個人レッスンのM子さん

そろそろ2017年も終わり。そこで今年の生徒数の集計をしてみた。すると、前半よりも後半に個人レッスンを受講される方達が増えているのがわかった。これは景気と関係していること? だが、必ずしもそうではなさそうだ。やはり集中して勉強したいという意欲の持ち主がやって来られるというわけだ。
 先週から10回限定で個人レッスンを選ばれた女性(M子さん)がおられる。理由を尋ねると、ちょうど仕事に一区切りがつき、来年から始まる次の新しい仕事に就くまでの間、以前から勉強したいと思っていたタイ語を思い切って勉強することにしたとのこと。
 10回(15時間)では『タイ語入門』の半分しか消化できない。しかし、M子さんは韓国に留学し、韓国語をマスターしておられるだけあって、語学の学習の仕方を会得しておられる。したがって、集中する能力が高い。語彙数を増やすのは毎日、自分で努力すれば増える。だが、タイ語の声調と発音の仕方だけは自分一人ではどうしようもないので、それらの重要性を強調しながら、授業は順調に進んでいる。

方言(ภาษาพื้นเมือง)

昨日のNHKのど自慢大会は石垣島からであった。出場者のうち、高齢者の女性が歌を歌ったあと、土地の言葉でペラペラとしゃべったが、何を言っているのかさっぱりわからない。タイ語よりも難しかった。しかし、ぬくもりのある音が連続して伝わってきて、心地よさを感じた。
 先日、生徒達から「タイにも方言が有りますか?」という質問を受けたが、タイ語を長く勉強していて、南タイへ数回行っているA子さんが、「もちろん有りますよ」とすかさず答えた。岩手県出身の彼女はさらに続けた。「岩手の場合、山を越えれば、もう言葉が変わります」
 タイ語で、方言のことを「ภาษาพื้นเมือง パーサー(言語)+プーン(地面)+ムアング(国)」という。この場合の「ムアング 国」とは、いわゆる昔の「藩」のことであり、我々が「国もとに帰る」の地元を指す。「お国の地面を這うようにしては話される言葉」が方言というわけだ。
 標準語は情報を伝達するだけだが、方言は、その土地の土から生まれて来た言葉なので、土地の精霊が一語一語に乗り移った感じがする。

ラッキーなサーミー(御主人)

「タイ語中級 金曜日19:00」と「タイ語入門 日曜日16:10」の2つのクラスを教えている指輪先生のことについては、3ヶ月前のブログにも書いた通り、既婚者であり、御主人との話し合いの結果、子供を持つことよりも研究の道を選び、留学して来られた。そのため、御主人が毎月、東京に飛んで来られている。
 昨日、授業が終わって一緒にエレベーターに乗った時、指輪先生は嬉しそうにおっしゃった。「主人ね、また宝くじに当たったの」、と。 
 すでに2回も宝くじに当たった話を聞かされていたから、今回は3回目! なんとラッキーなサーミー(สามี 御主人)であることか! よほど運がいい。たとえ1回の賞金が2万バーツ(約6万9千円相当)であれ、それは飛行機代になる。
 とはいえ、宝くじで持ち金をはたいてしまったタイ人の話も聞いたことがあるから、人それぞれ(แล้วแต่คน)だ。

タイ人が日本の介護に参入可

昨日、外国人の研修生の采配をする会社で働いている元生徒さんから電話が有った。
 「これからは、タイ人研修生も日本の介護の仕事に参入することができるようになりました。それに先立って、タイ人達に日本語を教え、日本語検定試験のN3を取らせなければなりません。N3の資格が取れなければ、タイへ帰国となります。つきましては、日本語教師の資格を持った方を紹介していただけませんか?」
 「日本語学校に問い合わせれば?」と、私は答えた。
 しかし、彼女の考えでは私に依頼したいとのこと。私も日本語教師の免状を持っているが、71歳の今、責任有る仕事は重い。
 いずれにせよ、私が入院していたヘルパーさん達が言っていた。「私達も20年先は腰痛で介護してもらわなければならなくなります」、と。タイ人が介護してくれると優しいので、介護される者はきっと喜ぶと思う。問題は日本語能力検定試験だ。

ドイツ人の働き方

去年から、ドイツに住んでおられる日本人と知り合いになったので、少しはドイツのことを知ろうと思って、『5時に帰るドイツ人 5時から頑張る日本人』(熊谷徹著 SB新書 2017年10月)を買って来て読んだ。本の帯に、「なぜドイツは1年の4割しか働かなくても経済が絶好調なのか? 有休消化率100%以上 夏休み2週間以上 仕事の生産性は日本の1.5倍」にと書かれているが、内容もその通りであった。
 著者は、こう書いている。ドイツ語には、日本語の「頑張る」に100%あてはまる言葉は存在しない。「結果はだめだったが、よく頑張った」という誉め言葉は有り得ないのだ。ドイツでは、結果が悪かったら、無駄な労働時間を費やしたとして批判されるだけ。
 今年も余すところ1ヶ月になったので、来年に向けての働き方改革を練らなければならない。上記の書を読んでいると、「~のために骨を折って頑張る」、「骨身を削って」、「骨抜きにされる」という表現は、個人主義のドイツ人には関係ないと書いてあった。読書をしていても、骨折後だから、「骨」という漢字に異常なほど目が行く(笑)。

