平成最後のタイ語学習

昨日、「タイ語中級 月曜日18:00」のクラスの授業を補佐した。生徒達は「単語が覚えられない」とぼやく。
 そこで、私は助言した。「それはタイ語を話すチャンスが無いからです。単語を覚えるコツの一つは、一つの単語をポツリポツリ覚えるのではなくて、1(単語)+1(単語)=2(合成語)で覚えて行くといいですよ」
 単語をたくさん覚えることは楽しい作業だ。かつ脳みその活性化にもなる。60歳以上の人には必要な遊びだ。
 ところで、今週は平成最後のタイ語学習の週となった。月曜クラスの生徒達と次回お会いするのは、3週間後。令和に入っている。休暇中、果たしてどのくらいタイ語を勉強してくださるかしら? 果たしてどのくらい単語を覚えてくれるかしら?

お金の家?

生徒さんの一人に、「ゴールデンウィークはどこへ行かれますか?」とたずねると、彼女は「บ้านเงิน」と答えた。
 บ้านは家、เงินはお金。したがって、「お金の家」ということになる。私は興味津々になった。「お金の家って、どこにあるのであろう?」
 しかしながら、次第にわかってきた。彼女は「บ้านเกิด」と言いたかったのだ。บ้านは家、เกิดは生まれる。したがって、「実家」。
 日本人にとって、เงิน(お金)も、เกิด(生まれる)も、発音が難しい。タイ人にはうまく伝わらない。
 4月はいろいろな事故が次から次に発生(เกิด)している。池袋で発生した暴走事故の現場は、事故発生2日前に私はそこを通過したので土地勘が有る。ノートルダム寺院の火災、そして、スリランカのコロンボのホテルと教会の同時爆破テロ。次から次に事件事故が発生だ。

熨斗袋

中国人老師が結婚式を中国の2ヶ所(新郎と新婦の郷里)で挙げるため、来週の中国語の授業は休講となった。
 昨日、授業が終わったあと、4月分の講師料と一緒に、美しい熨斗袋に入れた結婚の祝い金を彼女にお渡ししたところ、サプライズであったのか、大変に喜んでいただいた。
 コンビニで売っている熨斗袋は中国製なので色が悪い。そこで、私は文具専門店へ行き、いろいろと手に取ってみながら、中国人老師にふさわしいと思われる高級な熨斗袋を選んだ。それは黄金色に輝く鳳凰が飛翔している水引がつき、地色もお金の潤沢さを意味する黄色であった。
 しかしながら、実はそれも中国製。日本ではもう作らないのであろうか。

賞味期限 19.04.20

昨晩、タイ人講師のお母様から写真付きのラインが有った。
 ขอโทษนะคะอาจานย์ขอรบกวนถามหน่อยค่ะวันหมดอายุอ่านจากหน้าไปหลังหรืออ่านจากหลังมาข้างหน้าคะ ขอบคุณค่ะ
 写真を見ると、「賞味期限 19.04.20」と書いてあった。
 タイ人講師のご両親は先週、バンコクへ帰られたばかりだ。東京で買ったお菓子を食べようとして、賞味期限に目がとまったが、果たして、「2019年4月20日」なのか、「2020年4月19日」なのか、迷ったようである。そこで、スマホ翻訳に頼ると、「2520年4月19日」と出たとのこと。
 2520年? 仏暦? 今年は仏暦2562年だから、それではあまりにも古すぎる。西暦2520年? これまたあまりにも先の賞味期限になってしまう。
 菓子箱には「生菓子ですので冷暗所に保管の上、お早めにお召し上りください」と添え書きがしてあった。
 ということは、「2019年4月20日」が一番正しい。外国人には日本の表示がわかりにくい。添え書きがなければ、「2020年4月19日」とも解釈できそうな話ではある。

タイは爆暑

タイ人講師から「เตือนทั่วไทย」というラインが送られて来た。
 รับมืออากาศร้อนจัด ระหว่างวันที่18-21 เมษายน 2562
① ภาคเหนือ  43℃ ② ภาคอีสาน 42℃ ③ ภาคกลาง 42℃
④ กรุงเทพฯ 40℃    ⑤ ภาคตะวันออก 40℃ ⑥ ภาคใต้38℃
 昨日から4日間、タイ全土に及んで、恐ろしく強烈な暑さのようである。
 「ร้อนจะตาย(暑くて死にそう)」どころか、「ร้อนแทบบ้าแล้ว」という表現に達しているそうだ。

