お菓子のオンパレード

 年末にもたくさんお菓子を頂いたが、授業が再開されてからも、お菓子のおみやげや御年賀を頂戴し大変うれしく思っている。長く取っておき、毎日、一個ずつ食べればとも思うが、賞味期限があることを幸いに、次から次ににこにこしながら口に入れ、精神を安定させている。
 バンコクに帰省していたタイ人講師は、「おばあちゃんが作りました」という自家製の練りマンゴー菓子(มะม่วงกวน)を生徒達に配った。手作りだけに風味があった。難点は歯にくっつくこと。私の場合は、食道(หลอดอาหาร)にくっついた。なかなか胃(กระเพาะอาหาร)のほうに落ちていかない。
 いずれにせよ、他に頂いたタイのスナック菓子に次のように書いてあった。「ชีวิตขาดหวานไม่ได้」 直訳すれば、「人生は甘いものを欠くことができない」。 この訳文では面白くない。皆さん、意訳してみてください。

新しい生徒さん & 元生徒さん

一昨日、「タイ語中級 14:40」のクラスに見学者が有った。まずは1コマだけ無料体験をしていただき、授業後、泰日文化倶楽部に入会するか否かを決めていただきたいと伝えたところ、90分後、彼女の回答は、「勿論、入ります!」であった。 
 私は尋ねた。「泰日文化倶楽部のことをどうやって知りましたか? HPですか?」
 すると彼女は答えた。「ここで習っていた方が紹介してくれました」
 それだけならよく有ることだが、さらに尋ねると、その元生徒さんとは福岡のタイ語教室で一緒に勉強していたとのこと。「東京に行くなら、泰日文化倶楽部で習うといいよ。安いから」と勧められたそうだ。
 その元生徒さんが5年前に福岡へ転勤したことは知っていたが、福岡でもタイ語を継続学習していたとは! なんと勤勉であることよ(ขยันเรียนจังเลย)!

お菓子のオンパレード

 年末にもたくさんお菓子を頂いたが、授業が再開されてからも、お菓子のおみやげや御年始を頂戴し大変うれしく思っている。長く取っておき、毎日、一個ずつ食べればとも思うが、賞味期限があることを幸いに、次から次ににこにこしながら口に入れ、精神を安定させている。
 バンコクに帰省していたタイ人講師は、「おばあちゃんが作りました」という自家製の練りマンゴー菓子(มะม่วงกวน)を生徒達に配った。手作りだけに風味があった。難点は歯にくっつくこと。私の場合は、食道にくっついた。なかなか胃のほうに落ちていかない。
 いずれにせよ、他に頂いたタイのスナック菓子に次のように書いてあった。「ชีวิตขาดหวานไม่ได้」 直訳すれば、「人生は甘いものを欠くことができない」。 この訳文では面白くない。皆さん、意訳してみてください。

お菓子のオンパレード

 年末にもたくさんお菓子を頂いたが、授業が再開されてからも、お菓子のおみやげや御年賀を頂戴し大変うれしく思っている。長く取っておき、毎日、一個ずつ食べればとも思うが、賞味期限があることを幸いに、次から次ににこにこしながら口に入れ、精神を安定させている。
 バンコクに帰省していたタイ人講師は、「おばあちゃんが作りました」という自家製の練りマンゴー菓子(มะม่วงกวน)を生徒達に配った。手作りだけに風味があった。難点は歯にくっつくこと。私の場合は、食道(หลอดอาหาร)にくっついた。なかなか胃(กระเพาะอาหาร)のほうに落ちていかない。
 いずれにせよ、他に頂いたタイのスナック菓子に次のように書いてあった。「ชีวิตขาดหวานไม่ได้」 直訳すれば、「人生は甘いものを欠くことができない」。 この訳文では面白くない。皆さん、意訳してみてください。

タイ語の母音 

タイに生まれ育ったわけではないから、タイ語の母音を完璧に発音することは難しい。昨日から授業が再開されたが、比較的新しい講師であるニン先生は、生徒達が発音する「คุณ khun 第一声 =あなた」が気に入らないらしく、時間をかけて発音矯正をした。
 次に、テキストの中に「หุ้น hun 第三声 =株式」が出て来た。これまた、ニン先生は生徒達の発音を聞いて、首をかしげるばかり…..。
 どうやら、我々日本人は、タイ語の母音である[สระอุ sara-u]が不得手であることがわかった。したがって、以下に[สระอุ]を使った単語を列挙するから、発声練習をしてみよう。
 1.คุณลุง 2.มีธุระ 3.ถุงมือ 5. ต้มยำกุ้ง 6.รุ่นใหม่ 7.ลงทุน 8.ผู้ถือหุ้น 9.มุมถนน 10. มีงานยุ่ง 11.ตุลาคม 12.หุ่นดี 13.อุ่นดี 14.ทุกวัน

