王宮前広場へ(1)

12月8日0時20分、羽田空港からタイ航空TG661便でバンコクへ飛んだ。到着時間は午前5時15分。スワンナプーム空港では車椅子を用意してもらっていたので、入国に要した時間はわずかに10分。泰日文化倶楽部の元先生が手配してくださっていた運転手のバナナ君との待ち合わせ時間は6時半。イスに座ってのんびりと待った。
 初対面のバナナ君はすぐにわかった。いつもお世話になっていた運転手のジャスミンさんは定年で郷里に帰ったことは知っていたが、バナナ君はそのジャスミンさんの甥であることがわかり、すぐに打ち解けた。「伯父はスコータイで豚を飼っています」と聞いて、のんびりとした光景が浮かんだ。
 高速を飛ばして王宮前広場へ向かった。民主記念塔までやって来ると、ラーマ9世の御写真が黄色い花が咲く中央分離帯に20メートル間隔で置かれており、以前と全く変わりがなかった。やがて王宮前広場へ出ると、御火葬殿の尖塔が視界に入った。時計を見ると、丁度午前8時。国歌斉唱の時間であった。

王宮前広場へ行って来ます!

数日間、時間が取れたので、今日の深夜、羽田を立ち、12日(早朝)に成田に帰って来るタイ航空でバンコクへ行くことにした。最後の一席に思いをかけて予約を入れたという次第。10月にキャンセルした取材旅行。王宮前広場の御火葬場(พระสุเมรมาศ)の解体が11月末ではなくて、12月末まで延長になったというニュースを聞いてから、実物をどうしても目におさめておきたいと思っていた。チャンス到来!
 私の足を気づかって、泰日文化倶楽部の25年前の先生達(いずれも弁護士)が、私の接待と案内をかって出てくれた。有り難いことである。
 今回は自重して取材はしない。ラーマ9世からラーマ10世へと御代が変わったタイの空気を感じ取ってくるだけにとどめよう。。

一年が過ぎるのは早い

昨晩、「タイ語中級 火曜日19:00」のクラスにお邪魔した。このクラスは10月から2名の生徒に対して、チュラロンコン大学出身で東京医科歯科大学に留学中のシン先生が教えてくださっている。彼は授業後、また大学に戻って、今日行われる研究発表のための最終調整をしなければならないと言ったので、わざわざ時間を割いて教えに来て下さったことに対してなんだか申し訳ないような気がした。
 ところで、「一年が経つのは早い」をタイ人はどのように表現するのであろうか? そこでシン先生に尋ねると、次なる文章をホワイトボードに書いてくれた。
 หนึ่งปีผ่านไปไวเหมือนโกหก (一年はまるで嘘のように早く過ぎる)
 最後につけられた「เหมือนโกหก 嘘のように」の表現に、いささか違和感を覚えたが、よくよく考えれば、日本人も「嘘みたい」という言葉をしばしば発しているから、タイ人と日本人の間に気持ちの持ち方において、そんなに差が無いということになる。
 いずれにせよ、翻訳は直訳ではタイ人に通じない。逆も然り。なにか一言、味付けをすれば、生きた文章になる。

個人レッスンのM子さん

そろそろ2017年も終わり。そこで今年の生徒数の集計をしてみた。すると、前半よりも後半に個人レッスンを受講される方達が増えているのがわかった。これは景気と関係していること? だが、必ずしもそうではなさそうだ。やはり集中して勉強したいという意欲の持ち主がやって来られるというわけだ。
 先週から10回限定で個人レッスンを選ばれた女性(M子さん)がおられる。理由を尋ねると、ちょうど仕事に一区切りがつき、来年から始まる次の新しい仕事に就くまでの間、以前から勉強したいと思っていたタイ語を思い切って勉強することにしたとのこと。
 10回(15時間)では『タイ語入門』の半分しか消化できない。しかし、M子さんは韓国に留学し、韓国語をマスターしておられるだけあって、語学の学習の仕方を会得しておられる。したがって、集中する能力が高い。語彙数を増やすのは毎日、自分で努力すれば増える。だが、タイ語の声調と発音の仕方だけは自分一人ではどうしようもないので、それらの重要性を強調しながら、授業は順調に進んでいる。

方言(ภาษาพื้นเมือง)

昨日のNHKのど自慢大会は石垣島からであった。出場者のうち、高齢者の女性が歌を歌ったあと、土地の言葉でペラペラとしゃべったが、何を言っているのかさっぱりわからない。タイ語よりも難しかった。しかし、ぬくもりのある音が連続して伝わってきて、心地よさを感じた。
 先日、生徒達から「タイにも方言が有りますか?」という質問を受けたが、タイ語を長く勉強していて、南タイへ数回行っているA子さんが、「もちろん有りますよ」とすかさず答えた。岩手県出身の彼女はさらに続けた。「岩手の場合、山を越えれば、もう言葉が変わります」
 タイ語で、方言のことを「ภาษาพื้นเมือง パーサー(言語)+プーン(地面)+ムアング(国)」という。この場合の「ムアング 国」とは、いわゆる昔の「藩」のことであり、我々が「国もとに帰る」の地元を指す。「お国の地面を這うようにしては話される言葉」が方言というわけだ。
 標準語は情報を伝達するだけだが、方言は、その土地の土から生まれて来た言葉なので、土地の精霊が一語一語に乗り移った感じがする。

