『人類学的宇宙観』(川喜田二郎+岩田慶治 講談社現代新書 昭和50年)の中に、岩田先生が次なる考えを述べておられる。長い引用になるが、その一部は以下の通りである。
「ベネディクトのいうように、西欧の罪と罰という文化に対して、日本は恥の文化だという。ぼくはもっと正確にいえば、日本と東南アジアあたり、ああいう湿潤熱帯を含む東アジア地域の文化は、恥の文化というよりも、むしろ、罪のない文化ということができると思う。その罪のない文化というのは、自然寄りかかり型で、自然というものがしだいにその力を弱めたところ、そこから文化が始まっている。文化から見れば、文化がしだいにその色彩を薄めていって、そこから自然がはじまっている。互いにまざり合っているといってもよい。そういうところがありますね」
世界はいずれの国も魅力が有る。東南アジア諸国も然り。言葉を通して、しっかりと学んでいきたい。
豪邸というタイ語
昨日の「タイ語中級 水曜日18:00」の授業で、指輪先生が白板に「คฤหาสน์」という単語を書き、生徒達に向かって「皆さん、読めますか?」と尋ねた。中級クラスだから読むことはできたが、その意味はわからない。
そこで、指輪先生がバンコクの豪邸に住む一人の女性(80歳代)をスマホの画面に出してきて、豪華な調度品と若いツバメ達に囲まれた彼女の生活ぶりを延々と話してくださった。便器までが純金でできていた。「まるで秀吉だあ」と生徒。
上述の単語(คฤหาสน์)が「豪邸」という意味であることがよくわかった。
「豪邸であることの条件は何でしょう?」と指輪先生が訊いてきたので、「美術館もあること」と私が答えると、「そうです。骨董品の蒐集がすごいんです」と指輪先生。
คฤหาสน์の2番目に出てくる「ฤ」という文字は「仙人 ษ ฤษี」というタイ文字の名称の中に登場してくる。仙人は洞穴に住むとされているのに、何とまあ、「豪邸」とは!
余談=その女性をよく見ると、仙人に見えてきたから、あら不思議。
星麩
今朝、NHKのニュースで、星形の焼き麩を学校給食に取り入れると、子供達が喜んで食べている光景が紹介された。ネットで調べると、日本橋の老舗が発案した星形の焼き麩は1988年にすでにお目見えしている。おお、泰日文化倶楽部と誕生年が同じだ。
昔の麩は大きかった。汁を吸い込んだ麩は熱すぎて食べにくかった。そして、色も悪かった。精進料理に使われる食材のイメージが強すぎて食指が動かない。しかし、現在は、星形以外に、ハートや梅の形もあるそうで、それなら夢が広がる。主役をはる食材ではないが、ワンポイントの効果は認める。
食べ物も品物も、いずれは飽きてくるものである。それを避けるために、形や色を変えて、気分を変えることは大切だ。語学の勉強もマンネリに陥らないよう、工夫をして、変化をつけよう。
クラシック喫茶店のマスター
昨日、久々にレコードを聴かせてくれる「ビブリオクラシック」へ行った。男性客が3名いた。
Aさんがマスターに言った。「『田園』をかけてください。B面だけでいいです。帰ってテレビを見ますから」
Aさんが去った後、Bさんが話し始めた。「私もレコードを2千枚買いました。私の時代は一日のバイト代が600円。3日バイトして、やっとレコードが買えたんです。マスターはすごい。1万2千枚の蒐集ですからね。」
CさんがB さんにレコード会社について尋ね始めた。Bさんの知識はものすごく詳しかった。彼の記憶力に私はうなった。
そこへマスターも会話に入って来た。そして、「今日、私、テレビに出るんです。『よじごじ』という番組です」と言った。
時計を見ると、あと40分ある。私は3時半にそこを出て、急いで家に帰った。番組は3時40分から始まる。見事なまでに間に合った。レコード会社でレコードが作製されていく様子がよくわかった。冒頭にマスターが登場。すばらしい表情であった。早く帰ったAさんもちゃんと映っていた。
今日の宿題
四文字熟語は使い過ぎると嫌味に聞こえるが、ここぞという時に使うと効果的ではある。
では、次なる熟語をわかりやすい事例を挙げながら、自分なりにタイ語で説明してみよう。
1. 一期一会
2. 因果応報
3. 四面楚歌
4. 反面教師
5. 温故知新
6. 乾坤一擲
7. 東奔西走
指輪先生のお話