今日から授業再開

泰日文化倶楽部は今日(1月8日)から授業を再開いたします。次なる長期休みはゴールデンウィーク(今年は10日間)です。それまでの4ヶ月間は平成最後の4ヶ月となります。各自、新たなる意識で勉強しましょう。
 今朝、NHKニュースで、去年11月3日に大津市の近江神社で行われた「かるた世界大会」の模様が報道されました。その中でタイ・チーム(3名)の頑張りようが取り上げられましたが、中でも主将のミミーさんが流暢な日本語を話したのを見て、実に素晴らしいと思いました。彼女が「かるた世界大会」での優勝を目指し、いかに努力しているかがよく伝わってきました。
 授業は受身で受けてはいけません。タイ人講師の話を聞き流し、それでわかっているつもりになってもいけません。微細な点をつつくのではなく、タイ語を丸呑みするつもりで暗記しましょう。肝心なのは、学ぶべき目的を定め、自分で自分の意見をタイ語できちんと表明できることです。

初釜

 昨日は初釜であった。会記を以下に写す。漢字の勉強だと思って目を通してもらいたい。
 床: 雪月花 柳生招春寺 福本積應書
 香合: 干支金彩亥香合 八坂焼
 棚: 玄々斎好 更好棚
 水差: 紫交趾 宝尽し 中村翠嵐造
 茶入れ:(写)初花肩衝 松本哲庵造 仕服 細丸竜島襷
 茶杓:(銘)㐂久寿 天皇皇后㐂壽祝
 茶椀: 島台 川崎和楽造 
 (替)黒楽四方茶碗「富士絵」九代了入(写)
 (替)京焼鶴絵
 薄器: 亥大棗鵬雲斎好 鈴木松永作
 建水: 曲
 蓋置: 竹「敬」 井口海仙書付(花押)
 主菓子器: 駒盆 象彦製主菓子: 花びら餅 ときわ木
 干菓子器: 羽子板盆干菓子: 捻梅 君が代 鶴屋八幡
 濃茶: 御代の昔 青松園謹薄茶:松風の白 青松園謹
 

年齢早見表

新しい手帳(สมุดบันทึก)にいろいろと書き込み始めた。そして、手を休めて後ろの方にある年齢早見表を見た。いや、もうびっくり。私の年齢が早見表の中でかなり上に位置しているではないか。ぼやぼやしていられない。
 最上部には、「大正8年 西暦1919年 年齢100歳 十二支 未」とある。干支(12年周期)で1グループだから、私は上から3番目のグループに属する。だんだん天井が薄くなって来た。
 それよりも、下方を見て、またびっくり。下からの突き上げがすごい。時代は変わった。若い人の時代になっている。
 私が愛用している手帳には西暦(ค.ศ.)しか書いていない。しかし、知人から頂いた手帳には、「平成31年・西暦2019年・紀元2679年」と書いてあった。

使用方法の説明(タイ語&英語)

 昨日、来日中のタイ女性から小物バッグを頂いた。藍色地に拡大した江戸小紋の模様が入っている。浅草で買って来たのであろうか? 一瞬、そう思った。しかし、使用方法の説明を読むと、やはりタイの製品であった。
 กระเป๋าผ้าพื้นเมืองแท้ หูกระเป๋าไขว้กันโดยสอดหูหระเป๋าที่ยาวกว่าในช่องที่สั้นกว่า แล้วถือ หรือ คล้องแขวน 
*ข้อควรระวัง หากซัก ห้ามซักเครื่อง
 わずかこれだけの文章ではあるが、使われている語彙がタイ語を習い始めた初心者には難しい。中級レベルの生徒ならすらすら訳してほしい。英語も併記されているが、英語訳は以下の通りである。
 Beebag Handmade: Exquisite Thai Fabric Bag with a cloth layer inside the bag.
How to use it: Put the long hand bag into the short one for holding on your hand or arm.
*Beebag cannot be washed by using washing machine because it will destroy the cloth layer.
 上記のタイ語と英語を比較すると、決して直訳はしていないのがわかる。あくまでも利用者にわかりやすい訳文になっている。

父子鷹

昨日の第95回箱根駅伝では、選手達が第1区をスタートしてからすぐにアクシデントが起きた。大東文化大学の選手が集団の中ですぐ前を走る選手の足を踏んで転倒したからである。足に痛みをかかえて走る姿は気の毒であった。だが、最悪の状態でありながらも、彼は第2区の選手に襷をつないだ。
 テレビから、奈良監督という名前をたびたび耳にした。「奈良」という名前はなつかしい。何故ならば、私が大東文化大学へタイ語と英語を教えに行っていた頃、大東文化大が箱根駅伝で連覇し(1991年&1992年)、その時の<山のスペシャリスト>が、奈良監督であったからである。
 「大東はどうして強いの?」と、当時、誰かに尋ねたことがある。「大学の周辺(埼玉県比企郡岩殿)にはアップ&ダウンがある。毎日、遅くまで、選手達が黙々と走っているから」と教えてくれた。そこで、暮れなずむ中、選手が走る姿を私は実際に目におさめた。
 奈良監督の息子さんも大東文化の選手として、第5区を走った。まさしく父子鷹である。