順調なタイ語教室

今年10月に泰日文化倶楽部は創立満29周年を迎えた。あと1年で30周年になるので、「よし、頑張るぞ」と自分に気合いを入れたにもかかわらず、階段を降りたところで着地に失敗。足の筋力が不足していたことが第一の原因だが、よくよく考えてみれば、長年の疲労がたまっていて、足のほうに疲労骨折があったようである。
 やむなく1ヶ月余、戦線離脱をして教室を離れていたが、その間、タイ人講師は普段通り授業をやって下さり、生徒達はマイペースで通って来てくれたので、教室の運営が右往左往することは全くなかった。タイ人講師に掃除を頼んだり、生徒にごみ捨てをしてもらったので、教室が汚くなることはなく、普段通り実に順調に進んだ。
 問題はタイ人講師達への講師料の支払いが遅れたことだけだ。いずれの先生達も気持ちよく待ってくださった。したがって、退院後の私の仕事は講師料計算であった。10月分と11月分の講師料を全員の先生にどうにか無事に渡すことができ、今朝は退院後、初めてほっとしている。

タイ語でリハビリは何と言うか

 かつて何人かの生徒達を見舞った折りに、リハビリ中の姿を見たことがある。だが、その時には外部者として「ああ、やっているなあ」としか思わなかった。今回、自分がリハビリをする必要にみまわれ、そのリハビリの大切さを身に染みて感じ取った。
 リハビリは、タイ語で言うと、「กายภาพบำบัด kaai-ya-phaap bambat」。กายภาพ(kaai-ya-phaap)を辞書で引くと、「無生物に関するもの」と書いているが、ここでは、กาย(体 kaai)+ ภาพ(状態 phaap)=体の状態と理解したい。そして、บำบัด(bambat)は、「治療する」という意味だから、前者と後者を併せると、「体の状態を治療する」となる。よって、リハビリという単語が生まれたわけだ。
 リハビリは本当に重要である。専門の指導者につくと、リハビリの効果は確実に上がるはず。いずれにせよ、元気になろうという意欲の支えがなければ、回復は遅々として鈍る。

病院で働く人々

病院は外来で行った時と入院した時とでは見えるものが違う。1ヶ月余の入院中、シフトで働く看護師達やヘルパーさん達の話し方に私は注目。そして、失礼を承知で数人に出身地をたずねてみた。
 中年のヘルパーさんは、「盛岡。でももうずっと帰っていません」と答えた。
 うろうろするおばあちゃんが見当たらないと、「あんれまあ。どこさ行ったべ」という福島県出身のヘルパーさん。
 女児のように頭上の髪だけを束ね、あとは全部刈り上げているユニークな髪型の看護師の話し方は独特であった。宮古島の出身だとのこと。若い看護師は静岡県。「婚活したい」と言って、とても明るかった。私がタイ語を書いているのを見て、目をくるくるさせた。
 お掃除のおばさんは中国人。67歳のおじさんはいつも明るい声で掃除と営繕を担当。大変そうと思っていたら、新しく青年が採用された。おじさんはその青年にいろいろなことを教えていた。ものすごく真面目な青年だ。今どきどこを探してもみつかりそうもないくらいの従順な青年。八王子から通って来ていると言う。彼のおかげで病院の廊下が急にピカピカになった。

献血好きなタクシー運転手

退院してから9日が経過。電車に乗るのはまだ怖いので、タクシーばかりを利用している。一昨日、教室に行くために乗ったタクシーの運転手さんはちょっと異色な方であった。何故ならば、後部座席に座ると、助手席から客に見えるように小さな表彰状をパウチに入れてぶら下げていたからだ。「献血、100回を表彰する」という内容であった。
 運転手は言った。「もう135回、献血していますよ。しかし、来月が最後になるんだ。1月が来ると70歳になるので、もう献血ができないんだよ。150回目にまた表彰状がもらえることになっているんだが….」
 献血は男性の場合、69歳までであることを初めて知った。
 「ところで、運転手さん、骨折したこと有りますか?」と、たずねると、「有るよ」と言って、すかさずハンドルから右手を離し、指を広げて見せた。薬指と小指が曲がっていた。医者へも行かず、リハビリもしなかったかららしい。献血は好きだけど、リハビリは嫌い。そんな感じの運転手さんだった。

物故者名簿

入院中、テレビも新聞も不要であった。スマホでネット検索ばかりしていると全く退屈しなかった。検索項目の一つとして、2015年から2017年の物故者名簿を見てみた。大学時代に教わったフランス文学の教授が今年3月に90歳で亡くなっておられることを知った。彼女のしなやかなスタイル、キリリと光るセンス、そして、「女性学」の一環として、フランス文学に登場する女性像を熱く語って聞かせてくださったのは50年前のこと。
 物故者名簿には各界で著名な方達が載っているわけだが、どんなに著名であっても、書かれているのはわずかに2行。生年月日と死亡日、及び、何をしたかという肩書がほんの数文字で表されているだけだ。
 それを見ながら、「どんな人であれ人生は2行なり」、と思った。そのうちの1行は生年月日と死亡日で埋まるから、あとの1行こそが勝負だ。濃い人生を行くか、淡々とした人生を選ぶか…..。いずれにせよ、1行なのだ。