昨日、「タイ語中級 土曜日12:15」のクラスにお邪魔した。指輪先生の上品な発音がとても美しく、ついつい聞き惚れてしまった。
このクラスの生徒は2名。幸せな生徒達である。彼らのタイ語歴は非常に長い。したがって、話が多岐に及ぶ。昨日の話の中で、善男善女が托鉢僧の鉢の中に入れる食べ物がビニール袋に入れられているが、そのビニール袋はどのように処理しているのであろうかという疑問が出た。
すると、指輪先生は次なる話をされた。「僧侶はそれらのものはあまり食べていません。裕福な信者が直接、寺に持って来たものを食べています。美味しいですから」
それを聞いて、困ったものだと思った。227の戒律の中には食事に関する戒律もある。黙して選ばずに食べなければならないのに……。
今朝はナコンラーチャシーマー(コーラート)から惨劇が伝えられた。何かの火種にならなければいいのだが。
落語「蒟蒻問答」
今朝4時半からNHKの「日本の話芸」を見た。演題は「蒟蒻問答」。噺家は春雨や雷蔵。これは令和元年12月13日に、虎ノ門のニッショーホールで収録したものである。
最初の5分ほど、千葉県の谷津辺りを取り上げ、話を庶民の「八つ当たり」に持って行ったが、客達は誰もわらわない。谷津という地名を知らないからだと思った。そのあと、次から次に駄洒落を飛ばして行ったが、客からは一切、笑い声が聞こえてこない。
話はいよいよ群馬県に入り、蒟蒻屋のおやじさんや、食い詰めた男、寺男、そして、謎の愚僧が出て来て、蒟蒻問答の話が佳境へと入っていった。だが、不思議や不思議、客席からの笑い声が聞こえてこなかった。
噺家は27分間、見事に喋り切った。しかし、客達は無反応にひとしかった。彼らの顔が映し出されていないので、もしかすれば薄笑いをしていたかもしれないが…..。
それにしても、東京の人はそれほどまでに無反応になってしまったのであろうか。
今日の宿題
「ジパング俱楽部」(2020年1月号)に、京都の老舗の菓匠が紹介されており、それを読むと、どら焼きの語源の由来が書かれてあった。次なる文章をタイ語で訳してみよう。
1.代表銘菓の「どら焼き」は、江戸末期に東寺のお坊さんの依頼から生まれたものです。
2.鉄板の代わりに寺の銅鑼の上で焼かれたことから名付けられました。
3.お勤めに忙しいお坊さんが、手軽におなかを満たすための副食として誕生しました。
4.竹の皮に包まれているのは、手を汚さずそのまま食べられるようにとの配慮と、殺菌作用があるから。
一般に売られているどら焼きはプラスチックに包まれているが、この京菓匠では竹の皮に包んでいるようだ。いずれにせよ、どら焼きが「銅鑼焼き」であったとは! タイの寺院でたくさん吊り下げられている銅鑼を鳴らした思い出があり、なつかしい。
タイシルクのスカーフ
先日の茶道教室で、仲間の一人が私に近づいて来て、次のように言った。
「今日の帯揚げはタイシルクのスカーフなんですよ」
私は「あら、そうですか?」と不思議がった。何故ならば、そのように言われなければ、日本の帯揚げだと思われたからである。
タイシルクも昔のものに比べると、色がけばけばしくなくて、日本の生活の中にでも十分になじむようになった。今度タイへ行ったら、いろいろな色目のものを買って来たいものだ。
とにかく、友人の発想に驚かされた。タイシルクのスカーフを帯揚げに流用するとは! タイの物産で日本の中で応用できるものがあるか否か、何か考え出したいものである。
磁器婚式
2000年にタイ語研修を修了し、福岡県へ帰って行った元生徒さんからとても素敵な家族写真が送られて来た。それは、結婚20周年を祝った船上パーティーの様子であった。
銀婚式、金婚式はよく聞くが、結婚20周年は何というのかと思って調べると、「磁器婚式」と出ていた。お祝いに陶磁器を送る風習が西洋には有るということだ。
茶道を習い始めて3年が経った。毎回、立派な茶碗を見ているので、陶器には関心がある。23年前にイギリスの磁器セットを購入したものの、結局はほとんど使っていない。段々、生活を「独り」に向かわせると、セットは不要。一個の茶碗に向いて行く。
いずれにせよ、元生徒さんは沖縄生まれの奥様と活発なお嬢さん達3人に恵まれ、毎年、タイへ行かれ、タイの雰囲気にあふれる明るく楽しい家庭を築いておられる。