ย & ญ の発音

昨晩、「タイ語中級 水曜日18:30」のクラスで、指輪先生(อ.แหวน)が、「ย ยักษ์」と「ญ หญิง」の発音を矯正された。
 しかしながら、「ยา yaa 薬」、「อยู่ yuu 住む」、「เย็น yen 冷たい」、「ยก yok 持ち上げる」、「ญาติ yaat 親戚」 等の単語は問題なく発音できる。
 日本人にとって厄介なのは、ยや ญに、「i母音」、または、「ii母音」がついた場合だ。日本語のヤ行から、「yii」という音が無くなっているので、日本人の耳は、ア行の中の「i イ」や、「ii イー」としてタイ語を聞き取るわけである。
 以下に列挙する単語の発音練習をしてみよう。
 ๑) ยี่สิบ ๒) ผู้หญิง ๓) ญี่ปุ่น ๔) ผู้หญิงญี่ปุ่นยี่สิบคน
๕) ยินดีต้อนรับ ๖) อาจารย์หยี่   ๗) ไม่ยินยอม   ๘) ผู้หญิงญี่ปุ่นไม่ยินยอม
๙) เป็นอย่างยิ่ง ๑๐) ยิ่งเร็วยิ่งดี  ๑๑) ยิ่งรวยยิ่งหยิ่ง ๑๒) ยิงปืน

文学散歩

昨日、三鷹へ仕事に行った。仕事は午前中で終了。そこで、午後は文学散歩と決め込んだ。
 「太宰治文学サロン」は初めての訪問であった。ゆっくりと時間をかけて全ての展示物を読んでいると、係員の女性が「他にもいろいろと行かれましたか?」と尋ねてきた。
 私は答えた。「私は45年前から三鷹のアジア・アフリカ語学院に教えに来ていますから、このあたりのことはよく知っています。しかし、この文学サロンのことは気がつきませんでした」
 その後、太宰治が心中した玉川上水沿いを歩き、骨董店にも寄った。今回はどうしても「山本有三記念館」に寄ってみたかった。邸内に入ると、初老の男性とすれちがった。文学的に言うならば、ここからロマンスが始まることになるのであるが…….。
 戦時中、進駐軍に撤収されていた和洋折衷の館は実に荘厳であった。庭も手入れが行き届いていた。庭のベンチに座って館を眺めると、タイ王国大使館の公邸と雰囲気が似ていた。

ソンクラーン便り

ソンクラーン(タイ正月)が終わった。チェンマイの日本総領事館勤務である元教え子は、小学生の息子さん2人がオートバイで走って来たタイ人達にバケツの水を何度もかけている動画を送って来た。子供達にとっては良き思い出になったことであろう。
 「先生、来年はチェンマイにいらしてください」と元教え子は書いて来たが、「ソンクラーンはやめておきます」と、私は返事した。1976年にチェンマイのソンクラーンに行った時は、私30歳。42年前の思い出で十分。
 バンコクからは、「吉祥菓子 ขนมมงคล」という詩が送られて来た。日本の和菓子にもそれぞれ季節や意味が込められているが、タイでもおめでたい菓子がオンパレード。そのほとんどが黄金色。すなわち、裕福を意味しているわけだ。
 ポルトガルから入った金糸素麺は、日本の長崎にも有るが、タイ人にとっては、次なる意味合いがあることが、送られて来たタイ詩からわかった。
 ฝอยทองความแน่นแฟ้น  กลมเกลียวแน่นเกินกล่าวขาน  สามัคคีมีมานาน  ทั้งผูกพันไม่เสื่อมคลาย

語学力を磨くには?

昨日、親戚の青年と食事をした。彼はカナダへ短期留学して帰国したばかりだから興奮していた。そして、今度はイギリスへ行きたいと言った。しかも一人で…..。
 日本に帰って来ると英語を話すチャンスがほとんど無い。彼は外国人と英語で話すことができるアプリに申し込もうか否か、迷っていた。今はお試し期間だから無料。ただし、入会すれば月額6千円。もしもリアル・ネイティブと話すことを希望すれば、その都度、お金が加算されるとのこと。
 私は助言した。「そのアプリに使うお金を貯めて、イギリスやアメリカへ旅行したほうがいい。日本で話していると、つまらない会話、とりとめもない会話に終わってしまう。現地に飛んで、現地でのトラブルを通して、英語をしゃべる度胸をつけたほうがいい」
 日本にいると、甘えが邪魔をする。英語であれ、中国語であれ、そして、タイ語であれ、若者であれば、現地へ行くのが一番いい。

タイ人講師達の英語力

「タイ語初級 土曜日16:10」のクラスは、英語でタイ語を勉強している。この話はすでに情報として書いた。しかし、さらに付け加えて書かせてほしい。
 昨日は、いつもの指輪先生が風邪のため発声が苦しそうだったので、急遽、パック先生に代講をお願いした。
 「パック先生、このクラスは英語で授業を進めてくださいね」と私が言うと、彼はすかさず快諾し、90分間、見事な英語でタイ語を教えてくださった。タイ人独特の癖のある英語ではなくて、欧米世界に通用する発音であった。
 授業後、英語が得意な理由を尋ねると、小学校から英語を習っているという。インターナショナル・スクールではなくて、タイ人が経営する私立の学校でアメリカ人講師から教わったそうだ。したがって、タイ人の美徳をきちんとしつけられながら、英語の学力もつけていったことになる。
 泰日文化倶楽部のタイ人講師達はいずれも皆、英語が得意だ。英語ができるから厳しい留学生専攻試験にも見事、合格したのは当然。
 受験英語しか習わない日本人は、使える英語を身につけるよう、なんとか意思を変更しないと、いつまでたっても世界に通用しない。