ラッキーなサーミー(御主人)

「タイ語中級 金曜日19:00」と「タイ語入門 日曜日16:10」の2つのクラスを教えている指輪先生のことについては、3ヶ月前のブログにも書いた通り、既婚者であり、御主人との話し合いの結果、子供を持つことよりも研究の道を選び、留学して来られた。そのため、御主人が毎月、東京に飛んで来られている。
 昨日、授業が終わって一緒にエレベーターに乗った時、指輪先生は嬉しそうにおっしゃった。「主人ね、また宝くじに当たったの」、と。 
 すでに2回も宝くじに当たった話を聞かされていたから、今回は3回目! なんとラッキーなサーミー(สามี 御主人)であることか! よほど運がいい。たとえ1回の賞金が2万バーツ(約6万9千円相当)であれ、それは飛行機代になる。
 とはいえ、宝くじで持ち金をはたいてしまったタイ人の話も聞いたことがあるから、人それぞれ(แล้วแต่คน)だ。

タイ人が日本の介護に参入可

昨日、外国人の研修生の采配をする会社で働いている元生徒さんから電話が有った。
 「これからは、タイ人研修生も日本の介護の仕事に参入することができるようになりました。それに先立って、タイ人達に日本語を教え、日本語検定試験のN3を取らせなければなりません。N3の資格が取れなければ、タイへ帰国となります。つきましては、日本語教師の資格を持った方を紹介していただけませんか?」
 「日本語学校に問い合わせれば?」と、私は答えた。
 しかし、彼女の考えでは私に依頼したいとのこと。私も日本語教師の免状を持っているが、71歳の今、責任有る仕事は重い。
 いずれにせよ、私が入院していたヘルパーさん達が言っていた。「私達も20年先は腰痛で介護してもらわなければならなくなります」、と。タイ人が介護してくれると優しいので、介護される者はきっと喜ぶと思う。問題は日本語能力検定試験だ。

ドイツ人の働き方

去年から、ドイツに住んでおられる日本人と知り合いになったので、少しはドイツのことを知ろうと思って、『5時に帰るドイツ人 5時から頑張る日本人』(熊谷徹著 SB新書 2017年10月)を買って来て読んだ。本の帯に、「なぜドイツは1年の4割しか働かなくても経済が絶好調なのか? 有休消化率100%以上 夏休み2週間以上 仕事の生産性は日本の1.5倍」にと書かれているが、内容もその通りであった。
 著者は、こう書いている。ドイツ語には、日本語の「頑張る」に100%あてはまる言葉は存在しない。「結果はだめだったが、よく頑張った」という誉め言葉は有り得ないのだ。ドイツでは、結果が悪かったら、無駄な労働時間を費やしたとして批判されるだけ。
 今年も余すところ1ヶ月になったので、来年に向けての働き方改革を練らなければならない。上記の書を読んでいると、「~のために骨を折って頑張る」、「骨身を削って」、「骨抜きにされる」という表現は、個人主義のドイツ人には関係ないと書いてあった。読書をしていても、骨折後だから、「骨」という漢字に異常なほど目が行く(笑)。

順調なタイ語教室

今年10月に泰日文化倶楽部は創立満29周年を迎えた。あと1年で30周年になるので、「よし、頑張るぞ」と自分に気合いを入れたにもかかわらず、階段を降りたところで着地に失敗。足の筋力が不足していたことが第一の原因だが、よくよく考えてみれば、長年の疲労がたまっていて、足のほうに疲労骨折があったようである。
 やむなく1ヶ月余、戦線離脱をして教室を離れていたが、その間、タイ人講師は普段通り授業をやって下さり、生徒達はマイペースで通って来てくれたので、教室の運営が右往左往することは全くなかった。タイ人講師に掃除を頼んだり、生徒にごみ捨てをしてもらったので、教室が汚くなることはなく、普段通り実に順調に進んだ。
 問題はタイ人講師達への講師料の支払いが遅れたことだけだ。いずれの先生達も気持ちよく待ってくださった。したがって、退院後の私の仕事は講師料計算であった。10月分と11月分の講師料を全員の先生にどうにか無事に渡すことができ、今朝は退院後、初めてほっとしている。

タイ語でリハビリは何と言うか

 かつて何人かの生徒達を見舞った折りに、リハビリ中の姿を見たことがある。だが、その時には外部者として「ああ、やっているなあ」としか思わなかった。今回、自分がリハビリをする必要にみまわれ、そのリハビリの大切さを身に染みて感じ取った。
 リハビリは、タイ語で言うと、「กายภาพบำบัด kaai-ya-phaap bambat」。กายภาพ(kaai-ya-phaap)を辞書で引くと、「無生物に関するもの」と書いているが、ここでは、กาย(体 kaai)+ ภาพ(状態 phaap)=体の状態と理解したい。そして、บำบัด(bambat)は、「治療する」という意味だから、前者と後者を併せると、「体の状態を治療する」となる。よって、リハビリという単語が生まれたわけだ。
 リハビリは本当に重要である。専門の指導者につくと、リハビリの効果は確実に上がるはず。いずれにせよ、元気になろうという意欲の支えがなければ、回復は遅々として鈍る。