
 目白は作家や画家がたくさん住んだ町である。目白三平という小説の主人公(作家は中村武志氏)も目白生まれ。昔の人々が目白駅を乗降した日々を諸本から探し出すのも、これまた楽し。