教え子はソウル歌手

  昨晩、北参道のステージ付きカフェで、ソウル歌手であるEVAさんのコンサートがあった。彼女は上智大学の教え子である。
  5年前に友人の結婚式で彼女が歌を披露したが、その時から私は彼女の歌声に魅せられた。機会が有れば、また是非、聞きたいと思っていたが、本格的に歌手活動を展開していることを知り、昨晩は大いに期待して出かけた。
  彼女の歌のすばらしさは歌唱力にあるが、それを支えているのは彼女の英語のすばらしさだ。英語の一語一語が完璧そのもの。胸にしみいるように聞こえる。
  略歴を見ると、シアトル生まれで、幼少期に日本に来たと書いてあった。なるほど、彼女の音感はアメリカですでに決定されていたわけだ。その後、現在に至るまで、日米を往復しているようだから、まさしく英語づけの日々ということになる。
  言葉は習って上手になるものではなく、環境が一番だとつくづく思う。

双子座

  6月はタイ語で มิถุนายน (ミトゥナーヨン)。 มิถุนは、双子座という意味だ。昔は双子(ฝาแฝด)が珍しかったが、最近は私の周辺だけでも双子の話をよく聞く。友人が双子を産んだが、その双子の一人がまた双子を産んだ。さて、3世代目はどうなるか? 
  タイ語を教えていると、皆さん、月の呼称を覚えるのが大変そうだ。反対に、月名がすらすらと言える人は、タイ語にかなり通暁しているように聞こえて格好がいい。
  語学は根気が必要だ。単語をこつこつ覚えていくしかない。月名を覚えるには、まず自分の誕生月から覚えること。そして、月が新しく変わるたびに、その月名を暗誦することをお勧めする。
  とにかく声に出して、繰返し繰り返し言うといい。タイ語のリズムをつけるためにも、自分の生年月日を言う練習を、さあ、今日から始めてみよう!

七味とうがらし

  漢字検定のテキストの中に、「味」という漢字を勉強する項目がある。例題として、「七味とうがらし」が挙げられているが、「し」 と 「ち」の発音が明瞭に音別できないタイ人にとって、その発音が難しいことがわかった。
  しかし、日本人の中にもはっきり言えない人がいる。「しちみとうがらし」ではなくて、「ひちみとうがらし」と発音している場合が多々みられる。
  かつて、タイ人達と清水寺の坂下にあるとうがらし専門店に入ったことがある。お好みの割合でとうがらしを配合してくれるが、「一味」であれ、「七味」であれ、タイ人にとって、何ら辛くはない。あの「ねずみの糞の唐辛子」に比べると、日本のとうがらしは見た目の色で脅しているだけだ。

ラオス語のクラス

  最近、ラオス出身の女性にお会いすることが有った。彼女はラオス料理店のオーナーであった。ラオス料理だけではやっていけないので、タイ料理も提供しているそうだ。
  「お客さんの中にはラオス語を勉強したいという人がいます。でも、なかなか無いんですよね、ラオス語教室が」、と彼女は言った。
  そのような話はよく聞く。泰日文化倶楽部でタイ語を習っている生徒達からも時々、「ラオス語クラスを開講してください」と言われる。
  ラオス語講師なら知っている。だが、生徒が8人集まらないと採算が合わない。私が知っているラオス語の先生は日本に長く住んでおられるから、安い講師料でお招きすることは失礼だからである。
  いずれにせよ、同じ時間帯に生徒を8人も集めるのは至難のわざである。かくして、ラオス語のクラスの誕生は望むべくもない。

ある国文学者

  私が住んでいるマンションに、平安時代の言葉を研究している国文学者がおられる。開いている窓から、一度だけお部屋の様子が見えたことがあるが、壁一面、本でいっぱいであった。彼とは玄関先ですれちがうことが何度かあったが、最近、お姿をみかけない。
  そこで、管理員さんに尋ねてみると、「あの方でしたら、もう2年前にお亡くなりになりましたよ」、と言われた。
  私はいろいろな意味で驚いた。お見かけしないまま、もう2年が経ってしまったこと、そして、いっぱい詰まった彼の頭の中の知識がかなり前に消えてしまっていたことに。
  マンションでは、空巣対策として、掲示板に訃報の知らせを貼らないきまりにしている。したがって、住民は誰が亡くなったかわからない。家族もそれを望む人達が多いらしい。希薄といえば希薄な集団だ。

