日本列島始動

今日は仕事始め。いよいよ2019年が本格的に始動し始めた。
 年末年始、おとなしく家にこもっていたが、いい加減、人恋しくなった。そこで、昨日は、知人である東海大学同窓会理事さんのお誘いを受けて、霞が関ビルの東海大学交友会で開催されていた「東海大学箱根駅伝初優勝祝賀会」に飛び入り参加した。
 体育会系の方達ばかりが集まっていたので、これまで一度も味わったことのない楽しさを覚えた。あまりにも楽しかったので、2次会、3次会とはしごした。
 しかしながら、ゆっくり座って話をする中で、俳句歴20年以上で句集も編んでおられる方と出合った。彼はバレーボールの選手時代はセッターとしていつも作戦を練っていたこと、そして、電車の中では常に句作をしておられるとのこと。文武両面の素敵な生き方だ。

今年の年賀状から

私は70歳(2年前)から年賀状を自主卒業しましたが、今年もたくさんの年賀状を頂戴しました。この場をお借りして御礼を申し上げます。
 映像技師であるM氏(70กว่า)の賀状が、やはりパワフルで面白いと思いました。
 「本年は2月半ばからアンデス高地、次いで昨年逸したミクロネシア諸島ホッピング旅行、年末には仏領ポリネシア、ウア・ポウ島でのローカル芸術祭とスケジュール満載です」
 10年前に泰日文化倶楽部をおやめになったT氏の賀状は日本男子の典型的な生き方を伝えるものでした。
 「私は7回目の年男になります。生まれた昭和10年(1935)当時の平均寿命は男49.9歳、女49.6歳でした。戦後の食糧難で体の弱かった私が、ここまで生きるとは考えられませんでした。振り返ると戦前・戦後・学生時代・サラリーマン時代と思い出は尽きませんが、退職後すでに20年が過ぎ、そろそろ<昭和は遠くなりにけり>となるでしょう」
 最近、「人生百年時代」と喧伝されるようになったが、なにごとにも真面目に取り組まれるT氏の場合は、「人生百年越え」を実践なさってほしいです。

謹賀新年 สวัสดีปีใหม่

明けましておめでとうございます。
 本年も泰日文化倶楽部を何卒よろしくお願い申し上げます。
 楽しく、明るく、タイ語の勉強に精進いたしましょう!

ปี2019 ขอให้มีความสุข คิดอะไรก็สมหวังดังปราถนา และ ขอให้มีร่างกายสุขภาพที่แข็งแรง
ขอให้ปี2019 เป็นปีแห่งชัยชนะ และ ปีแห่งความสุขที่สมบูรณ์

平成最後の大晦日

平成最後の大晦日だ。朝6時、ベランダに出た。まだ暗い。南方(ทางทิศใต้)に三日月がくっきり。そして、その近くにとりわけ輝く一つの星。防衛庁(市ヶ谷)の電波塔のすぐ横に、ライトアップされた東京タワーが見える。
 西方(ทางทิศตะวันตก)に目を転じると、日々、雪の厚みを増している富士山が薄紫の雲の下に….。明日の元旦、富士山から拝む「初日の出」はさぞかし美しいことであろう。
 東京タワーは今年、還暦を迎えた。東京スカイツリーもいいが、東京タワーの存在感はそれなりに大きい。私の自宅のベランダと富士山とを直線で結ぶと、その線上に、早稲田予備校の看板のライトアップが見られる。泰日文化倶楽部はその早稲田予備校ビルの隣りだ。
 今年もたくさんの生徒さんがタイ語を習いに来てくださった。深謝あるのみ。皆さん、2019年もこつこつ頑張りましょう!

煤 と 埃

今朝、Eテレの俳句の番組を見ていると、「大掃除」を兼題にした句が5句ほど紹介されたが、その中に、<煤>とか<埃>という漢字が出て来た。
 <煤>という漢字を書きなさいと言われても、おそらく私は書けない。何故なら、煤(เขม่า)を見る生活からあまりにも遠ざかっているからだ。
 小学生の修学旅行は高知であった。阿讃山脈(徳島県と香川県)を抜ける時、大小あわせて108つのトンネルが有ると聞かされた。石炭列車であったから、窓を開けていると、皆、顔が煤だらけになった。
 それにしても、煤という漢字を見ると、某、謀る、触媒、という漢字が一緒に連想されてきた。イメージがあまりよろしくない。
 <埃>という漢字はそうでもない。「俗埃(ぞくあい)」とは、「俗世間の煩わしいこと」を意味するそうだが、年がら年中、つきまとわれるものだから、適宜、応戦するしかない。

旅する音楽家

今朝5時前に起きると、音楽家である元生徒さんからラインが入っていた。「ベネチアで飲んでます!ベネチアいいですよ、2回目ですが」 写真はイタリア料理とワイン、そして、ゴンドラから撮った運河と橋。
 私は返信した。「素晴らしい! 羨ましい!」
 それからテレビをつけたところ、なんと偶然なことに、BSで「世界ふれあいの旅 ベネチア」が始まった。私は彼と一緒に旅をするつもりで、その番組を丁寧に見た。
 音楽家である彼は、琴、三味線、笛の愛好家が集まる音楽集団の指揮を20年以上も担当しておられる。自らも琵琶の奏者だ。彼はいつも旅に出ている。感性を磨くためだと私は思う。
 かつて我々が同じ時期に別々にインド旅行を計画していることを知った旅行会社の友人が、我々のインド旅行を合体させた。かくして、我々は”incredible INDIA”を一緒に旅行し、彼がどうしても買いたいというタブラー(太鼓)の専門店へ行き、私が粘り強く値段の交渉にあたったのがいい思い出だ。、

北海道キロロリゾート

今夏、東京から札幌へ引越しをされた元生徒さんから、昨日、久々にラインが送られて来た。
「北海道のキロロリゾートではタイ語がたくさん聞こえてきます。このリゾートのオーナーはタイ人ですよ!」
 写真がついており、次なる宣伝文句がついていた。
“LAUNCHING JANUARY 2018 Be surrounded by amazing at Kiroro’s first ever ski-in ski-out luxury condominium development”
 この写真をバンコク在住の元タイ語講師で、北海道が好きで好きでたまらない弁護士に転送すると、彼女からすかさず返信が有った。
 「เป็นของลูกความที่เคยทำงานให้ค่ะ ตอนหลังน่าจะถูกtake over โดยคนไทยด้วยค่ะ」(訳:私が弁護した訴訟依頼人が所有していた物件であるが、その後、おそらく別のタイ人によって乗っ取られたはずである。)
 これを読んで私は驚いた。北海道で超富裕層のタイ人達がリゾート物件のオーナー争いをしているとは!

インドネシアの津波

今年の漢字が「災」に決定後、やはりそうかと思った。だがすぐに気持ちを切り換え、どうかもうあとは無事に新年を迎えたいものだと思った矢先、またしてもインドネシアで大きな津波が起きてしまった。
 テレビニュースを見ていると、「15年間かけて、こつこつお金を貯めてやっと建てた家が、5分で崩壊した」と男性の被災者は語った。女性は「これからどうしよう。仕事が無い」と将来を案じていた。その女性の顔は私に似ていた。私がそこに座り込んでいるかのようであった。
 時期が時期だから、2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震がすぐに脳裏に浮かんだ。プーケット周辺のタイ人達もたくさん犠牲になってしまった。あれから14年。またしても大被害が…..。自然は美しいが、何が起きるかわからないという点では、やはり不気味だ。

孫太郎の「南海紀聞」

私は旧い雑誌を取っておくのが好きだ。一昨日、『新潮45』(1994年4月号)を箱から取り出して読み返した。その中に、「二百年前の東南アジア紀行 ~漂流記の古典「南海紀聞」より~」に関心を覚えた。書いた方はノンフィクション作家の門田修氏である。
 門田氏は、「南海紀聞」を史料として、1764年に福島県塩屋崎の沖合で難破し、101日後、ミンダナオ島に漂着した「孫太郎」という人物を紹介している。孫太郎が無事に日本に帰還できたのは7年後。その間、奴隷として売られ、ボルネオ島やスラバヤ、ジャカルタ、パレンバン、等を経て、長崎に戻っている。
 孫太郎がすばらしいのは、見聞したこと(ボルネオ島の首狩りの風習、南海に居住する中国人たちの生活、オランダの活躍)をきちんと覚えていたことだ。「鎖国から百数十年たっていたその頃、漂流民は貴重なナマの海外情報源だった」と門田氏。孫太郎が現地の言葉に通じていたことが、彼の見聞を広めたとのは間違いない。

全国小学生バドミントン大会

昨夜、鳥取県在住の元生徒さんから、「長女が全国小学生バドミントン大会に鳥取県代表として出場するため東京に行きました。新幹線に初めて乗った次男、めちゃくちゃはしゃいでいます」とラインして来た。写真には奥さん、おばあちゃん、次男、そして、団体戦に挑む友達が写っている。
 「試合はどこで、いつ、行われるの?」と尋ねると、「八王子で、12月24日から28日まで。娘は団体戦が25日午前40分から、個人戦は27日の昼頃です」とのこと。年末に小学生の全国大会が行われること自体に、私としては驚きだ。
 元生徒さんの結婚式に行ったのがつい昨日のよう。彼は順調に昇進し、そして、お子さんは全国大会へ。彼の運動神経が娘さんに伝わったのかと思いきや、奥さんゆずりだそうだ。
 全国からの小学生の熱気を感じ取りたい。そこでこれから応援に行く。