中年からのタイ語

  タイとの出会いは早ければ早いほどよい。しかし、それがいつになるかは人さまざまである。出会った時が「タイ語元年」。そう思うことにして、自分なりのタイ語暦を刻み続けていくことだ。
  泰日文化倶楽部は、今、中年パワーがすごい。人生半ばにして、タイと出会った方達。タイ語の勉強は苦しそうだが、毎週きちんと通って来ているところをみると、タイ語の勉強が楽しいのかもしれない。
  生徒達は言う。「タイへの航空券を予約すると、タイへ行く日までのカウントダウンが始まり、とても楽しみです!」
  タイへ行く日までの数ヶ月間、泰日文化倶楽部に通い、タイ語の習得に励み、習ったタイ語をタイでためしてみる。その繰り返しを続けていると、それだけでも楽しい気分になれる。
  タイは単発で行く国ではない。繰り返し、繰り返し、旅行しても飽きない国、それがタイだ。何度行っても魅せられる。その魅力は何だろう? その不思議さを解明するには、タイ語の勉強が不可欠だ。

優先席

  昨日、タイ人と一緒に電車に乗った時、たまたま優先席の前に二人で立った。そこで、彼に「優先席」という漢字を読ませようとしたが、漢字を習い始めた彼にはまだ難しすぎたため読めなかった。私は、「ゆうせんせき」と読んで、彼に聞かせてあげた。
  すると、優先席に座っていた35歳位の男性があわてて立ち上がった。私が「ゆうせんせき」と声に出して読むのを聞いて、「これはまずい」と思ったらしい。
  席を譲ってほしいと思って、わざとらしく「ゆうせんせき」と発音したわけではない。だが、結果的にはそうなってしまったことに、私は苦笑した。
  タイ人にとって、「優先席」というものがあること自体、おかしな話である。何故なら、若い人であれば年配の人に、そして、男性であれば女性に席を譲るのは当然だから。

87歳の華道家のたゆまぬ挑戦

  昨日、「第46回日本いけばな芸術展」へ出かけた。195流派、1,050名の代表作家の作品が3期に分けて展示されていたが、日本のいけばな芸術の真髄を堪能した。
  私は小原流に所属しているので、つい大先輩達の作品に目がいってしまったが、その中で、ひときわ驚いた作品があった。それは、小原流研究院名誉院長である工藤和彦氏が活けたものだ。若さ、楽しさ、新鮮さ、そして、剽軽な要素が観る者を釘づけにした。
  同氏は、今年87歳。一般的に言えば、枯れた風情の作品を想像しても不思議ではないが、先生の作品は年々、若返りを見せている。先生のたゆまぬ挑戦は若さの結晶となって、人々を魅了してやまない。
  「芸術とは何だろう?」と、久々に自分に問うた。そして、得られた答えは....。「芸術とは若さなり。美しいものを観ると、心身を若返らせてくれる」

うどん修行の内地留学

  十条を散策していると、花屋の店頭で朝顔がたくさん花をつけているのを見た。「もう朝顔ですか?」と店の人に訊くと、「琉球朝顔です。よく咲きますよ」という言葉が元気よく返ってきた。
  その花屋の裏手あたりに、「讃岐うどん」という看板を見つけたので入ってみた。店内はまだ真新しかった。客が入っていなかったので、店主と話すことができた。そしてわかったことは、店主が1年間、香川県へうどんの作り方を習いに行き、去年、その店を開いたということであった。
  「私は香川県出身ですから、うどんに関してはうるさいですよ」と、つい言ってしまったので、若い店主は少々、緊張した様子であった。しかし、食後の感想として、満点をあげると、店主は「何よりの励みです」と素直に喜んだ。
  うどん修業として、県外の人が香川県に内地留学をすることはいいことだ。留学というと、とかく海外留学を考えがちだが、国内にもいっぱいいいところがある。手に技を覚えこませれば、これからの世の中、何といっても強い。

6月6日開講の新規タイ語クラス

  6月6日から、「タイ語入門 木曜日20:00」のクラスを新規に開講する。昔から、お稽古ごとは、6歳になった年の6月6日から始めるとよいという考え方があるので、初めてタイ語に挑戦したい方は是非ともスタートをきってほしい。
  最近の傾向によると、4月は日本人にとって人生の切り替え時期だから、忙しい人は本当に忙しい。したがって、何かを新しく始めるには、6月が適しているような気がする。
  すでに申し込まれている方は、「タイ語を勉強したいです!」と言って、4月から何度も打診があった。しかし、仕事の関係で時間がとれなかった。「6月6日から始めるのはいかがですか?」と言うと、今度は意を決したように、力強く言った。「是非ともお願いします!」